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1 風を呼べ!
「風を呼べ!」
先輩は僕に言った。
「え?」
言われた指示に僕は戸惑った。
というか、何を指示されているのかすら、わからなかった。
言葉の意味は分かるよ……。
『風を呼べ』というのは風を吹かせろってことだよな。
先輩は、惚けている僕に畳みかける。
「見りゃあ分かるだろ。この『クソベタ』を何とかしろってことだよ」
まあ、そういうことだとは、思ったけど。
僕は、マストに手をかけてコックピットから立ち上がって周りを見渡した。
さざ波すらない、鏡のような海面に、お空の雲が映っている。
僕たちは今、鹿児島県錦江湾でヨットレースをしているのだ。
平成2X年6月天気晴れ。
鹿児島県 高等学校総合体育大会 ヨット競技大会 第1レース。
海面に全く風の吹いていない状態を『ベタ』という。
『クソベタ』は、その最上級だ。風の吹く気配すらない。無風、強い日差し、そして、日に当たって熱を発するヨット……暑い。
僕と先輩の2人を乗せた、4メートル程のFJ級ヨットは、波で揺れることもなく『クソベタ』の海面を漂っていた。静かだ。
出場高校は5校で30杯(ヨットは1杯、2杯と数える)だった。もちろん男子、女子あわせてだ。
当然の事ヨットは、風を受けて推進力を得る。つまり、走る。
今は、その風が全く吹いていない状態なのだ。つまり、走らない。
このレース海面に来るまでは、それなりに風が吹いて帆走してくることができたが、レースのスタート10分前でピタリと風がやんでしまった。
つまりどのヨットも動かなくなった。
スタート地点には、レースを運用する大きなクルーザーが錨を海中におろして固定している。
そこからレース時間やスタートの指示があるのだが、今はスタート延期の旗がマストに揚がっている。
その旗が降下しない限りは、レースが始まらない。
「完全な無風だな! そよ風もふいてねえじゃん。どうすんだよ。第1レースだぜ。しょっぱなからこれじゃ、やる気なくすよなあ」
先輩は、半ばイラつきながら僕に言った。
「そ、そうですね。でも仕方ないんじゃないですか。ヨットレースは、天気や海の状況に左右されるレースなんですから」
「だからよ! 風を呼べって言ったんだよ」
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