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「ねえ」
運転席の彼女がハンドルを握ったまま発した一言。
僕に呼びかけていることは分かりきっているけれど、それに答えようという気はしなかった。
彼女はいつから僕の名前を呼ばなくなったのだろう。
そんなことをぼんやりと思いながら、窓の外を眺める。
いつの間にか雨が降りだしていたようだ。
窓に写る街の明かりが雨粒に滲んでいる。
「ねえ…………聞こえているんでしょ?」
僕が返事をしないことに痺れを切らしたのか、再度呼びかけてくる彼女。
さすがに無視し続けるわけにもいかないだろう。
「なに」
「私ね、結婚するの」
『知ってるよ』
なんて言えるわけがない。
『おめでとう』
なんてことを言うつもりもない。
「……へぇ、そうなんだ」
平常心を装いながらなんとか言葉を絞り出した。
「だからもう、あなたと会うのはこれで最後にしたいの」
後部座席からバックミラーをちらりと見ると、一瞬だけ鏡越しに彼女と目が合った。
お互いに逸らした視線。
ただただ続く沈黙。
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