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嫁が犬好きだということも、犬を飼いたいと思っていることも知っていた。子供が小学校に慣れた頃、嫁が犬を飼うと宣言したことはさほど驚きはしなかった。
「結婚したとき言ったでしょ? 犬を飼いたいって。あなたは実家の横に家を建てるって譲らなかったし、始めはアパートを借りて住みたいって言った私の意見を──」
云々。ここは劣勢。いい加減折れないとキレられる。しかも結婚した当初は嫁だけだったが、今や娘まで犬が飼いたいと睨んでくるのだ。
そうしてやってきたひどく臆病な雑種。譲渡して貰った先の説明では野良犬が産んだ仔犬らしい。丸々とした顔はちょっと狸に似ていたが、あっという間にいまは狐顔だ。なるほど、犬は顔が伸びるらしい。
チラリと視線を投げた二メートル先、黒い艷やかな背中は三ヶ月でかなりサイズアップした。見てない癖に、耳はしっかりこちらを意識してピンと立ち上がっている。
こちらがスクっと立ち上がると、当然のように犬も立ち上がる。
「あー……っと、爪を切るだけだから」
なんでこっちが気を使わなきゃならないんだ。
じっと見つめる真っ黒な瞳。これが嫁相手だと嬉しそうに瞬きをするし、一人娘相手ならおもちゃを取りに行くのだろう。
犬なんて飼いたくなかった。家の中をチャカチャカと爪を鳴らして歩き回るし、鳴くし、騒ぐし──。ま、騒ぐのは主に娘か嫁だがな。控え目に喜んで戯れる犬に罪はない。
そもそも、猫派なんだ。犬より大人しくて気高い猫が好きだ。
引き出しを開けて爪切りを手にし振り返るとさっきまで座っていた場所が犬にとられていた。白いソファーに寝そべって、黒い瞳で見つめてくる。
「そこ……俺の場所なんだよ。おりてくれる?」
耳がピクピク揺れている。明らかに聞いていた。陣取ったソファーから立ち上がってピョンと飛び降りるのだから、言葉を理解しているのかもしれない。
「案外賢いのか? お前」
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