歴史上の人物になれるとしたら誰がいい?

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「はい、人生お疲れ様でございました。こちら逆行転生受付窓口です」  綺麗なお姉さんがオフィス風の窓口で瑛太を待ち構えていた。瑛太は老いた手足を動かして、お姉さんに近づいていった。 「逆行転生?」 「はい。ご説明いたしますね。生前、一定以上の徳を積んだ人物は、好きな過去の人物に生まれ変わることができるのです」 「えっ……」  そんな突飛なシステムが、本当に実在するとは。そしてまさか自分が死んだ後にそんなチャンスに恵まれるとは。いやはや。  驚く瑛太を前に、お姉さんは話を続ける。 「過去に生まれ変わりますので、逆行転生と申します。みなさまの傾向としては、歴史上の偉人の人生を体験したいという方が多いですね。織田信長から源義経、はたまた宮本武蔵など、才能に恵まれた偉人がよりどりみどりでございます」 「才能……その人物の才能も持って生まれ変われるということですか?」 「はい。才能や趣味嗜好や性格などは、ある程度引き継がれます」 「前世の記憶を保持したままでいられますか?」 「もちろんです」 「つまり、織田信長になって本能寺の変を回避する、というような、歴史改変が可能ということですか?」  お姉さんはにこっと笑った。 「多少は可能です。運命の因果律を変えることはできませんから、その人物の境遇や運命にさほど変化はございませんが、ご自分の意思で変えることが可能な事象もございます。また、あなたが行くのは並行世界、いわゆるパラレルワールドですから、歴史改変を行なったとしてもあなたが元々生きていた世界線には何ら影響はございません」 「親切な仕様ですね」 「ええ、これは生前頑張った分のボーナスのようなものですから」 「へえ……」  瑛太は自分のしわがれた手を見た。若かりし日の……瑛太がまだ学生だった頃の記憶が、不意に蘇ってきた。  ***  穏やかな小春日和の日差しが差し込む、大学の施設内でのことだった。確か、友達の大輝と一緒に、日本近現代史の講義で提出するための課題を、一緒にやっつけている最中だった。 「なあー、歴史上の人物になれるとしたら誰がいい?」  瑛太がそんな話題を出したのは、まあ、要するに休憩だ。お互い無言でパソコンをカタカタやっているのに疲れたのだ。 「何それ。どういうこと?」  大輝が怪訝な顔で聞き返す。彼だって手が止まったままなのだから、ここいらで雑談くらい挟んでも構わないだろう。 「あれだよ。逆行転生。『転生したら誰それだった』っていう、よくあるやつ」 「何それ。ライトノベルのテーマ? よくあるの?」 「あるある。なあなあ、誰がいい? 俺は織田信長」 「ロッシーニ」 「へ?」  思わぬカタカナ語の響きが飛び出してきて、瑛太は目をぱちくりさせた。大輝は再び揺るぎない声で断言した。 「ロッシーニ」 「何それ。肉料理? 何とかのロッシーニ風みたいな?」 「それだ」 「つまり、牛になって調理されたいってこと?」 「まさか」  大輝はからからと笑った。いや、こっちは訳が分からないんだが。 「ジョアキーノ・ロッシーニ。19世紀のイタリアの作曲家だよ」 「作曲家?」  言いながら瑛太は得心した。大輝はオーケストラのサークルに所属している。瑛太がラノベオタクだとすれば、大輝はクラシックオタクなのだ。 「牛肉はどこ行ったんだ?」 「まあそう焦るな」  大輝は悠々と缶コーヒーを飲んで、トンッと机に置いた。 「ロッシーニはな、二刀流なんだよ。作曲家と料理家のな」 「へえ? 料理家? それで料理に名前が残ってると?」 「そういうこと。他に二刀流の作曲家で有名なのは、科学者やってたボロディンとかがいるけど、俺は断然ロッシーニになりたいね。だってそっちの方が絶対に悠々自適だもんな」 「悠々自適」 「そう!」  大輝はきらきらした目で瑛太を見てきた。オタクトークのスイッチが入ったらしい。そもそもトークを振ったのは瑛太なのだから、おとなしく聞くことにする。 「ロッシーニはな、作曲家として二十年くらいオペラを書きまくってヒットを飛ばしてガッツリ稼ぎ、あとは隠居して自分のレストランを作って趣味の料理に浸った……と言われているんだよ。しかもモテたらしい」 「へえ」 「音楽の才能一つで大当たりして金持ちになって、その後はちょっとだけ作曲しながらのんびり美食の世界に浸る。すげえ羨ましくないか? 俺は羨ましい」 「お、おう」 「俺もそんな風に楽で快適な人生を送りたい……!!」 「スローライフ、ねえ。それも悪くないかもな。料理なら俺も嫌いじゃないし。しかもモテるときたか」  ラノベの題材としても興味深い。『転生したらロッシーニだったので、稼いだ金でスローライフを送ります』。いかんせんロッシーニの知名度が低いのが難点だが。 「瑛太は何で織田信長?」 「そりゃ、天下統一よ」 「ええー。波瀾万丈だし物騒じゃないか? めちゃくちゃ人殺さなきゃいけないよ? 俺だったら戦闘要員はお断りだけど」 「うっ。確かに……」  スローライフとは程遠い、茨の道かもしれない。人殺しをしない人生の方が、そりゃあいいに決まっている。 「うーん。ちょっと考え直すわ。知ってる範囲で……」 「そうしろ。っていうか課題をやれ」 「何だよう。大輝だって手が止まってたくせに」 「俺はもう終わったんだよ」 「何ーっ! この裏切り者! 明智光秀!」 「いいからさっさと片付けな」 「へーい……」  *** 「……ロッシーニ……」  瑛太は受付のお姉さんにそう言った。 「なるほど。作曲家兼料理家として名を残した、ジョアキーノ・ロッシーニですね?」  お姉さんはにこにこして確認した。 「はい。その人でお願いします」  はっきり言って今の瑛太はクラシック音楽などどうでもいいが、どうせ趣味嗜好が継承されるなら否が応でも興味が出てくるはずだ。その後、料理して旨いものを食ってスローライフが送れるなら万々歳である。楽で快適な人生……うん。悪くない。 「では逆行転生の手続きを行います」  お姉さんが言うと同時に、瑛太の周りが眩い光で包まれた。  気づくと、瑛太はギャアギャアと産声を上げていた。  こうして、瑛太……改めジョアキーノの人生が幕を開いたのだった。  その後ジョアキーノは、父親が投獄されたり、家が貧乏になったり、手に負えないクソガキ扱いされたりと、それなりに大変なことにも見舞われた。しかし無事に音楽家として成長し、その功績で、何と兵役が免除された。  これで人殺しをしなくて済む。一安心である。 「さあて、豊かなるスローライフのために、もう一踏ん張りしますかぁ!」  ジョアキーノは今日も、意気揚々と五線譜に向かうのだった。  おわり
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