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「ふう……」  針を刺した痛みが、やがて全身に行き渡る快楽へと変わっていく、その切なく危うい瞬間を確かめるかのように、カオリは深いため息をついた。注射器をテーブルに置き、血管を浮き出させるために腕に巻いていたゴムを、「べりっ」と外す。そういった一連の動作が、なにげなくスムーズに出来ていることから、カオリにはそれが「当たり前」の所作なのだろうと感じられた。 「史郎(しろう)もやる?」  半ば朦朧とした目付きになったカオリにそう聞かれたが、俺は首を横に振った。今時、注射針でヤクを打つなんて20世紀の遺物のような接種をしている奴など、滅多にいない。それは、それだけその薬物が「ヤバいもの」であると、証明しているようなものなのだから。  俺は、自分が用意して来た小さく丸い錠剤をシートから押し出し、舌の上に乗せた。これを噛まずに、喉の奥へ一気に押し込むのが「通」のやり方だ。慣れてない奴は上手く飲み込めずに、途中で錠剤を喉に詰めたりしてえらい目に逢ったりするが、俺はこのやり方が得意だったし、気に入っていた。何より、ブツを自らの手で、自分の中に「取り込んでいく」という実感があった。  途中で詰まることなどなく、胃の中へ達した錠剤は、すぐに胃液に溶けて、その内容物を四方の胃壁へと染み渡らせていく。俺のお気に入りのこのブツは、溶けるのが速く効果が瞬時に現れるという「即効性」が売りで、俺はこの即効性が気に入っていた。  胃の中で「しゅわああ……」と溶けていく感覚、これは錠剤の製作者が「そう感じるように」と故意に内包させた効果らしいが、それでもかまわないと俺は思っていた。これだけ「ヤク」を接種することが当たり前になった世の中に於いては、少しでも他との「差異」を作ろうと考えるのは、当然のことだと言えるだろう。そんな「気の利いた効果」を作ってくれた製作者に感謝こそすれ、文句を言うつもりなど更々なかった。
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