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序章
放課後の教室は、窓枠に切り取られた影が長く伸び、私を覆い隠そうとしていた。
「綺麗な字、だね」
知らない、少し低くておっとりとした柔らかい声。
なぜだろう。道を染める色鮮やかな紅葉の葉のような、一度にいろんな刺激が感じられる。
知らない声なのに、酷く惹きつけられて一歩間違えれば、頭が痛くて叫びそうな不思議な心地だった。
「そろそろ起きないと、逢魔が時だよ」
掠れて、耳元に囁くような声。
私の頬を、手の甲でなぞっていく。
――ん?
それを確認する前にその人は私の髪を撫でた。
「綺麗な髪だね。でも、こんなところで寝てたら駄目だよ」
黒いマスクをした知らない男の子が、私の座っている席の前に座って顔を覗き込んでいた。
私だけが知らない彼。でもある日突然、私以外の前から消えてしまう彼。
だったら私は、今、彼と消えたい。知りたくない秘密を前にそう思った。
彼の言霊は、私を真実へ叩きつける。その真実をこの時の私はまだ、知らない。
「ぎゃーっ」
私の悲鳴に、先生と海士野が教室へ飛び込んできた。
海士野は、椅子からひっくり返った私を見てため息をこぼした。
「……短パン履くなよ」
「み、見るな、ばか」
「どうした? 転校生」
先生が私と彼の元へ歩いてくると、倒れた椅子を起こし私に手を差し出してくれた。
先生は五十代の髪が真っ白のおじいちゃん先生だ。なかなか生徒の名前が覚えられないから、私にも先に謝ってくれていたっけ。
「墳神、お前がいるって珍しいな」
「――え?」
先生が、その知らない人物の肩を優しくポンッと叩いた。
「ええ。転校生を見に来たんです。そうしたら眠ってて、起こそうとしたら怖がられました」
「え、ええ?」
「唯織(いおり)は、墳神のこと覚えてねえの? 小学校の時、同じクラスだったじゃん」
「……えー……ええ?」
もう同じ声を、間抜けに大きく開けた口から零すことしかできなかった。
幼稚園まで住んでいたこの地に戻ってきた私は、初めて見る見知らぬ彼に少し恐怖を覚えていたのだった。
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