山下京子、生物教員28才只今授業中。

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山下京子、生物教員28才只今授業中。

「えーっと、瞳から眼球に入った光は、水晶体を通って、像を結んで網膜(もうまく)に当たります……」  私、山下(やました)京子(きょうこ)はそう言いながら眼球の模式図を黒板に描いた。    静かで、()だるい午後の授業。高校3年、理科系クラス。生物Ⅱの授業。  3分の1の生徒は寝ている……。  さらに、網膜の模式図を書き足している時。  ドサッ  床に本が落ちる音がした。  振り向くと男子生徒が、慌てて本を拾い上げている。  教科書ではないようだ。 「ど、どうしたの? 大丈夫?」  数冊が落ちている。それとなく男子生徒に近づいた。 「なんちゃでないって」  その男子生徒、吉田(よしだ)弘樹(ひろき)君は、私の顔を睨んで、本をかき集めている。漫画の単行本だ。 「あら、吉田君、そ、それって漫画本じゃないですか。今は授業中ですよ」  私は、できるだけ穏やかに言った。 「わかっとるって。先生の授業はおもんないけん。勝手にやっとって」  吉田君は、シッシと言わんばかりに掌を振った。  おもんない……。讃岐弁(さぬきべん)で面白くない、つまらないということだ。  私なりに分かりやすい授業をしようと工夫をしているのに。その言葉は心外である。いつもの私なら、「もうやめてね」の一言で無難に終わらすのだが、今日の私は少し感情的になっていた。思い切って、吉田君の手から漫画本を取り上げた。 「い、今は、じゅ、授業中です」 「なんすんや! 返せや」  立ち上がって睨みつけて来る。  吉田君とは、目を合わさないようにした。おびえている自分を押し隠し、漫画本を3冊持って教卓に戻った。 「せんせー、返して―。もう読まんけん」  今度は、泣き落としだ。返せばまた読むに決まっている。どうせ私の授業は『おもんない』から。
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