星空

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星空

顔をあげると いつの間にか星が夜空を連れてきていた。 空ってこんなに明るかったっけ? そもそも夜空を眺めるのはいつぶりだろう。 1年? 1か月? いやいや、3日前だ。 たった3日前に見た空のスクリーンは 白黒映画のように切れ切れの雲が漂い中途半端に暗かったけれど、 今夜のそれは親の目を盗んで夕方録画していたアニメを見る深夜のテレビ画面のように眩しく華々しく明滅している。 それはまるで、 1週間前の月曜日の帰りのホームルームのあと 1日の仕事を終えたお日様が 眠りにつく前の欠伸のような夕日を教室内に投げかけていて、 私より背の低いキミが黒板の上の方を消そうと手を伸ばしせっせと振りかざしたせいで舞いあがったチョークの粉が光に照らされ 仕方なくチラチラと瞬いていたように。 あるいは。 5日前の水曜日の夕御飯のカレーを家族みんなで食べたあとに 父さん似の私とは違い母さん似な6つ下の5歳の妹が、 2階の部屋の奥にある母さんの真っ白な衣装ケースの一番下の右側の引き出しにしまってあった手芸用の小箱を わざとなのか、誤ってなのか、それとも無意識なのか乱暴引っ張り出したせいで 緩かった留め具がぱあんと外れた瞬間を狙い 青春いっぱいにはじけとんだスパンコールが空中でキラキラと煌めいたように。 ジャリっという音に右足をずらしてみると、 今しがた踏んでいた場所に土や枝や何かの破片に混じって小さなスパンコールがいくつも目に入った。 つまみ上げたスパンコールはひび割れ黒く汚れ私の目から見ても憔悴しきっている。 あの日見せてくれたように舞台で輝きを放つことはきっともうないだろう。 その代わりなのか、家の前から北の小学校へと続く細い通学路の左側にある 夏はにぎやかなセミの合唱に、秋は優雅なコオロギの独唱に揺れる昼には青々と、夜には鬱蒼とした森の向こうで 空のスクリーンを書き消すような閃光が目の端に入ってきたかと思うと 地鳴りと地響きが仲睦まじく手を携え私の足下を駆け足でやって来ては追い去っていった。 戻りなさい、と、隣の家に住む、いや昨日まで住んでいた 頭に雪だまを乗せたような白髪のおばあちゃんが手を大きく振りかぶりしゃがれた声で叫んでいる。 聴こえないふりをしてもう一度見上げると、 地上の騒々しい光に邪魔されなくなって何の遠慮の必要もなくなって輝く夜空を 無数の細長い流星たちが今一瞬の与えられた役目を果たそうと灰色の息を吐き出しながら横切っていき、 同じく灰色に染まりつつある、かつては青、赤、黄色と冬空の下でもにぎやかな雰囲気を与えてくれた街並みをめがけてやみくもに飛びかかろうとしていた。 戻りなさい! おばあちゃんの声が流れきては、私の身体を避けるように回り込んでは消えていく。 戻るところなんてあるのかな。 戻ることなんてあるのかな。 白黒映画のような空の下でも笑顔で過ごす家族との日常に、 チョークの粉にまみれてくしゃみをしたキミと笑いあった日常に、 ただ、戻りたいだけなのに。
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