1 βとαは番わない

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1 βとαは番わない

「運命の(つがい)を見つけた。だから、明日までに出て行け」  ――ウンメイノツガイ?   青天の霹靂だった。  (りく)は夕飯を作っていた手を止め、さっき帰って来た男に目をやった。  どんな趣味の悪い冗談だ。そう言おうと思ったのに、男の顔を見る限り、聴こえた言葉に間違いはなかったようだ。  よくもまあ、夕飯を作って待っていた人間にこんな台詞が言えたものだ。明日までに出て行けと言われたところで、もう二十時を過ぎているというのに。 「……はあっ!? ……ちょっと待て。お前、オレの名前知ってるか?」  六は横柄な態度をとる男に殴りかかりたい気持ちをぐっと抑え、努めて冷静に訊ねた。 「……どうしてそんなことを訊く? お前は藤原(ふじわら)六だろ」 「そうだよ、オレは藤原六。で、お前は藤原光輝(みつき)だな」  分かり切ったことを改めて問われ、光輝はうざったそうに顔を顰めた。  いま不利なのは六ではなく光輝のはずなのに、まるで六がおかしなことを言っているかのような態度で、いらいらした様子を隠そうともしない。それがまた癪に障った。 「……だから何だ? とっとと荷物纏めて出て行けよ、邪魔だ」  ――そのひとことで、六の堪忍袋の緒は切れた。 「だから何だ、だと? オレの名前は元々、相田(あいだ)六ってんだよ。テメーが『ベータでもいいから結婚してくれ』って言ったから、藤原六になったんだ! 忘れたとは言わせねえぞ!」 「――でも、運命には抗えない。ベータのお前に、アルファとオメガの契約関係は理解出来ないだろ?」  絶句。いまの六の心境を表現するのに、これ以上適当な言葉が見あたらない。  ほんの半日前に「いってきます」のキスを交わした口でそんなことを言うのだから、光輝の言い分はあまりにも残酷だった。  返す言葉を失くして黙りこめば、光輝はこれ幸いにとアルファはオメガと結ばれるものだなどとのたまった。六と出逢ってしまったこと自体が間違いだとでも言いたげな光輝に、六の身体は怒りで震え出した。 (……これだから、アルファなんかと結婚したくなかったんだ。こいつ、オレの人生を何だと思ってるんだ? ……ふざけんな、ふざけんな、ふざっけんなよ!!)  ――現代にはバース性と呼ばれる性別がある。  大きな分類は男女。そこからアルファ、ベータ、オメガと細分類され、計六種類の性別が存在している。  はじめに、光輝のようなアルファ。  アルファは人口の一、二割に該当する、優秀な人間が多い為政者タイプ。長者番付の上位はほとんどアルファが占めており、ベータやオメガの上位者はほんの一握り。それでもバース性が発見されたころは、アルファ以外がランキング入りするなどはあり得なかったというのだから、これでもバース格差は徐々に解消されてきているのだ。  つぎに、六の属するベータ。  ベータは人口の約八割に値する、凡庸な中流階級。勿論ベータの中にも飛びぬけて優秀な人材はいるのだが、それこそアルファよりも希少だ。  人口は多いがパッとしない。それがベータに対する一般的な意見だった。  最後に、オメガ。  オメガはアルファより数が少なく、人口の一割以下しかいない稀有な存在だ。  オメガは男女ともに妊娠可能な身体を持ち、一定周期でヒートと呼ばれる発情期が来る。ヒートが来てしまうと日常生活に支障が生じてしまうため、すこし前までオメガの社会的地位は低く冷遇されていた。   しかし数十年前、「オメガはヒート時に特別休暇を取得することができる」と法律で定められたことでオメガの社会進出が可能になり、いまではアルファ、ベータ、オメガが共に働く環境が整いつつある。  そしてアルファとオメガには切っても切れない関係性があった。  アルファはオメガのヒートに晒されることでラットと呼ばれる発情反応を起こし、ラット状態になったアルファがオメガのうなじを噛むことで、「番」と呼ばれる契約が完了する。番契約が完了したオメガは、相手のアルファが死ぬまで番にしか発情しなくなり、ヒートに悩まされなくなるのだ。ヒートを抑える抑制剤もあるのだが、人によっては副作用が強く、保険適用とはいえ年間の薬代も馬鹿にならないため、いつの時代もオメガは番のアルファを求める傾向にあった。  その番契約の中でも『運命の番』は、出逢った瞬間に「互いが運命だ」と理解するらしい。  ――悔しいことに、その感覚は、光輝の言う通りベータの六には分からない。  そもそもベータは、アルファやオメガほどバース性特有のフェロモン香に敏感ではない。流石にヒート中のオメガがいれば気付くが、アルファやオメガのように、一目見ただけでバース性を判別することはできないのだ。  ただ、今の六にとってアルファとオメガの関係性など、どうでもよかった。  問題なのは、光輝が既婚者にもかかわらず、本能の赴くまま「運命の番」を選んだことだ。  光輝が『お前を一生幸せにする』と言ったから、六はこれまでオメガと違って勝手に濡れもしない後孔でのセックスを許していたというのに。光輝は六と交際するまでオメガとの性行為しかしたことがなかったせいなのか、一切前戯をしなかった。かといって肛門を傷つけられて生活が困難になるのは六の方なので、羞恥に耐え、ずっと六自身で抱かれる準備をしていたのだ。  そこまでさせておいて、この言い草。  つまり光輝にとって、六の健気な行動は当たり前でしかなく、すこしも心に響いていなかったのではないか。そうでなければ、出逢ったばかりの「運命の番」とやらを選ぶわけがない。  そう思った瞬間、光輝への愛情が驚くほど冷めていった。 「ああ、分かった。お前がそう言うなら出ていく。ただし、二度とその面見せんじゃねえぞ! 一回死ね! ……いや、百回死ね!」  潔い啖呵を切ったあと、六はすぐに荷物を纏め、夜の帳が降りた街へ飛び出した。  顔が冷たいのは、もうすぐ冬がやってくるからだ。そう、自分に言い聞かせながら――。
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