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人間って案外繊細ですね
小さい事を気にする様なタイプではない私だけど、それでも最近恐れていた事を感じてる。
昨年7月に病気で娘を亡くして、その後は自分でも案外元気だなぁと思いながらの生活だった。それは周囲の事情を知る友人らからも同様に受け止められたし、実際そう言われたくらい。
多分私は病気から解放された彼女が楽になったのだと、実際それを良い事だと捉える気持ちが強かったんだと思う。
亡くなったことは残念で悲しい事だったけれど、避けられない運命だったのなら、今は彼女はのびのび自由を得ているのだと考える事が出来た。
けれども心の何処かで、あの闘病の日々の季節が巡ってきたら、思い出して苦しくなるのではないかと危惧してた。
そして状況が変化した、あの2月がやって来てしまった。やっぱり何処か苦しい気がする。この苦しみはいったい何から来るのだろうと、さっきもお風呂に入りながらぼんやり考えていた。
もっと早く病気に気づいてあげられたのでは?
早く気づいていたとしても結果は一緒だった。
看病は思い残す事なく出来ただろうか?
あれ以上は出来なかった。
心のケアは出来ていただろうか?
その時は最善の事をやっていたとは思うのだけど、もっと日々愛していると抱きしめてあげれば良かったかもしれない。
でも出来なかった。そんないつもと違う事をするのはタブーだったから。
奇跡が起きなければ、死をもってしか楽になることが出来ない彼女を前にして、言えることなどそう無かったから。
普段通りに明るく大丈夫だと、今日は調子が良さそうだね、少し良くなってるかもと、決まりきった前向きな事しか言えなかった。
もう頑張らなくて良いんだと、先に行ってても良いよなんて言えなかった。病気で苦しい本人のためにはそう言う方が良かったかも知れないけれど、言ってしまったらあっという間に私達から旅立ってしまいそうで怖かった。
いつも通りに微笑んで、自分の不安は見せずに、熱で熱い額や首を撫でて「あっちい!冷やそうね。」っておどけて冷凍庫から交換用のアイスノンを震える手で取り出していた。
本人が一番分かってたかも知れないけど、母親である私が絶望を見せる訳にいかなかったから。
6月は酷かった。少し回復したんじゃ無いかと期待した症状が、悪化に転じたせいで、やっぱり奇跡は無理だと突きつけられてしまったから。
夫も療養休暇が終わって仕事に戻ってしまって、看病と責任が私にのしかかった。助け手はあったけれど、私は目の前で日々弱っていく彼女をほぼ1人で見つめる事になった。
弱った姿を他人に見せたくなかった。皆の記憶には元気で笑う姿を残したかったから。もっとも、本人もそれどころじゃなかったし。
少しの異変にも気づける様に側にいて、熱が下がって眠れているすっかり痩せた寝顔を黙って見つめていた。
他の兄弟には「変わらないね、あまり良くはなってないかも。」って何でもない様に言って。変わらない日々を必死で演出して、家族の動揺を最小限に食い止めて。
今なら分かるけど、変化を恐れていたんだと思う。変わると言うのは終わりだから。
亡くなった日にあちこちに連絡して、最後の顔を見に沢山の方が会いに来てくれた。その時に私は何て言ったかな。
「綺麗な顔しているでしょう?眠っているみたいに。」
そう言ったかな。状況がこんなに深刻だと思っていなかった方も多かったから、驚かせて、悲しませて申し訳なかった。でも死にそうなんですなんて、やっぱり連絡できなかったよね?
弱った彼女の姿を見せて悲しむ彼らの姿を本人にも見せたくなかった。
考え方を変えれば、苦しい時間は少なくて済んだのかも知れない。五ヶ月の闘病は短い?長い?
命を文字通り燃やして力尽きたけれど、凄く頑張った。あの状態で五ヶ月は普通持たないってドクターにも言われたし。
最後の時間を、私達の別離への心の準備を十分させてくれたね。あの苦しい時間も意味があったのだと、こうして振り返れば感じることができる。
だから私は苦しい気持ちは手放そう。それは彼女も望む事ではないだろうし。
でも毎日何事もなく、良いことがあればある程、私が屈託なく幸せになっても良いのだろうかって立ち止まってしまう。
彼女が旅立ってしまったのに。私の方が十分生きたのに。
案外家族にはこんな話は出来ない。毎日仏壇にお参りする時にどんな気持ちで向き合っているのだろうか?
とは言え、私も仏壇に手を合わせる時はそんな深刻な気持ちは無くて、「おはよう!起きた?今日も元気?」って、家に居た時のままの感じ。
だから急にこうやって気持ちが乱れると、ヤバいなって右往左往してしまう。でも文章にすると冷静になれて浮上できたかも。
子供を病気で亡くすと言う同じ経験をした友人が「こんな地獄を知ってると、世の中にはどうしようも無い事があるって身に染みる。経験はしたく無かったけどね。それに強くなりたかった訳じゃ無いけど、強くなっちゃうわね。」って苦笑していた。
誰にでも他人に言えない様な苦しみや困難がある。でも時間は止まらないし、日々は続くから、だから案外乗り越えていけるのかもしれない。
命日まで、また色々考える事が出てくるかもしれない。でも出来るだけ苦しい気持ちは手放そう。
誰が悪い訳じゃ無いし、逃れられなかった。今彼女は苦しい訳じゃ無い。もう終わった事だ。遺影の中で毎日楽しく笑っている。
私も無理に笑う必要はないけど、無理に悲しんだり後悔する必要もない。
あるがまま、毎日を過ごそう。命ある限り幸せに生きよう。
⭐️ 思考を書いて整理すると随分楽になりました。程度の差はあれども苦しい気持ちは誰にでもあると思います。
でも皆さんも私と一緒に昨日より今日、もっと幸せに生きましょう。苦しさはそっと手から離して、自分に優しくして、笑顔で。
読んで下さってありがとうございます。
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