死を悼む

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死を悼む

限界で死ぬ。 断れない。 金が無いわけでもない。 断れない体質。 生真面目なのか、知らない。 常々、危惧していた、アニメの実写化ー。 それは日に日に、苛烈さを増す。 佐藤健には、その耐性が有る。 それは、彼の稽古風景を見て見れば、明らかだ。 進撃の巨人が不評だと言う、事実は、世論が評価したのか?余り面白くないと言う謂れ方をしていた。 進撃の巨人が、僕には、関心がなく、三浦春馬が悪いわけではなく、単純に作品が僕の感性を刺激しなかった。それで、コケたと言う一側面が耳に入った。 三浦春馬が、誤解していたのは、私が、している事が、裏切り行為だと怒り狂うその、怒りは、彼からすると、不愉快だったらしい。 ただ、僕のいた時間と言う主題歌のriwfa?と言う主題歌の曲を歌っただけである。 しかし、勘違いしているのは、彼の歌を歌う際、利用したnanaの楽曲提供者が、話題性を狙って作ったモノが、売名なのに対して、私個人は彼の死を悼むつもりで歌ったのだが、彼が誤解していた。 皆んなで、歌で合唱的に、なって一体感を醸し出していた、当時の我々は、コロナ禍の最中にあり、彼自身も仕事は自粛期間を強いられていた。 歌う事、例えば、彼の好きだった歌手、ゆずは彼自身、Instagramに投稿してるのを聴いたのだが、私の感性はゆずを良いと、センスは褒めてない。 彼が良いと思っているだけだ。 皆だって、歌いたい歌を歌っていた筈だ。 死を悼む意味で歌っていたのは、僕以外居なかった、その一体感は、なんなんだ? 死んだ彼は、猛り狂っていた。 彼自身の瞳は、二次元世界を0.5上げるだけで、悲鳴を上げるほど、酷使されており、身体の、痩せ具合が、映像に残されていた。 痩せると言うことは、酷使であり、負担だ。それを気づけなかった、側近の無神経さには、当時から、問題視されていた。 人は自分の事しか、考えられない。 彼程、人格者は居なかった。 純朴な真面目な、背の高い、好印象しか与えない人間が、唐突にこの世を去る、その呆気なさは、隣人を大切にしていない、隣人とは、彼女をで有る、私に警告を促している。 そのsignalは、精神の危機で有り、彼の喪失は、風化していたのは、いつの世も、最終的に作品として、残るーそう言う美談に、終わるからだ。 それが、死を美化するのだろうか? 僕は、人の死体と言うのは、間近で見た事があるから怖いから、死に対する、距離感が気薄になった筈の現代に、数字としてしか、その事実としてしか、受け取れない、その恐ろしさが自覚出来ない人間達の、無自覚さ、それが、横行して居る事への憤りではないか?と彼自身の心境を察するに、居た堪れない。 彼の憤りは、私自身に其れを、代弁して欲しいと言う、当たる人間が、居ない事への、ダイイングメッセージと捉えた。 その誹謗問題が、彼自身、芸能人を庇っていたのは、彼自身の罪ではない。 東出の問題視だった筈だ。 彼が、振り回されてしまった、原因は、私も、巻き込まれるTYPEだから、良くわかるが、東出本人に、悪い気が放たれて居たからだ。 それは夫婦間の問題で、杏は赦していた。 生きる事を願った。 問題の東出本人は、事務所契約を打ち切りになった。 彼の死は、非業の死だった。 私も誹謗には参っていたから、東出を庇っていた私の心境は、労わりだったが、同情でも有る。 それは、けれども、最終的に、私自身が、彼の提案企画で、作った多部未華子との共演作が、私に死んだ後の世界を、考えるきっかけとなり、遺されたモノのことを考えた私は、死について、考えるほど、過酷な最中を生きていたんだろうと想う。 人が死ぬのは、哀しい。人の死が軽く扱われてるのは、きっと永遠に、赦さない。 彼を愛していたのだ。 愛の為、亡くなった人を想えば、私の問題意識は、命題で有り得る。 そう言う人間ばかり、愛してしまう。 哀しさばかり、溢れ返る。 それは、愛だった。 売名では無い。
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