歯車姫様。

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「ああ、お可愛そうな姫様。そのお体では、あなた様は出ることも叶わないものね」  高らかに、響く男の声が癪に障る。ああ、死んでしまいたい。けれど死ねもしない。  私は比喩ではない硝子の瞳を、瞼を下ろすことで世界から遮断した。せめてもの抵抗だ。私の命は、私だけのものではないのだから。  私の一日はこの謁見の間から始まる。例えではない。現実に、ここからもう幾年も私は出ていない。寒々とした大理石で構成された、だだっ広い空間に、私と。 「ご機嫌如何ですか? 姫様」  男だ。よく知った男。背後からひょっこり顔を出して私を覗き込む。長い白い髪にひょろりとした肢体。ぱっと見は、若く、手足も長く、中性的な面差しで性別もはっきりしない。しかし男だ。若干低い声が、詰めた襟から垣間見える喉仏がそう告げる。ただ年齢だけは不詳だった。私がこの玉座から動けなくなる前、幼児期からこの城に出入りしているが、老いていると感じたことも無い。いつまでも変わらない。男はずっとこのままだ。 「おとが、」  男が来るのは私が目覚める前だ。男がいないときなど無い。当然だ。 「音が、耳障りだわ」  きしきしと音が鳴る。首を振るたび、不協和音甚だしい声が漏れるたび、金属の軋む音がした。 「おやおや。錆びているのでしょうかね。少々お待ちください」  男が私の背後に顔を戻す。開いた背中を、いじっているのが振動でわかった。動けはしないが、五感は在るのだ。痛覚は無いけれど。神経が無いから。  きっと、男は無数在る歯車のひとつひとつを調べていることだろう。私の中の、歯車を。「……」私は目を閉じた。  私を動かしているのは動力と歯車と、小さな脳の代わりのチップだった。  この王国は最後の砦なのだと、言われた。誰に、と問われれば会った人、皆だ。 「昔々、この星はとても多くの人々が暮らしていました。ここの国民など目じゃない程に。ああ、現在もこの王国の、ドームの外では人はいますよ。ただし、人間は環境適応能力が他種に比べ格段に低いのです。……どの種より進化した種だったのに、ねぇ。……だから、人々はなけなしの文明と言う力で体を作り変えたのです。中にはそれを嫌がりこの王国に亡命する者もおります。今いる国民の何割かはその亡命者の根付いた子孫と言う訳です」  いつだったか教育係に聞いた王国史。男が注釈を付けて今更に語る。私には関係の無い話だ。私は王国のドームはおろか城の外へさえもう出られないのだから。玉座に行儀良く座っているのは王族としての振る舞いに気を配って、じゃない。身動ぎさえゆるされない私の体はこの椅子と一体化されているからだ。私はもう随分前に死んでしまっている。体だけ。私の意識は気が付いたときにはこの無機質な体の中にいた。  目の前の、この男がしたことだった。 「……気が散るんだけど。黙っていてくれないかしら?」  私は嘆息で男のお喋りを蹴散らすと謁見の間に運び込まれた机に向き直った。男が肩を竦める。玉座の代わりに動けない私と私の執務机が在る壇上の下、向かいの離れた椅子に座っているだけだが男は今や私の秘書のような、世話係のような役目を仰せ付かっている。父からだ。父はこの国の王だ。だけど現状、床に臥せる父は執務が出来ない。たくさんの管に繋がれ、王の部屋でひたすらに忍び寄る死を待つ身になった。母はいない。私の生身が健在だったときに亡くなった。王族は、短命だった。純血主義の濃過ぎる血が死を呼ぶのだろう。いや、共存しているのかもしれない。受精した刹那から共生しているのだろう。王族の血と。 「いえね。今日もとんでもなく外から来ているんですよ。亡命の願書。さっき宰相殿に渡されました」  ほらそこ。男が、私の書き物をしている横に積まれた紙束を指す。父が臥せってから私が執務を代行している。共に執務をこなしているはずの宰相は私に会いたくないのだろう。気持ちは良くわかる。魂を持つ絡繰り細工の王族など触るより先に見たくも無いだろう。私自身にも、不気味だと自覚が在る。なので、“自分で持って来れば良いのに”とは思わない。 「王族としての責務を健気に全うしているのに、残念ですね。姫様」  こんな状況だ、この男以外に私の身の回りの世話を行える者はいなくても仕方ない。ゆえに、広いこの部屋で私と日がな過ごすのはこの男だけだった。 「……好かれるためにこうしているのではないわ。国のために国民のために政務が滞らないために、いるのよ」  けれども私はこの男が嫌いだった。不愉快極まりない。私を莫迦にしている態度も然ることながら、気持ち悪いのだ。姿のことではない。容姿で評するのなら、男は線も細くすらっとした体躯に美しい顔立ちで一部のご婦人から熱を上げられそうだ。 「素晴らしい! まさに姫様は王国の宝、王族の鑑ですね」  にんまり、男が笑う。そう、これだ。この仕草、表情。気色悪いのだ。胡散臭く得体が知れなくて。このような男が王国の、それも王族に信頼されている理由は偏に嘘か真か男が『魔術師』だからだ。  この国は科学者と錬金術師と人形師がいる。素人だから私にもよくわからないが人形師は勿論、科学者と錬金術師は違うのだそうだ。やっていることに違いは然程無さそうなのに、いろいろ専門分野が分かれているらしい。科学者が機械の研究開発を。錬金術師が精神や元素や、そう言ったものの研究解明を。人形師は、人形を造る。この男は、そうしたすべての分野に精通していて、どの分野のエキスパートも勝てない程の知恵を持っているのだとか。  だからこそ、死んだ私がここに存在しているのだけども。 「これならば、姫様は申し分無い女王となりましょう。戴冠式が楽しみです」  男は相変わらず科白と合っているんだか合っていないんだかわからない、にまにました笑顔で言い放つ。男の言葉を聞いて私は重い目を出来るだけ丸くした。 「何言っているの……王位継承権なんかとうに無くなっているはずでしょう」  男の発言はおかしい。私は絡繰りの人形だ。私が王位を継げるはずも無い。 「姫様こそ何を仰有っているのですか。姫様以外に王族はいないのですよ。純血主義が祟って現代では王族には分家も存在しません。姫様ただお一人が、王族なのです」  変なことを仰有る、と男は笑う。真意は窺わせないくせに、あからさまに愛想笑いと誇示している。常態ならそのちぐはぐさに、不快感も隠さず私は会話を打ち切るのに。私は焦っていた。だって、だって、おかしい。 「だとしても……私は子も残せないのに」  この無機物の体で生殖行為が無理なのは、製造した男が一番把握しているだろうに。どうして。私が声も出せず問えば男は笑みを深くした。何でだろう。この笑みは、この男の本心に近いものなんじゃないかと感じた。近い、だけだけど。本心そのものではないけれど。 「そのように瑣末なこと、どうとでもなりますよ」  瑣末。子孫を残すことは王族どころかヒトのみならず、あらゆる生物の命題だと言うのに。個人の倫理や道徳の問題ではない。生存においての課題なのだ。それをこの男はあっさりと一蹴した。他人事だから、と言うことならそうかもしれない。でも。でもこの男の言っているのはそう言う、生易しいことでは無いように思った。そんな次元で男は話していない。直感だが間違いないと確信する。無感情の男の目が、口では喋らない含みを湛えているように私を映していた。男が椅子から立ち上がる。私に、きれいなのに気味の悪い微笑を浮かべたまま近付いて来る。ああ、後ずさることも叶わないこの体が恨めしい。  私は、男とのそこそこに長くなった付き合いの中で初めて、恐怖を抱いていた。 「イア姫様」  男が私の名を呼んだ。普段男は私を『姫様』としか呼ばない。ましてや。 「いいえ、……イリアステル王位第一継承者様」  正式名称でなんて。公式の場でも呼ばないのに。珍事とも言って良い事態は私にとって良くない流れだと察せた。 「ご心配召されないよう。あなた様以外誰が王になるのですか。あなたはこの世界最後の砦、この王国の女王となるのです」  男が私の横に来た。キャスターの付いた机を退ける。私の手には羽ペンだけが残った。男が膝を折って私の顔を覗き込む。私の頬に触れる。私は瞳を伏せた。見たくない、と恐怖が訴える。笑ってしまうことに、この体は冷たく機械的で有るのに私の心は冷えて消えることは無かった。大して、表情も変えられないのに。 「お可愛そうな姫様。あなたは死ぬこともゆるされないんだもの。ノブレス・オブ・リュージュ。血も通っていないのに。何て残酷で、うつくしいのかしら」  ああ、怖い。だけど父が決めたんだもの。私を生かしてほしいと、父が。 「本当に、愚かな話ですよ。昔、姫様の何世代も前に起きたクーデターのせいですよ。二人の王子がいて、一人は正室の子で一人は妾腹の子でした。二人は叔父でもある宰相と手を取り合って国のために奔走したそうです」  ……知っている。王国史に載っているのだから。国を揺るがす大事件だった。 「けれど妾腹の第二王子が反旗を翻した。己の父である王と母である夫人を殺したのです。まぁ、最終的には第二王子も、暴挙をゆるさない兄の第一王子と宰相に捕まって、処刑されるんですけれどね」  男が私に触る手と反対の手で首をちょん、と叩く素振りをする。首を刎ねるイメージの所作だろう。実際の処刑方法は違うけど。第二王子の処刑は不当だと民衆から抗議が殺到したと言う。人格者だったから、当時の道化だった王族や、王族を擦り切れるまで使う腐り切っていた貴族がゆるせなかったのだと。 「王子の罪は大罪なのに、ね。親殺しの上王殺しだ。私の個人的な感覚では変な話ですけどね。子を殺しても大した罪にならないのに。特に生まれる前の子、ならば」  愉悦に男が喉を鳴らす。初めて、この男の本性が露わになった気がする。男の感情と面持ちが合っていたのも、もしかしたら初のことなんじゃないだろうか。 「ねぇ、姫様。おかしいですよね。親殺しが罪ならば、生まれる前の子殺しも大罪にすべきだ。さて閑話休題、第二王子は本人の希望も在って極刑に処されました。毒薬を用いての処刑はひっそり遂行されましたが、この前に、取り急ぎ行われた第一王子の戴冠式のパレードで、第二王子の教育係だった男が爆破事件を起こし民衆に被害が出ていますね。この波乱時代から王になった第一王子は純血主義に移行した訳です、が……」  結果はこの有り様。分家から嫁を取ったりしたけど、世代を経てどんどん王族は数を減らした。死産、病弱、短命も多かった。 「ああ、何と言う悲劇! ……そうして、あなたが生まれたのですよ。姫様。あなた様の代でようやく民間から別の血を入れようとしたのに」  父と母が兄妹だった私も例に洩れず体が弱かった。婚姻の話をした十一の夜、細心の注意を払っていたにも関わらず私は呆気無く伝染病に罹り死んだ。 「宰相殿も非道いお方だ。一度は婿にと望まれお受けした身のくせに。会いにもいらっしゃらない」  宰相はもともと祖父の従者だった。従者だったと言え王に仕えているのだ。家柄は悪くない。政治に関しての才が在り頭も良く父が臥しつつまだ執務をこなせていたころ宰相として抜擢された。年若いとしても、もう三十路。私は、生身で生きていれば十五だった。この体では、年齢など意味を成さないが。ふと考える。どうせ他の血を入れようとしていたのだから、いっそ宰相を養子に迎えれば良いのではないか。無意味に私を生かすより、余程良い方法と思うのだけれど。 「お父上の願いですよ。王族の血は残したいと。ただ一人である王族のあなた様に継がせたいと」  ああ、莫迦げている。国を思うのなら、血に拘らないと言うのなら棄ててしまえば良いのに。男が撫でていた手を両手に増やして包み込むように触れた。私は目を開ける。男が私を面白いものでも観察しているみたいに見ていた。 「お可愛そうな姫様。こんな体になっても生かされて」  慈しむような声音で紡いでおいて、男の顔と言ったらとても楽しそうだ。愉悦に歪んでいる、この表現がぴったりだった。 「……そこまでわかっているのなら、判断出来るでしょう。私は、父が生きている間だけの便宜上の第一継承者。仮初めの後継者なの」 「いいえ、あなた様こそわかっていない。先程から申し上げています。あなた様以外にこの王国を継ぐことは在り得ない。あなた様でなくてはならないのです。あなた様こそ、この王国始まって以来最高の王位継承者なのです。……なぜだか、わかりますか?」  音割れする自身の声に嫌悪を覚えながら、それでも言い募る私に男が否定の口上を垂れ流す。男の言うことなんか理解出来る訳も無い。きしきしと障る音が鳴る。男は、私の後見人にでもなってこの国を牛耳りたいのだろうか。ちょっと違う気がする。「イア姫様」再び私の名を呼ぶ。私は首を振る。 「亡命者たちは、機械に頼らねばならない生に嫌気が差し、この王国に移住を懇願します。わかりますか。彼らは機械を嫌っています。正しくは、機械に同化して生き長らえることを、です。この国にも機械は在りますからね。彼ら彼女らは機械化されたくないのです。自分は勿論、自分の子孫も。生身で在りたいのです。だけれど、笑えるでは在りませんか。彼ら彼女らの焦がれるこの王国の王族は、彼ら彼女らの忌避する機械を頼りに生きているのですからっ」  男は少し興奮して来たのだろうか。通常無いに等しい抑揚が生まれて来ている。私は何となく男の言いたいことを飲み込めて来た。  男は恐らく最大に皮肉っているのだ。 「お可愛そうな姫様。住まう人々は随分と滑稽なこと。せっかく機械から逃げて来たと言うのに結局この王国も機械で穢れていたのですから!」 「……」  いつに無くお喋りで素面の男にどうして良いのかわからない。奇妙なことだが、私と、と言うか他者と接しているときの男の標準はどこか酩酊している風に思える。や、酔っ払いのほうがまだ善良だろうか。他の人間はやれ“天才だから”、やれ“魔術師だから”対話が成立しないのだと嘯く。コレは多分間違いだ。  思考回路が、私たちとはまったくの別物。ゆえにコミュニケーションが成り立たないだけだった。正体を現しても正気では無かったか。ただ、常ならば私が黙れと命じれば一礼して黙るのだ。今の男にはそれが通じない。ああ、酔っ払いのほうが如何様にも善良だった。 「姫様には是非、この矛盾の上に我が物顔で無知蒙昧にも君臨する、王国で女王になっていただかなければ! ねぇ、姫様。本当に本当にお可愛そうな姫様。今も昔も、体はいつだってあなた様を縛り続けるだけ。お可愛そうで……この王国の最高傑作ですよ、あなた様は」  私が生身なら、きっと溜め息を吐いていた。そうか。はたと思い至った。この男が望んでいるのは私を王に据えることだけれど、特に力を得ようとしている訳じゃなかった。王国の権力なんてこの男の価値観からは外れている。て、言うよりも矮小過ぎる。恐らく男の目的は。 「……機械を最低限しか纏わず、機械に最小限しか依存しない、外部から“最後の楽園”と持て囃されるこの国の、女王に絡繰り仕掛けの私を置くことで『世界』を莫迦にしたいんでしょう……?」  面白がっている。珍妙な模様を造り上げられるこの瞬間をご所望なのだこの男は。  機械に縛られない生活に憧れる人間が、手に入れるために引き換えにするのは、機械仕掛けの女王を戴くことだ。この光景を前にして思いっ切り抱腹絶倒したいだけ。  私の指摘を静聴していた男は満ち足りた顔をする。恍惚とした淫猥な微笑だった。 「……ちょっと違うかな」 「違う?」  ぎし、と音が鳴る。いちいち動作音がするのが本当に鬱陶しくて苛立たしい。傾げただけでこの鈍い音色を響かせるなんて。 「ええ。少し。これくらいは」  男が長く、男にしては形良い指の親指と人差し指の先を丸く輪にする。指先が見せる隙間は僅かなだ。些細な相違だけど男にとっては大した誤差なのかもしれない。ほんの少しの隙間を男は潰して指を擦り合わせた。きゅっと手袋が鳴った。 「私は、別にそこまで非道じゃないですよ」  胡散臭いことを宣った。こうまで堂々と言い切られてしまうと逆に否やと唱え難い。男に対する恐怖をつい忘れ呆れてしまう。 「疑っておいでですね。こんなにも私は善良だと言うのに」  胸を張ってはいるが、如何にも道化臭さが隠せない。私は容易く首を振れない代わりに瞬きをした。長い睫毛が震えた。 「ええ。姫様は私の名さえ呼んでくださいませんものね。私を一切信用されてない。……良いんです。私を信じないでください。良いんです。姫様はそうでなくては。けれどね、姫様。イア姫様。私はやはり善良なる王族の、そしてあなた様の忠実な下僕(しもべ)なのです」  下手な演技も真っ青なあざとい、だけどもうつくしい身振りで男が手を胸の辺りに添えて言う。私は、長時間の恐怖と、様々な情緒に晒されて操り糸が弛んだ人形の心持ちになった。つまりは、だらーんと、もうどうにでもなれ、と捨て鉢になったのだ。 「姫様。そのように簡単にあきらめてしまわれるのは姫様の悪い癖ですよ」  誰のせいなのか。男も気付けばスタンダードに戻っている。立ち上がって腰に手を当て、怒るポーズを取る男だけれど唇は笑みに歪んでいて白々しい。私は心中で責めた。男こそ、この王国にとって一番の敵なのではないのか。私の所感など気にも留めていない男は更に言辞を紡ぎ、爆弾を投下してくれた。 「私は真に忠実なる下僕なんですよ。だって姫様のお子様だってきちんとご用意させていただいてますから」 「は、」  私は、油断していたんだろうと思う。『お子様』? 誰の? “姫様のお子様だって” 「私の……?」 「はい。あ、勿論養子ではありませんよ。それじゃ意味在りませんし。姫様の正統な血を引くお子様です」  訳がわからない。私の子供。しかも血を引いている。どうやって。私が呻くと男があっさり、種を明かした。男にとって、至極のことを説く素振りだった。 「姫様。『万能細胞』と言うのをご存知ですか?」 『万能細胞』。これは、太古の廃れた技術の一つだ。いや、現世でも残っている希少な技術なのだ。この細胞が無ければ王国外の人間が生きていられないからだ。荒れ果てた大地で順応するには機械との同化や、最低でも人体に植物の細胞を組み込むのが必要不可欠なため『万能細胞』を使うとか……何とか。  私も詳細は知らない。王族として王国を支える者として大まかなことしか勉強していないのだ。それこそ、この男の専門分野だろう。私は応答せず男を見返した。男は笑んで私の頭を撫でた。 「『万能細胞』は字の如く“万能”なのです。姫様の細胞が、遺伝子情報が在れば何でも造れますよ。腕も瞳も。生前のものをご用意出来る。環境さえ調えばね」  でも環境がねぇ……。口元に手を寄せ男が言ちた。 「姫様の体を甦らせてもね。ちょっと問題起きますし。『万能細胞』としてもね。それじゃあクローンと変わりませんし。姫様の意思をね、入れる体だけ造るのは難しいんですよ。出来なくは無いですけれど……時間も無いですから」  とびっきりの笑顔、と言うヤツか。時間? 何のことだと男を見上げれば男は殊更笑い私に二度目の爆弾を投じた。 「調整も時間が掛かる上完璧とは言い難い。だとすればこうして金属で造ったほうが何ぼか容易で安全且つ安定してるんです。嫌でしょう? また脆弱な体になるの」  元から在る体をいじるくらいなら、クローンを造るくらいなら、問題は無いけれど。男が苦笑する。悦に入った眼さえ無ければ心痛に耐える麗人と称賛されるだろうに。 「部分クローン自体ともかく姫様の場合はねぇ。記憶を移したって本人にはならないことはとっくの昔に判明していることですしね。ご存知ですか? 王国が出来る前、王国が国で無くまだ依然数在る都市の一つ扱いだった大昔に、これで自殺者が多発したんですよ。もっとも文明なんかに縋り付いた時代の初頭ですけども」  あの当時も酷かったですよね。見て来たようなことをぺらぺらと。男だって生きて────いたのだろうか。いや、さすがに、まさか。 「姫様を生身で完全に復活させるとなれば、一番は脳を移植することでしょうね。ただし、姫様。姫様の脳は流行り病でやられてしまいましたから。このような形でしか残せませんでした」  男は得意げだけど私ははたと感付いてしまった。じゃあ、こうしている私はどうなっているのだろう。記憶を移植しても本人ではない。脳移植すれば可能だけれど私の脳は病に蝕まれて使えない。じゃあ、私は……。 「あ、安心なされませ。姫様。意識とは所詮電子の集合体なのです。我々の思考も感情も行動もすべて、電気信号なのですよ。ただ、生身では馴染む段階で拒絶反応が出易いのです。まっさらな脳も身体も芽生えた自我と記憶との齟齬に耐えられないようですよ。姫様は金属でしたから。自我の芽生える脳も無いですし」  ね、姫様にとって、その忌まわしい拷問器具にも似た体は最善のものなのです。男は世紀の大発見を発表する科学者のようだ。間違ってない。禍々しいながら純粋な子供の如く見える。 「……ああ、話がズレてしまいましたね。ええ、姫様の子です。姫様の遺伝情報から『万能細胞』を用いり姫様の卵子を造るのです。姫様のクローンを跡継ぎに添えるのも考えましたが、ここはやはり姫様以外の遺伝子は入れて置かないと。のちに姫様と同じようになり兼ねませんし」 「ちょっとっ、待ってっ」  私は久しく大声を出した。この体になってからは初めてだ。不協和音が大きく音の罅割れもひどい。だけど構ってられない。男は卵子と言った。卵子。子供は卵子だけでは出来ない。私以外の遺伝子を入れると、述べた。 「……父親は、誰なの……」  詰まるところ父親がいると言うこと。王族以外の誰か。男が? それは無い。男はあくまで傍観者で楽しみたいのだ。滅び掛けた世界の、亡び掛けた希望たる王国を観賞したいのだから。ならば、誰が父親になると言うのか。誰が王国の犠牲になると。 「宰相様ですよ」  何を仰有ってるんですか。本日何度もされた無礼な態度。昨日までなら睥睨して黙らせて終わったのに。今日に限って男は何でお喋りなのだろう。私を混沌の渦に叩き落すのだろう。 「な、何、何で……」  戦慄く唇に、ああ、重くて動かし難いだけで顔の表情筋はよく出来ていたのだな、皮も合成皮膚にしては精度の高いものだそうだし、なんて逃避した。玉響の間だけだ。ここまで精巧なんだもの。いっそ泣けてしまえば良いのに。  この非常時にも生身なら泣けたのに。場を引っ繰り返せなくても、少なくともフラストレーションは発散出来た。  何がどうなっているんだろう。お父様。父の、全部お考えなのだろうか。宰相様は知っているの? 結局。 「急にこんな話をして、結局、あなたは何がしたいの……」  男は顎を指の背で撫でつつ一間置いて惚けた面相で言いのけた。 「急に、と申されても。こっちも困っているんですよ。  明日未明、早くて日付の変わるころ。  王は崩御されます」 「……」  崩御。父が。お父様が。 「こちらとしては万全を期そうと準備していたのに。……ま、持ったほうですよ。アレだけ管だらけになって。正常な臓器なんか一つも無くなったのに。愛ですね。  余程姫様を女王にしたかったようだ」  姫様。良かったですね。今日ですべての政務の引き継ぎは終わったらしいですよ。量が、いやに多いとは感じていたんだ。お父様は、もう体が、だから、ゆえに、だから。  男は両手を組み合わせて祈る風な格好をした。 「うつくしい、親子愛ですね。明日には戴冠式です。良かったですね。姫様は、見た目は顔色の大層悪い美少女ですから。パレードで姫様の姿は声さえ出さなければ遠目には判然としません。あ、そうでした。明日の戴冠式、姫様に王冠をくださるのは宰相様ですよ。あの方はこの計画に加担したことを後ろめたく思ってらしたようだ。まったく。罪悪感など何の足しにもならないと言うのに。そうなるなら、受けなければ良かっただけなのです。もっとも、宰相様が引き受けなければ別の人間を用意するだけですけれど。本当に往生際が悪い」  機械人形の身になっても、疲労を感じるとはどれだけ拷問なのか。囚人だってここまでの苦痛は無いのではないか。時刻が来なくては意識も手放せないなんて。何て、何て恨めしい。 「歪んだ恋心に終止符も打てず、自意識を狂わせることさえ躊躇って。嫌われることも怖いだなんて、宰相様ったら欲張りにも程が有りますよね。ああ、お二人以降はこちらで血統を管理致します。王族の血を消さない加減を見て用意致しますよ。でも、たまには民間から迎えるのも良いですね。それとも用意致しますか。  家から」  恐ろしいこと。平然と進言してくれる男に麻痺して失笑した私は質疑した。男はさらりと応じた。 「……“家から”? どうやって?」 「単純な話です。父と母を用意して家柄を与えれば良い。そうですね。“外から来た高貴なる血筋の人間だ”とでも言って。あとは簡単に増えます。いや、増やさせれば良い」  恐ろしい真実。男は自らの快楽のためにこんな大きな舞台装置を創ったのだ。これでは、これではまるで─────「実験ね」  男が哄笑した。私が正解を出したようだ。私も笑った。きしきし音がする。きりきりって音も。笑い声は濁っている。何重もぼやけていた。  父が息を引き取ったのは午前零時。丁度。  宰相様が看取って死に水を取ったそうだ。 【 了 】
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