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 四月、甲州街道沿いをスタジアムに向かって歩く途中、髪を短く切り揃え、背筋を伸ばしたスーツ姿の男女の一団とすれ違った。今時の若者と一線を画しているのは容姿だけではない。それは大きな黒い瞳に光を宿していることからも窺い知ることができる。タザキショウはその一団を歩道の脇で立ち止り見ていた。調布に住む友人と、FC東京の試合を観戦するのが目的だったが、その帰りにビールでも飲んで帰ろうと思っていた横顔を張られた気がした。警察官の卵たち。ショウは自分と対極に生きているような同年代の若者を、軽蔑と羨望の入り混じった目で見つめていた。  警視庁警察学校は東京都府中市朝日町にある。麹町、新橋、九段、中野と移転し、現在は府中市で約二千名の警察官の卵たちが、警察官となるための訓練を積んでいる。新宿から京王線の飛田給駅が最寄だが、正門まではしばらく歩かなければならない。周囲には調布飛行場やスタジアムがあることでも知られる。府中市と調布市との境に学校は位置していた。  ショウの部屋は調布にある。盛岡の高校を卒業した後すぐに上京し、調布にある映画専門学校に通うためにこの街に来た。友人たちには目を大きくして聞き返されるが、駅前の4LDK、賃料二十万円のマンションに住んでいる。とりあえず学校の近くで、利便性の良い所としか考えていなかった。それに、ショウは身の周りのことに無頓着だった。家賃の相場も知らず、駅前の不動産屋に一番初めに案内されたのが、この部屋だった。一度目の内覧であっさりと決めてしまったものだから、不動産屋の担当者の方が慌てたほどである。調布という街はショウが育った盛岡に似ている。駅前こそ小規模なデパートがあるが、少し歩けば畑が広がり、土の香りが漂い、川があり、神社や公園が目につく。本当に静かな街だ。  ショウが警察学校の存在に気付いたのは、学生時代に近所を散歩していた時だった。やはり短髪でスーツを着た一団に違和感を覚え、その男女がどこからやってくるのか調べてみると、それが警察学校からであるということがわかった。当時はショウよりも幾らか年上の人たちが、とにかくフレッシュな純朴さで歩いているものだから、思わず苦笑してしまった。警察学校という存在すら知らなかったショウは、その堅苦しいイメージから、あまり好意的には捕らえなかった。自分が規律や組織とは対極にある、映画という芸術や自由を信奉するタイプの人間だと思っていたからである。現に、ショウの芸術的才能は幼少の頃から特出していた。趣味の油彩画では高校二年の時に河北新聞社賞、三年の時に二科展に入選している。県内でも有数の進学校で、成績は常に上位だった。進路指導の教師からは東大か芸大かと薦められていたが、そのどちらも選ぶことなく、周囲を驚かせた。  何故、映画の専門学校に? とは当時のショウを知る人なら誰でも口にする言葉だ。幼い頃に引き取られた父方の祖父の家は、盛岡では知られた資産家で、ショウは小学校、中学校と寝る暇も無いほど家庭教師について勉強を強いられ、躾も厳しかった。高校を卒業する少し前に、大学には行かず、東京の映画学校に行くと祖父に告げた時、祖父が従者に支えられながら膝から崩れた姿を今でも鮮明に覚えている。幼少の頃にショウを引き取り、金をかけて育ててくれた祖父には感謝している。しかし、人生が理不尽で不条理なものだと教えてくれたのは両親だ。それ故、どうしても他人の敷いたレールの上を歩く気にはなれなかった。何のために大学に行く? 出世して金を稼ぐためか? しかし金なら、すでに一生で使え切れないほどの財産がある。人は所詮、死んでしまえば骨と肉の塊に過ぎない。ショウはそんな風に人生を捉えていた。心には常にぽっかりと穴が開いていた。映画学校に進むのだって、特別映画を学びたかったからではない。正直、どこでもよかった。とにかく東京に出ることだけが目的だった。しかし、心のどこかで芸術に対する思いがあったのかもしれない。ショウの父は、世界でも名の知れた洋画家であったから。  ショウはその当時のことを、殆んど覚えていない。記憶からすっぽりと抜け落ちている。両親と過ごしたパリでの日々は断片的で思い出せない。あの日、物々しいサイレンと共に、窓ガラスを叩く雨の音で目覚めた。隣には弟のリュウが眠っていた。近隣住民の騒がしさに胸騒ぎを覚えて部屋を出た。その時すでに両親の姿は無かった。地元の警察官と共にパリ市内のホテルに移動した。リュウが泣いていた。誰も何も教えてくれなかったが、何か良くないことが起こったことだけは理解できた。翌日には祖父の姿があった。すぐに日本に帰国することになった。両親はヨーロッパを転々とする旅に出たと言われた。ショウがまだ九歳の時の出来事だった。そして随分と時を経てから、両親がパリのアトリエで何者かに殺害され絵画が奪われたと知った。海外では大きく報道されたようだが、国内で知る者は少なかった。周囲は幼い兄弟に事実を隠し通した。大人からすれば、それは当然のことだったのかもしれない。そしてショウが小学三年、リュウが小学一年の時、弟のリュウが母方の祖父の元へ引き取られることになる。行き先は東京だった。海外で両親を一度に失った兄弟には多額の遺産が転がり込んでいた。そのことと関係があるのか定かではないが、祖父と親戚同士が話し合いを続けていたことをショウは知っている。やがて成年後見人として父方の祖父が兄のショウを、母方の祖父が弟のリュウを引き取ることになったのである。以後、親戚同士の縁は断絶し、互いの家のことが一切わからなくなった。幼かったショウは、弟のリュウがどこに引き取られていったのかも知らされず、初めは祖父にキツく当たったが、祖父は口を閉ざしていた。祖父の思ったような人生を歩まなかった本当の理由はそのためかもしれない。  高校を卒業後、東京に行くと告げたショウに、祖父が話してくれたことがある。まず両親がパリで殺害されたこと。そして、その犯人がどうやら中国系マフィアであること。最後に、弟のリュウが東京の母方の親戚に引き取られたことである。その理由は告げられなかった。ショウはすでに中学に上る頃には、自分の両親が殺害されたことを知っていた。だから祖父に改めて告げられた時それほどの衝撃を受けなかったが、心の底から沸き起こる憎しみともつかぬ闇の存在を隠し切れなかった。悲しみと呼ぶよりは、虚しさであり、憎しみには違いないが、恨みを超えた皮肉めいた笑いが込み上げてきた。両親が人生の理不尽さと不条理を教えてくれたという意味である。涙はとうに枯れている。東京に出て、弟のリュウを探すと決めたのはこの時である。リュウに関する情報は何も無い。わかっていることは母方の姓が「サエキ」であることと、両親を殺害したのが中国系マフィアであったことだけである。しかも弟のリュウが現在も東京に暮らしているという保証はない。けれども、まずは弟が引き取られて行った東京へ行き、「サエキ」の家を探し出し、弟の消息を掴むつもりであった。
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