五十八話 ヤクザと警察官

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五十八話 ヤクザと警察官

 クリスマスに始まった月郎との関係は、春を過ぎ夏を過ぎようとしていた。裁判の日以降、様々なことが変わった。月郎は正式に構成員ではなくなり、表を歩けるようになった。最も、裁判の内容を知っている人間もいるので、好奇の目はある。だが、ようやく手に入れた穏やかな日の前では、そんなものは些細なものだった。  堤と月郎は相変わらずあの狭いアパートで二人で過ごしている。時折、瑞希が遊びに来たり、上田が飲みに来るようになったが。 「じゃーん。見ろや、ほれ」 「おおっ! 合格じゃん! すげぇ!」  月郎が書類を広げて見せる。月郎が手にしているのは「高等学校卒業程度認定試験」の結果だ。四月に申し込みし、八月に試験を受け、その結果が来たらしい。毎日頑張っているのは知っていたが、正直一回で合格するとも思っていなかった。素直に驚いている。 「次は大学入試の勉強や」 「マジか」 「当たり前や」  そんなに学習意欲が高いと思っていなかったので、堤は意外だと麦茶を啜りながら思う。月郎は現在、所有していた店をすべて手放してしまったため、無職である。職を探そうというつもりは今のところないらしく、日々勉強していた。月郎ならすぐに店の経営などは出来るだろう。資金については何なら佐竹を頼っても良い。だが、本人は大学に行くつもりらしい。 「俺な、先生になろう思って」 「は」  驚いて、目を丸くする。 「なんや、おかしいんか」 「いや、そうじゃないけど……」  もしかしなくても、自分の影響なのだろうと思うと、何だか気恥ずかしい。月郎が享受できるはずだったものを渡したくて教えただけだったが、思った以上に大切に思ってくれていたらしい。 「ま、教員免許取れたとしても、俺を雇ってくれるところなんかあらへんやろけどな」  背中に刺青が入っているし。そう言って、月郎が笑う。 「……どっかあるさ。私立とかよ」 「せやな。前向きに考えるわ」  日の下を歩くことを決めた月郎は、もう道に迷うことはないのだろうな、と堤は思う。フッと笑って、月郎の髪を撫でた。 「そっか……。実は、俺も辞令もらってさ……」 「え」  懐から、書類を取り出す。上田からも言われていたが、このまま派出所勤務にはならないだろうと。もしかしたら四課に異動だったらどうしようと、ひやひやしながら受け取ったのだ。何しろ、継ぐ気はないと言っても堤の扱いは『佐倉組四代目』である。今も鮭延たちに合うと「四代目」と呼ばれるので困っているのだ。呼ばれるたびに月郎から睨まれている。 「辞令って、異動ゆうことか? もう交番勤めせえへんの?」 「ま、そうなるわな」  ぴらっと、書類を月郎に向ける。 「――音楽隊?」 「マジで。ラッパなんか吹けねーよ! 想定外だよ!」  捜査四課だったら嫌だな、と思っていたら想定していなかった音楽隊への異動である。なんでも空きが出たとかなんとか。配属も交番から内勤に変わり、普段は警察署での仕事をし、音楽隊としての仕事がある時と練習時間はそちらに集中する形になる。 「まあ、でも今まで見たいな働きかたじゃなくなるわ」 「よかったやんか。ええ仕事やわ」  笑顔で微笑み、月郎が肩を叩く。 「ま。そういう訳で、一応本を買って来た……。すっごい不安」  やさしいトランペットなる本を書店で購入してきた。一応トランペットの本を買ったが、モノにならなかった場合は別の楽器になるそうだ。いずれにしても不安しかない。 「演奏するときは観に行かせてな。瑞希も誘うわ」 「おー、ま。頑張るわ」  言いながら本棚に買ってきた本をしまう。今すぐ眺めても現品がないので練習のしようがない。本番は異動後からだ。 (なんかこの本棚も、少しきつくなってきたな……)  堤は月郎が来てからいちゃつくばかりで、読書の習慣が殆どなくなってしまったので、新しく増えた本は月郎のものだろう。何気なく、見知らぬ背表紙を手に取る。 「あっ!」  月郎が気が付き、慌てて手を伸ばした。 「は?」  本を手に取った瞬間、中からなにかがするりと抜け落ちた。畳の上にバサッと一万円札が落下する。 「え――」  嫌な予感に、堤は他の本に手を伸ばした。月郎が「やった」という顔で頭を抱えている。 「何だこれ。こっちも、こっちも!?」  本に偽装して、札束が置かれている。堤の記憶にある本も、中身が切り抜かれ札束に入れ替わっていた。 「お――まえっ!?」 「あー、バレてもうた。めっきり本なんか読んどらんから解らんと思ったわー。移動させておくべきやったなァ」 「このっ……、おい! クソヤクザっ! どういうことだ!」  大量の札束に、堤は青くなる。どこから持ってきた金なのか知らないが、数億円はありそうだ。どう考えても綺麗な金だと思えない。 「知っとるやろ? 国枝の隠し金」 「――っ」  確かに、記憶にあった。上田の話では十億はあるだろうという話だった国枝の消えた金は、結局見つからなかった。月郎が差し出したのは帳簿だけだ。 「おま……バレたらどうすんだっ!! せっかく執行猶予ついたのに!」 「それや。まさか執行猶予がつくとは思わなくてなァ。金はあったほうがええやろ? 国に没収されたらどうなるか解ったもんやないわ」 「――」  ケロッと言い切る月郎に、堤は頭を抱えた。畳に落ちた一万円を見下ろし、途方に暮れる。 「大変だったんやでー? 少しずつ移動させてなァ、お前の家の本棚に収納するの。まーくん全然気づかへんもん。笑ってもうたわ」 「まーくん言うなっ!!」  苛立つが、今更「ここにあります」などと言えるはずがない。憎らしい気持ちはあるが、月郎を手放す気は堤にはないのだ。 「――くそっ!」  乱暴に札束を掴み、本の中へ押し込み本棚へ突っ込んだ。見なかったことにしよう。 「これは封印だ。良いか、絶対に使うなよっ!?」 「わかってるって。俺も塀の中は嫌やからなァ。ま、インテリアだと思うわ。十億円の」  眩暈がしそうだ。 (あとで鮭延に、どっかの施設に送り付けてもらおう……)  分散して少しずつ寄付してしまえば、足取りはつかめないだろう。どうやらまだまだ佐倉組の手を借りることになりそうだ。少しだけげんなりする。 「まァ、まーくんってばここで黙っちゃうんやから、汚職警官は相変わらずやなァ」 「誰のせいだっ! 誰のっ!! この、クソヤクザがっ!!!」  月を欲す  完
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