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◆  水上という地は町中からバスを途中で一回乗り継ぎ、合計三時間弱ほど行った場所にある。  山間の集落で、山を挟んで隣の県と接している。母から話は聞いていたが、梓も訪れるのははじめてだった。  バスを降りた梓は目の前の風景に絶句した。  見渡す限りの畑と水田。すぐ近くには緑の眩しい山がどん、と構えていた。すう、と息を吸い込むと草の匂いがした。  雄大な自然、のどかな風景。といえば聞こえがいいが、梓に言わせてみれば。 「なにもない……」  この一言につきる。  コンビニやスーパーはもちろん見当たらない。かろうじて車は走っていたが、それもまばらだった。町中で育った梓にはちょっと信じられない光景が広がっている。 「まさかここまで田舎だったなんて」  母に大丈夫だ、と宣言はしたものの、若干の不安がよぎる。自分の知っている風景とあまりにも違いすぎた。  制服のポケットからメモを取り出した。地図と、例の親戚の家の住所が書かれていた。  知らない場所だから、と念を入れ、梓は地図に目を落とした。その時。 「えっ……」  ごおっ、と突風が吹いた。口の中にじゃり、という感触が広がる。未知の味がした。  たぶん隣の畑の土だ、これ。  突風が収まり、梓は息を吐いた。一瞬で大ダメージを食らった気分だ。砂粒に襲われた目を右手でこすり、はたと動きを止める。  なんだろう、違和感が――。 「地図!」  急いであたりを見回してみるが、紙きれの一枚も落ちていない。アスファルトの道も、両脇に広がる水田も、畑も、嫌になるくらい綺麗だった。  どうしよう、これ。  かろうじて尋ねる家の名前くらいは覚えている。それでも、家を特定するには難しそうだ。  一瞬の記憶を必死にたどりながら、梓は視線を北に向けた。三叉路があった。……確か、左に赤い矢印が引かれていたはず。 「行くしかない、か」  私の勘、頼んだぞ。  ぴーひょろろ、という鳥の声を聞きながら、梓は坂道を上り始めた。
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