好きなタイプは年上の女性

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 私の名前は葵という。  何かがおかしいと思ったのは幼なじみがみんな死んでいったときだった。  子どものころの自分を知っている人は誰ひとり居なくなってしまった。  自分が生まれた村も戦でなくなってしまった。  自分のルーツが無くなってしまってしまったようで、寂しかった。 ――――  葵という漢字はあとからつけられた。  もとはただ「あおい」という音だけだった。  名字はない。  私に名前をつけてくれたのは母親だ。  優しい母親だった。  父親が誰かは知らない。村の誰かだろう。  私が生まれた当時は結婚なんてものはなかったし、いまよりももっと交わりが自由だった。  きょうだいは居ない。  そしてまた、子どもも、居ない。 ――――  ずいぶんと長い間落ち着きのない生活をしていたが、いい加減落ち着きたかった私は徳川家康にいろいろとアドバイスをした。  風水って大切だよ、とか、天下の取り方とか、そんなところだ。  徳川家の家紋は私の名前が由来である。  現在の静岡市の葵区も私の名前が由来である。  推定だが、そこが私の生まれた土地だからだ。 ――――  江戸時代は、なかなかいい時代だった。  ずいぶんくつろげたし、楽しむことができた。  料理がおいしくなったのもそのころだ。  可愛い女にもたくさん出会えた。  徳川家も私に対してはとてもよく扱ってくれた。  家光と吉宗は性格が合わなかったが、まあ些末なことである。 ――――  大政奉還に関してはずいぶん悩んだ。  江戸をなくしちゃうのはイヤだった。  だけど、慶喜が「さすがにもうヤバイぜ」と懇願してきたので、私も諦めた。  外国のことは知っていたけれど、世界情勢が緊張を含んだものになったのはそのころくらいからである。  徳川家とはそこで別れることになった。  天皇家に引き継がれたのだ。  なのでいまは、私の存在を知っているのは天皇家のごく一部の人間だけである。 ――――  私の年齢は、不明だ。  もともと年齢なんて数えていなかったし、めんどうでもあった。  推定するに、2000年以上は生きている。  見た目は30代。もちろん男だ。ついている。  数え切れないほどの女を抱いた。  けれど、不思議なことに子どもが出来ないのである。
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