さよなら、稜

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さよなら、稜

 (りょう)は先にベッドから這い出て、服を着てさっさと出掛ける支度をしている。そんな稜をぼんやりと眺めていた。 「じゃ、また今夜連絡する」  支度を終えた稜は、この部屋を出る最後に健人(けんと)のもとに近寄って来て、未だベッドの中の健人の額に挨拶代わりのキスをした。 「うん」  これがきっと稜との最後のキスになるのだろう。そう思うと急に胸が痛くなって、つい言葉をかけたくなってしまう。 「稜」 「なに?」 「……なんでもない」 「……変なやつ。お前、昨日から可笑しいぞ」 「別に普通」  健人だって自分自身がおかしいことに気づいている。でも稜との別れが辛くて堪らない。だから昨日の夜は稜に驚かれるくらいに積極的になってしまった。二人で過ごす夜もこれで最後だと思ったから。 「なんかあるなら話聞くから、遠慮なく話せよ」  話せるもんか。他の誰にも決して話せない。稜には特に。  健人がろくに返事もせずに黙っていると、「俺、時間だから」と言って稜は玄関で靴を履きはじめた。 「じゃあまたな」  何も知らない稜は笑顔で出て行った。  稜の気配が完全にいなくなり、ここから健人にはやるべきことがある。  ——俺は辛くてもうあいつのそばにはいられない。  健人は決めていた。  稜のもとから去ることを。  今日13時にこの部屋に引っ越し業者が来ることは稜は知らない。  健人は手早く身支度をして、引っ越しの準備にかかる。  男の一人暮らし。物は少ない。  片付けながら、稜が置いていった私物だけ別に分けておく。稜の服。稜の歯ブラシ。稜専用の物たちをいつか本人に返せる日は来るだろうか。  ピンポーン。  延々と片付けていると、手筈通りに引っ越し業者が来た。  ——さよなら、稜。  健人の心はもう限界だった。  稜を好きになればなるほど、一緒にはいられなくなっていた。
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