2 主人公・南井 義希の嫌いな言葉

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2 主人公・南井 義希の嫌いな言葉

南井 義希は今年38歳になる独身の男性Ωである。 ごく若い頃に番を結んだαはいたが、彼に運命の相手が現れた事で南井と彼との番は自動解除となった。 通常、番の解除には双方の合意が前提とされるが、どちらかに運命の番が現れた時やどちらかが亡くなった場合は自動解除となる。 南井の場合もそれに該当しただけだ。そこに南井の意思は必要無かった。 尤も、彼の方が運命の相手を拒否して、先に番になっていた南井を選べたなら、そんな事にはならなかった。 運命の番の前にはなにものをも障害にはならず、何をおいても惹かれ合うとは言われるが、近年ではそれは単なる遺伝子の相性によるものとも言われている。 であるから、本能が求める事は求めるのだろうが、理性でそれ迄育んで来た愛を選ぶ者も、少なからずいるのだ。 南井は彼にそれを期待した。 だが、彼は10年以上共に過ごしてきた南井よりも、突然現れた美しい運命の少女の誘惑の香りを受け入れた。 少女を見る彼の瞳はきらきらと煌めいていて、その手を取る為に走って行った。取り残された南井は、一度たりとも振り返る事すらされずに打ち捨てられた。 幼い頃から大切に大切に育んできた南井の愛は、何一つ知らない、運命というだけの相手に負けたのだ。 南井は運命と言う言葉を死ぬ程嫌悪するようになった。 彼との番が解除された後暫くして、南井の家は父の転勤により他府県へ引っ越す事になった。 家も近所だったから、彼の両親はホッとしたのではないだろうか。 何を言っても耳を貸さず、運命の番に浮かれている息子に代わって、何度も頭を下げに来てくれていた。 あちらも気不味かっただろうが、毎回顔を合わせる度に謝罪され続ける南井側も心苦しい。 だから父は、以前から打診のあった転勤を受け入れたのだ。 今思っても、本当に良いタイミングだったと南井は思う。 引っ越して、新しい生活が始まり、主を失った南井のうなじの咬印も日毎に薄れていった。 自動解除なので次の番を作る事は可能ではあったが、南井には、もうその意思は無かった。 運命の番が現れるなんて事はごく稀な事であり、それにあたったのは単なる不運だったのだと友人に慰められても、南井はもう、運命どころか愛すら信じてはいなかったのだ。 引っ越して編入した高校を卒業し、何とか大学へ進学した。 解除による弊害は心配していた程も無く、ヒートは逆に弱まったようだった。 抑制剤で十分に抑えが利く。 αを求める心が欠けたからだろうか、と時々南井は不思議に思ったが、特に支障は無く寧ろ助かる。 勉強に打ち込んでいたら、それなりに優秀だった為、友人の起業したベンチャーに誘われてそれに乗った。 仕事に打ち込み会社はそれなりに軌道に乗った。役職も、三十代ながら部長。 Ωとしては、結構出世したのではないだろうか。 南井は今の人生に満足しているし、あれ以来恋人も作らずに来た。 南井は外見的には、線が細く小綺麗だ。細身のスーツを隙なく着こなしている、優しげな面立ちの穏やかな男。そんな風だから、男女、バース問わず、それなりに人は言い寄ってくる。 けれどその中の誰も、南井の心を動かす事はできなかった。 優しいけれど、冷たい壁のある男。 南井はそう評されていた。 南井の心は長い時をかけて、硬く閉ざされて、厚い壁に覆われていて、もう誰もそこに入れるつもりは無い。 愛なんてアテにならないものを拠り所にするくらいなら、一生一人で生きる方がマシだ。 南井はそう考えていたし、両親も好きにしろと言ってくれている。 孫を抱かせてやれないのは親不孝なのかもしれないが、その為だけに誰かとと言うのも変な話だ。 南井は今、それなりに幸せだった。 Ωだけれど、Ωに望まれる生き方は捨てたけれど、自力で自分の人生を生きている事に誇りを持っている。 だからこのままで良い。 仕事さえ順調なら、何も求めない。 そう思っていたのに、 今度は南井に、それが訪れるだなんて…。
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