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「まもなく、有明浜、有明浜です。お降りの際、お忘れ物にご注意の上、一番前のドアよりお降りください。お出口は左側です」  ワンマン放送テープの女性の声が響く、1両編成のワンマン列車の車内。乗客の数は、一見するにざっと10人以下といったところか。それも、自分以外は殆どが沿線在住と思しき高齢者の姿であり、20歳の大学生である自分の姿が浮いてしまっている。陽気に会話する高齢女性達の姿があるのに、この列車の雰囲気はどこか物寂しさが漂っていた。  プシューッと空気の抜ける音と共にドアが開かれる。私は列車乗務員へと切符を渡してホームへと降り立った。 「ここが有明浜駅か・・・・・・」  僕はぽつりと呟いた。照りつける初夏の日射しが僕の肌をじわりと焼く。  その背後で列車のドアが閉められ、豪快なエンジン音を出しながら次の駅へと向かって列車が走り出した。ガタンゴトン、プワン。段々と小さくなっていくその姿は、暫く走った先の左カーブを曲がっていよいよ見えなくなる。  見えなくなった列車から視線を外し、改めて降り立った駅を見渡してみる。列車のいなくなった駅では、ホーム目の前にある浜辺に打ち寄せる波の音と遠くの空を飛び交う海鳥の声が響いていた。  この駅近辺出身だという知人が、旅行好きな僕に勧めたい駅があると言って勧めてきたのがこの駅だった。海辺の静かな駅で雰囲気が良いんだと友人は嬉々として語っていた。最初こそ、お国自慢の類いだろうと適当に聞き流してい僕僕だったのだが、いざ訪れてみると、なるほど、確かに彼の言うとおり、雰囲気は落ち着いていてとても良い駅である。  ホーム上には殆ど上屋が架かっておらず、こぢんまりとした上屋の簡素な待合スペースがあるだけだ。雨の日は不便だろうと思う反面、その小さな上屋と広々とした青い空の対比が空の広さを感じさせるのに十分な役割を果たしている。また、ホームのすぐ後ろには青々とした海が広がっていた。駅と海との間を隔てる物は何も無い。ホームのすぐ後ろから、砂利の転がる遠浅の海岸線が続いているのだ。干満の差の大きいこの海は、私が訪れたときには満潮に近い時間帯だったらしく、海岸線の砂利の多くはその青い海の底に沈んでいたことで、より海辺の清閑さが強調されていたと思う。  僕は背負っていたリュックサックの中からカメラを取り出すと、その海辺や駅の様子を暫し写真に収めた。誰もいないホームの上で、カメラのシャッター音が高らかに鳴り響く。一言も言葉を発さず、ただ静かに写真を撮り続ける。無の境地。これが写真を撮る心地よさを直に感じる方法だ。  そして、何枚か撮り終えた所で深呼吸。すぅ、はぁ――。澄んだ空気と潮の香りが私の体へ流れ込んでくる。初夏の清涼感が体中を駆け巡り、開放的な心地よさに暫し心が溶け込んでいた。  心行くまで撮影を楽しんだ所で、簡素な構内踏切を渡り、駅舎の方へ向かうと、改札口のラッチの所で若い女性の駅員が僕にニコッと微笑んだ。 「ご利用有り難うございます。そして、ようこそ有明浜駅へ」  制帽を被りスーツに身を包んだ、凜々しく気品のある姿。蘇芳色のネクタイに付けられたネクタイピンが、日射しを反射して眩しく輝いた。地方の小駅に似つかわしいとも似つかわしくないとも言えぬ、その垢抜けない姿から向けられる明るい笑顔に、思わず胸がドキッと鳴る僕。初心な僕は照れ笑いを浮かべながらペコペコと何度も会釈し、駅員もまた微笑ましそうに私を見つめていた。 「ホームでずっと撮影されていらっしゃいましたが、この駅のことお気に召していただけましたでしょうか?」 「えぇ、とても良い駅です。海の近くの静かな駅。何と言うか、こう世界が自分一人だけのものになったかのような、特別な気持ちになるというか、その晴れ晴れとするというか・・・・・・とにかく居心地が良くて!」  辿々しい口調で必死に魅力を伝えようとする僕の姿が面白かったのか、駅員がクスクスとあどけない笑みを浮かべている。 「うふふ、お褒めにあずかり光栄です。駅員としてとても喜ばしく思います」  暫く駅やこの町のことについて談笑した後、駅員は僕に問いかけた。 「そういえばお客様は学生さんですか?どちらから来られたんですか?」 「えぇっと、東京からです。東京の方の大学に通っているんです」  僕が答えると、駅員は驚いたように一瞬目を大きく見開くと口を真一文字に閉じた。その口元に手を当てながら駅員は考え込む。間もなく再び口元を緩めた駅員は、穏やかな笑みを見せながら会話を弾ませた。 「――そうなんですね。実は、私もちょっと前までは東京にいたんですよ」 「へえ!そうなんですか!」  先程までの談笑の楽しげな気分のまま答える僕。 「えぇ、まあ・・・・・・」  そう答えた駅員の顔は、照れ臭そうに笑っていた。私の5歳上だと話していた駅員の顔は、幼い子どものようなあどけなさを見せる一方で、どこか心中が靄がかっているような寂寥感のような雰囲気も帯びていたように見える。  僕は踏み込んだことを聞いてしまったものだと、後ろめたさを覚えた。 「あ、えっと、その・・・・・・」  決まりが悪そうに言葉を詰まらせる僕の様子を見て、駅員はハッと我に返ると優しく落ち着いた声で僕を宥める。 「あ、いえいえそんなお気になさらずに。何だか気を遣わせてしまって、こちらこそ申し訳ありません」  脱帽し深く頭を下げる駅員。その眼前で、僕は当たり障りない回答を心がけようとして、どう答えたら良いものかと困惑し狼狽える。そんな自分の姿を見たことで、駅員の中で心配が増してしまったのかもしれない。  駅員は左腕に巻いた小さな腕時計を一瞥すると、小さく息を一度吐いて、穏やかな表情で僕の顔を真っ直ぐに見つめながら提案した。 「あ、そうだ。折角ですし、駅の事務室で次の列車が来るまで休まれていきませんか?幸い、窓口の営業も丁度終了する時間帯ですし、それに今日は結構暑いですからね」  僕も腕時計をチラリと一瞥すると、既に夕方16時を回っていた。窓口のガラスにも『営業時間7:00~16:00(昼休み12:00~13:00)』の文言。確かに窓口営業が終わっているとは言え、その後の事務処理等の存在も当然あるだろう。業務の邪魔にならないかと考えた僕は、駅員の提案に難色を示す。 「しかし、お仕事の邪魔では・・・・・・?」  恐る恐る問いかけた僕に対し、彼女は丸い目でパチクリと何度も瞬きしながら僕を見つめる。そして、フフフと小さく笑みをこぼすと、優しい声色で僕に答えた。 「いえいえ、お客様に心地よく利用していただくのが私たちの使命ですし、それに東京からわざわざ来ていただいた訳ですから、何らかのお返しをしたいと個人的に思っておりましたので」  屈託の無い笑顔を僕に向ける駅員。その彼女の朗らかな表情を見ていると、とてもではないが彼女の気持ちを無下に出来るはずが無かった。僕は遠慮しがちに駅員に問いかける。 「その、本当によろしいのです?」  駅員は顔色一つ変えず、すぐに首を縦に振った。 「では、お言葉に甘えて――」  僕は駅員にそう返答すると、駅員はニコッと口角を上げて、駅の事務室へと導いた。カラカラと事務室入口の引戸を開けて、僕は駅員と共にその中へと入った。夕方16時10分頃のことだったかと思う。  駅事務室の中は、整然と物や書類が置かれる一方、壁には無数の業務通達が貼られる等して、駅員業務の煩雑かつ多忙な様子が垣間見えた。机上の小さな棚の中には無数の乗車券や回数券が置かれ、その棚の横にはそれら乗車券類に押すためのものと思われる印鑑が多数置いてある。  机の上に置かれたパソコンには、何やら難しそうな業務資料。恐らく売上やら利用者数やらを記入する日報の類いだろうとは思うが、その辺りは詳しく分からなかったし聞くつもりも無かった。  そんな事務室の端にある木製の外開き扉を駅員は開ける。 「どうぞ、こちらへ。散らかっていて申し訳ないんですけど」  恥じらいつつも、駅員は扉の先の小部屋へと僕を招き入れた。言われるがまま部屋に入ると、そこは小さな畳敷きの座敷だった。長年使い込まれているであろう卓袱台や本棚が置かれ、本棚には新旧様々な漫画や小説など大衆娯楽の本が綺麗に並んで立っていた。つまりは、来客向けの応接室というよりは休憩室である。  靴を脱ぎ、畳の上に遠慮がちに正座する僕。 「あらら、そんなに遠慮されなくても良いんですよ」  と笑いながら、駅員も畳の上で横座りになり、卓袱台の上に置かれたポットから急須へとお湯を注いだ。お湯の入った急須を湯飲みへ傾け、僕と駅員の二人分のお茶を用意する。 「あ、あぁすいません」 「良いんですよ、お気になさらず」  そう言いながら駅員は私にお茶を差し出すと、手元に置いていた自分の湯飲みを持って、一口、それを啜り飲んだ。ふぅと微かにため息が漏れる。  緊張感がいまいち拭えていない僕も、徐に湯飲みへ手を伸ばす。スススと一口お茶を啜り飲む。初夏に飲むには少し熱いが、何とも落ち着く優しい味わいのお茶だ。香しい風味が鼻腔をくすぐり、カチコチに固まっていた僕の心を柔らかく蕩けさせていく。僕の口からもホッと息が漏れ出た。  ふふふと小さく笑いながら、駅員は僕の様子を見つめる。 「お茶菓子もあるので、どうぞ食べちゃってください」  小さな子どもをあやすような口ぶりで、駅員は僕に促した。 「あ、じゃあ――」  断る理由も無いので、早速僕は栗饅頭を一つ口に入れた。  しんと静寂が包む座敷。古びた空調の音と柱時計の音が、この狭い空間の物寂しさを助長する。僕が頬杖を突いてぼうっと呆けながら、お茶を啜ったり卓上の茶菓子を頂いたりしつつ、レースカーテン越しに窓の外を眺めていると、その静寂を破るように、駅員はぽつりと呟くように言った。 「あの、お客様は先程のこと、まだ気にしていらっしゃったり・・・・・・?」  僕はハッと目が覚めたように体を起こすと、慌ててそれを否定しようと何度も首を横に振った。そのぎこちない動き、やっている自分でも嘘をつくのが下手だと痛いほど感じさせられる。全く自分という奴は、と内心落胆していた。  そんな僕のことを見ながら、駅員は大きなため息をついた。 「まあ、そうですよね。いきなりあんな顔されたら、ね」  駅員は乾いた笑いを見せ、物憂げに淀む。その直後、何かを決心したかのように小さく首を縦に振ると、駅員の口は徐に開いた。 「――うん、これも何かの縁かもしれません。折角ですし、私がどうしてここで駅員の仕事をしているのか・・・・・・あまり面白くないし長くなると思いますけど話しましょうかね・・・・・・?」  唐突な提案だったが、僕は迷わず首を縦に振った。  彼女は少しばかり気恥ずかしそうな顔をしながら、囁くような小さな声で語り始めた。 「これは、私が子どもの頃からの話なんですけどね――」
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