第十五章 溺愛という名の病

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*  お前は『ドグラ・マグラ』を読んだことはある?  夢野久作の代表作で、奇書とも呼ばれる小説だ。興味があるならネットで調べてみるといい。  その内容は……心理遺伝。ごくシンプルに説明するなら「狂気は遺伝する」――かな。  平成の始め頃、東京からとある医大生たちが新潟へスキー旅行に出かけた。  泊まった先は小さな温泉旅館。そこで医大生の一人が、旅館の一人娘に恋をする。  自分と一緒になって東京へ行こうと口説く男だが、娘は頑として答えない。なぜなら娘は経営難の実家の旅館を存続させるため、地元の巨大ホテルを運営する一族へ嫁入りすることになっていたからだ。  その結婚は娘の本意ではなかった。だが、娘は実家を守るため、泣く泣く自ら犠牲になる道を選んでいた。  義憤と愛情にかられた男は、自分の持てるすべてを駆使して娘を救おうと決意する。だが、男はまだ一介の医大生。知識はあれどできることは限られている。  そこで男は新潟のある有力な政治家に取り入り、秘書兼弟子という立ち位置に収まった。その上で、政治家の力とコネを利用し、時には非合法な手段も使って、娘の旅館を救う手はずをあっという間に整えた。  作戦は想定以上にうまくいった。娘の両親は感激し、これで娘を望まない結婚に送り出す必要はなくなると喜んだ。  娘は――正直なところ、男が少し怖かった。医師としての未来を投げ打ち、時に違法な手段に手を染めてまで、自分を守ってくれた男の真意が理解できなかったからだ。 『すべてはきみを愛しているからだ』  当然のように男は言う。そう言われれば娘とて悪い気はせず、両親からの後押しもあり、彼女は男の愛を受け入れることを決意する。  かくして男は娘を手に入れ、そのまま議員秘書として新潟に残ることになった。  愛し合う二人の結婚生活は、初めは順調だった。持ち前の知識と度量を活かし、男は地方議員に立候補。新潟の政治家としてみるみるうちに頭角を現す。そして娘も妻として、献身的に夫に尽くした。  さて、順調に見えた二人の間に、やがて違和感が芽生え始める。きっかけは妻が近所の花屋で働きたいと言い出したことだった。  幼い頃から花屋で働くのが夢だったと言う妻に対し、男は小遣いを倍にするから家にいてくれとこいねがう。  必死に説得を試みる妻だが、夫は頑として首を縦に振らない。それどころか裏から手を回し、件の花屋を営業停止に追い込んでしまった。  困った妻は花屋を助ける方法を探し、友人に電話をかけ始めた。すると今度は、男は妻の部屋の電話線を切ってしまった。激高する妻に男は平然と囁きかける。 『きみにとって最善の選択肢だけを用意するためだ』  ……外の世界には危険が多い。愛する妻を守るためなら、屋敷の中に囲ってしまうのが楽で確実というわけだ。 『愛しているよ。何もかも、きみのためを思ってやっているんだ。どうか俺を信じてほしい』  甘い言葉を吹き込まれながら日に日に強くなっていく束縛に、妻はいよいよふさぎ込むようになっていく。  そしてついに、夫婦の仲を決定的に壊す出来事が起きる。
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