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場に居る者達に言葉はなかった。
まさか、晴れの舞台に、春香が日常着を選ぶとは、誰も思っていなかった。
「春香、どうゆうことだ!」
黄良が、血相を変えて、怒鳴り付ける。
「……木綿の日常着が、一番美しいと思ったんだよ」
言って、ポツリポツリと、春香は、思いの丈を語り始める。
汗水たらして働く農婦、屋敷の裏方でこき使われる下女、世の中は、そんな、女達の辛抱があって動いている。そして、彼女達は、木綿の粗末な衣しか身につけることが出来ない。
かたや、下々の犠牲の上に胡座をかいて、悪政を働く男達。その者達が、悪を働く事ができるのは、言ってしまえば、木綿の粗末な衣に身を包む者のお陰ではないか。
「……だから、思ったのさ。この世で、もっとも尊いのは、金糸や絹ではなく、木綿じゃないかとね」
「偉い!!」
時優が、叫ぶ。
「いやはや、恐れ入った。そりゃそうだ!民あっての、政よ!それを、わかっちゃいない誰かさんに示す、って、ことだな?」
こくりと、春香が頷くと、皆は、はっとする。
「そうだね!そうだ!どうせ、謀があるんなら、こっちも、やってやろうじゃないか!」
ふふふと、智安は意味深に笑っている。
「……そして、春香が、場を混乱させている隙に……」
そうだろ?と、智安は続けた。
「ああ!夢龍かっ!」
よし、と、黄良が、胸を張る。
「綺麗どころのなかに、木綿の普段着だ。そりゃ、皆、大慌てってことだな?」
混乱が起こるのは目に見えている。その隙に、黄良達が、偽物の暗行御史、パンジャを捕まえ、そして、暗行御史の証を奪い取る。
パンジャと証が揃えば、夢龍が、本当の暗行御史だと証明でき、なおかつ、数々の不正も暴くことができる。
当然、夢龍の刑は、中止どころかの話になるだろう。
場の人間は、皆は、やる気になっているのだが、何故か、童子は、腕組みをして考え込んでいた。
「でもさあ、時優って、次の長なんだろ?だったら、時優が、出れば、面倒なことやらなくていいんじゃねぇのか?」
やってやるかと、意気込んでいた皆の勢いは、ピタリと止まる。
「確かに、よくよく考えれば、そうだな。俺達の素性を知られたと、そればかり頭にあったが、時優よ!あんたが、やめろと言えば、夢龍が暗行御史だと言えば、それで、解決だろうがっ!」
黄良が、ムッとしながら、時優に噛みついた。
そうだ、そうだと、他の者達も、
不満げに、愚痴り始める。
「いや、まあ、理屈は、そうだ。というか、童子、お前、なかなか鋭いな」
まいった、まいったと、時優は、頭を掻いている。
「時優様。何らか、お考えがあるのですね?」
春香が、困りきる時優に助け船を出した。
「ありゃ、今度は、時優様か……」
ははは、と、時優は、大笑いしているが、それを、怪しいと睨み付けるのは黄良達で、その視線に耐えられないのか、時優は、いやいや、それが、などと、言い訳めいた事を言い始めた。
「まあ、とにかく、あっさり、終わりにするのは、惜しいじゃないかい?あの学徒の、歯軋りしている所を見てみたいだろう?」
何故か、智安が、時優を庇い始めた。
「いやいや、まったく、女傑の集まりだ。こりゃー恐れ入った」
言うが早いか、時優は、さっと智安の後ろに隠れ、小さくなった。
「まったく、食えねぇ野郎だなぁ」
「いやいや、まあ、黄良よ、そう言うな」
時優は、相変わらずとぼけきっていた。
ただ。
「すまんな、あんた達には、手を出さん。約束する」
そっと、智安に耳打ちした。
「……配下の方々が、まだ、来られてない……のでしょ?」
答えた智安に、時優は、目を見張り、こりゃお手上げだと、ごちた。
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