去年の桜、今年の桜、来年の桜

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 春ですねぇ。お輪が呟いた。塀の向こう側には満開の桜、空を淡紅色に染めている。この世のものとは思えぬ美しさだ。 「飽きないのだね、お前は」  振り返りまるで桜を散らしたような若々しい頬をぷくっと膨らませたお輪が「少しずつ違うじゃあないですか。去年より一斉に咲いていて見事ですし、一昨年はまるで寒さに抗うようにポツリポツリと咲き出して──」と、力説するのを片手で追い払う。 「私には毎年同じに見えるのよ」  昨日も一昨日も、去年も一昨年も、なにも変わらない。 「確かに、お志乃さんは出会った日から何も変わりませんね。皺一つ増えない、美しいお方です」  視線を落していた志乃が顔を上げた。   「ぼんくらなのかい? 皺もシミも増えるばかりなのに」  そうでしょうか、などと返すお輪を愛しく思いもするし、白々しいとも思ったりする。 「あの人は……どこに通い詰めておられるのか。身請けしてくれた時は、そりゃあ愛してる愛してると言っておったのにねぇ」  たった数年、人の心は変わらずにはいられなかった。桜は何もかわらないのに。 「旦那様はここのところ商いに精を出されておりますよ。先日、店の手代さんにばったりお会いしたのです」 「ほぉ、どこで?」  魚河岸近くの菓子司だと言う。志乃はそっと悲しげに微笑んで「あそこの落雁は美味しいの」と呟いた。奥様がお好きなのよと言いかけて、悋気は良くないと口を閉じた。
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