二十五

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二十五

 部屋に女の下着や血の付いたブラウスが散らかっている。許栄仁が部屋から出てくると、ズボンのベルトを締め直し、ソファにどっぷりと腰をかけた。手の甲から血が滴っている。 「アノ女、引ッ掻キヤガッタ」  手下がその傷に目をやると、許は煙草を咥えながら苦笑した。 「ソレニシテモ、アノハダトイウ男、贅沢ナ暮ラシヲシテヤガル」 「奴ハ来マスカネ」 「来ル、必ズ来ル」 「イツマデ、アノ女生カシテオキマスカ?」 「今夜殺ス、ソレマデハオ前タチノ好キナヨウニシテイイ」  それを聞くと、手下の男たちが下劣極まりない笑みを浮かべて、交互に女が囚われている部屋に消えていった。  ニッタジュンコの涙はとうに枯れていた。ただ男たちにされるがままに体を預け、死んだ魚のような目で天井を見ていた。男なんてただのバカで下劣な獣でしかない。つまらない人生だったなと思う。  ショウとハダは顔見知りのコンシェルジュに目を瞑ってもらい、マンション内に入り込んだ。ジュンコが使っていた鍵や暗証番号は以前のままだった。どこからかその番号が漏れたのか、マンションの外で脅され、強引に部屋に連れて行かれたのかはわからないが、奴らは今ジュンコの部屋にいる。最上階までのエレベーターの中は静まり返っていた。 「銃で撃たれたことがあるか?」  とハダが聞いた。ショウが左足を擦った。 「ああ、左足に一発食らっている」  左足にその時の痛みが甦る。 「ならいい。お互い恨みっこなしだぜ。どちらかが撃たれても捕まっても関係無い。俺はジュンコを拾ってすぐにここを出る。悪いがタザキ刑事、俺はお前のことは助けない。いいな」 「ああ、だが俺はお前に今死なれちゃ困るんだ」  最上階でエレベーターが停止する。扉の前には誰もいない。いたところでハダがすでにサイレンサー付きのワルサーを構えていた。 「さすがに奴らもバカじゃない」  そう言うと、ハダはサッとエレベーターホールに移動し、ショウが援護にまわった。廊下の角で立ち止まり、姿勢を低くした。ハダがショウを手招きする。 「奴らは俺が一人で来ると思ってるのか? 舐めてるぜ。見張りが一人しかいない。あいつは俺が殺る。どうせ殺ったこと無いんだろう?」 「ああ、おかげさまで」  とショウが言う。ハダがフンと鼻を鳴らした。 「どこまで似てる兄弟なんだ」 「行くぞ!」  ハダが飛び出す。他に身の隠しようのない廊下に飛び込んで行くハダを見て鳥肌立った。次の瞬間には見張りの男がドアの前に倒れて絶命していた。見事に脳天に一発。即死だった。ハダの銃の腕前にも感心したが、サイレンサーの消音効果の凄さに驚いた。本当に吹き矢で吹いたような空気音だけが鼓膜を揺らした。ハダがドアをノックする。死んだ男の胸の無線機が鳴る。カチャリとドアが数センチ開く、ハダはそこに銃口を突っ込んで、三発撃った。姿は見えないが中で人が倒れる重く鈍い音がした。ショウがすかさず扉を開ける。それと同時にハダが部屋に突入する。元々は自分の部屋だ。全ての間取りが頭に入っているに違いない。入るなり、すぐに廊下の脇にある浴室へと身を隠した。リビングは静まり返っている。見張りの男を含め、二人殺した。恐らくあと二人。ショウは扉の外で合図を待っている。ショウにとっても突撃作戦は初めてだった。そもそもスワットでさえ、こんな乱暴な作戦は有り得ない。ハダの銃声が聞こえたら同時に踏み込んで、奴らのどちらかを撃つつもりだった。しかし、次に聞こえた銃声は奴らのものだった。サイレンサーの無いパンと弾けるような爆発にも似た銃声が響き渡る。それと同時にハダの叫ぶ声がして、ヒュンとハダの銃声がした。ショウが踏み込むと一番奥の寝室で、ハダが裸の女を抱きかかえて唸っている。窓のカーテンが揺れている。ベランダを走り去る男の姿が目に入った。男が防火扉を蹴破って、隣室に入って行く。隣の住人の悲鳴が聞こえる。ハダはまだ女の亡骸を抱えたまま動けない。ショウが先回りして玄関から外に出ようとするが、男がショウに向かって発砲した。弾が瞬間的に閉めた扉に突き刺さる。その衝撃はドアノブを握っていた手が痛いと感じるほどだった。ショウが扉を微かに開ける。しかし、男はエレベーターに乗り込み、すでに下階に向かっている。するとハダが顔を紅く染めたまま、隣のエレベーターの到着を待って乗り込み、B1地下駐車場に向かった。乗り込んだエレベーターの移動が、こんなにじれったいと思ったことはない。イライラしたハダが、一発カゴ内で扉に向かって撃ち放った。弾は金属を火花と共に突き破った。 「ジュンコが死んだ」  顔は苦渋の表情に歪み、自らの歯で噛んだ唇から出血していた。B1に着いてエレベーターの扉が開くと、キッとタイヤがコンクリートに擦れる音が響いた。急いで自分の車に飛び乗る。すでに駐車場出口に向かうBMWの姿が目に入った。奴の車のテールランプが赤く点灯し、地上へと続くスロープを勢いよく駆け上がる。ゲートのバーが真二つに折れている。ハダが駐車場に停めてあったレンタカーのエンジンキーを回す。それを見てショウもアウディを急発進させた。一台の白いBMWを、ハダの黒いセダンと濃紺のアウディが追いかける。BMWは国道一号を南下したかと思うと、首都高速環状線芝公園からいきなり高速に突っ込んだ。 「よし、これで止まる!」  と思ったが、奴はここでもバーをへし折り、ETCの入口を突破した。続いて黒のセダン、アウディが追う。けたたましいクラクションとエンジン音が鳴り響く。ショウが車から無線を入れる。 「こちら万世橋署タザキ、至急、至急、犯人の車は白のBMW、香港籍の男一名、六本木のマンションで四名殺害後、現在新宿方面に向かって逃走中。至急、応援願います!」  すぐに無線が応答する。 「タザキ刑事? どういう状況ですか? 応答願います」  ショウはその無線を無視した。今、自分の目の前にはハダケンゴの車が走っている。しかし、ショウはそれを告げなかった。さらに六本木でハダが殺害した三人を、全て香港マフィアの抗争によるものとしたのである。  白いBMWが首都高速を百五十キロ近い速度で走って行く。ハダもショウも負けじと追従した。ハンドルに重圧がかかる。ちょっとでも気を緩めると、首都高速のサイドネットを突き破って外に飛び出してしまいそうである。後方でパトカーのサイレンが聞こえる。どこかの入口から入って来たのだろうが、追いつけるはずもない。やがてBMWは首都高四号線へと分岐し、いよいよ新宿という手前、代々木出口を過ぎた直後の大きなカーヴで曲がり切れず、バランスを崩し、側面のコンクリートに車体を擦らせ、バーストしながら火花を散らし横転した。恐らくドライバーは即死。運転席が潰れている。それを見たハダは黒いセダンのクラクションを目一杯三回鳴らし、BMWの脇をすり抜けた。ショウはそのクラクションを聞きながら、車のスピードを緩め、大破したBMWの手前で停車し、救急車を呼んだ。ハダの車はすでに見えなかった。やがてBMWが炎に包まれた。後続のパトカーの追走を阻むかのように燃え上がった。遠くでサイレンが聞こえた。  ハダはルームミラーで追手が来ないのを確認すると、首都高四号線からそのまま中央自動車道に入り、調布インターで降りた。そして向かったのは調布市飛田給にある調布飛行場だった。ハダはこの日、いつでもフライトできるように小型のセスナ機を予約しておいた。目的地は大島である。空港駐車場に車を乗り捨てると、ターミナルに向かった。そして待機していたパイロットに合図した。 「一人、来れなくなった」  その言葉を噛み締めるように外を眺めると、一機の白いセスナ機が整備を終えて、夕焼けの空をバックに佇んでいた。 「出してくれないか」  陽が暮れる頃には、月が姿を現すだろう。夜のうちに大島へ飛び、すぐに現地の漁船で出発する。明日には公海上で、台湾の船と落ち合うことになっている。あとは海路を台湾に向けて進むだけだ。しかし、本来ならその隣にはニッタジュンコがいるはずだった。こんなことになるなら別れずにずっと共にいて、逃避行でも何でもすればよかったのだ。唇を噛んだ。彼女のことだけは心の底から愛していた。  漆黒の海原を、紅い月が照らしていた。                             (了) ※最後までお読みいただき誠に有難うございます。第四章「虫たちは明日を目指す4 夜光虫」からは「ノベルデイズ」にて連載しております。宜しくお願いいたします。                            ワダヒロタカ
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