15.【最終話】黒い森のさくらんぼケーキ

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15.【最終話】黒い森のさくらんぼケーキ

結局、食べられる覚悟をしたものの薫は僕を食べはしなかった。 翌朝ベッドで目が覚めると、体中がズキズキと痛んだ。起き上がって腕やお腹を見ると、あちこちに噛まれた痕がある。指には絆創膏が巻かれ、腕や脚にはあちこちにガーゼが当てられていた。 昨夜獰猛と言って良いくらいに僕を求めてきた薫を思い出すと、頬が熱くなる。しかし、手当されているのを見るに彼は冷静さを取り戻したようだ。 ――昨日噛まれた時は、どこもかしこも気持ちよかった……。 「俺たちフォークの唾液には痛覚を麻痺させる成分が含まれてる」と彼が言っていた。だから、フォークに捕食されてもケーキ側はその最中に痛みを感じない。むしろ「快感の中で絶命するだろう」と――。 昨夜彼に貪られた唇が今は麻酔が切れたみたいにじんじんする。そっと指で触れると、口の端にも絆創膏が貼ってあった。 行為中に「ケーキの身体の中でも血の味が一番美味しいんだ」と彼は言った。僕の背後から腰を打ちつけながら、彼は首筋や背中を噛み、滴る血を舐め取った。 血液と並んで精液もまた美味なのだという。僕に「血を飲みたい」と言うわけにいかないから、今まで彼は僕の精液を舐めて喉の渇きを癒していた。 「唯斗、目が覚めた?」 「おはよう」 寝室にやってきた薫が心配そうな顔で言う。 「傷が痛むだろう。これ、痛み止めだから飲んで」 彼は水と薬を持ってきてくれていた。 「ごめんね、噛み痕を残してしまって……もうこんなことはしないから、許してくれ」 薬を飲んだ僕は再びベッドに寝かされた。絆創膏が巻かれた僕の指にキスしながら彼が言う。 「二度としないって誓うから――お願いだから俺を見捨てないで」 「薫……顔を上げてよ」 僕の手を握ったまま俯く彼の頬を反対の手で撫でる。すると彼がようやくこちらを見た。 「ねえ薫、僕嫌じゃなかったよ。薫が求めてくれて嬉しかったんだ。だからもうしないなんて言わないで」 「唯斗……」 「今はちょっと痛むけど、こんな傷すぐ治るよ。それより、僕はまた薫に抱いてほしい」 気持ちよかったから、と僕が囁くと彼の瞳が揺れた。不安げな中に、うっすらと欲望の影がちらつくのが見えた。 「僕は薫の物だよ。だから好きにして」 「そんなわけには――」 「その代わり、僕以外の人間を傷つけるのはやめると誓って」 「唯斗、それは約束出来ないよ。狙われてるのは君なんだ」 「継母の目的は、弟を後継者にする事だよね。それなら、僕がこの国から消えればいい」 「消える?」 「二人でもっと遠くへ行こう、薫」 彼が不思議そうにこちらを見ている。 「アジアにはフォークがいるかもしれないから――北米とか、ヨーロッパはどう?」 「ヨーロッパ? そうか……唯斗の身体が丈夫じゃないから遠くへは行けないと思っていたけど……命を狙われるくらいならその方がマシか……」 「そうだよ。海外まで行けば継母もわざわざ追っては来ない。ね、良い考えでしょう?」 「だな――何で今まで思いつかなかったんだろう」 薫は父の依頼でフォークのための施設を管理しているし、海外に行くなど思い付きもしなかったようだ。彼は口元に手を当てて少しの間考えた後に言う。 「それならドイツにしよう」 「え、なんで?」 ドイツ語なんて話せないけど……。 「唯斗の好きなフォレ・ノワール――黒い森のさくらんぼケーキだよ。あのケーキの元になった黒い森って、ドイツ南西部の森のことなんだ。さくらんぼの産地でね」 フォレ・ノワールというのはフランス語呼びだ。本場のドイツではシュバルツヴェルダー・キルシュトルテと呼ばれるが、我が国ではフランス語呼びの方が一般的だ。 ココア味のスポンジ生地の間に生クリームとさくらんぼのコンポートが挟まれる。上部は降り積もる雪のように生クリームでデコレーションされ、さくらんぼと木葉を模したチョコレートが乗っているのが定番だ。 スポンジにもキルシュが染みていて、甘いだけじゃなくほろ苦い大人の味がする。 「俺は唯斗の血と精液の味が好きって言っただろ? 実はキルシュに漬けたさくらんぼの味にそっくりなんだ。飲むと酔っ払いそうになるくらいにね」 そう薫に耳打ちされ、恥ずかしくなって話題を変える。 「そ、そういえば薫。どうして料理があんなに上手いの? 味がしないはずなのに」 「それは君の好みに合うようにグラム単位で調味料も材料も計っているからね」 「じゃあ、コンポートも?」 「唯斗が笑顔になるさくらんぼと砂糖の割合が決まってる。でもフルーツを使った料理は糖度にばらつきが出るから、糖度計も使っているよ」 「そうだったの……」 徹底したそのやり方は几帳面な薫らしかった。めんどうくさがりの僕には真似できそうにない。 僕は料理をしない。キッチンに入ることもほとんど無いから薫がどうやって料理しているのか全然知らなかった。そのことを詫びると薫はむしろ嬉しそうな顔をした。 「唯斗は何もできなくていいんだよ。俺が何でもしてあげる。そのために俺がいるんだからね」 ◇◇◇ その後久々に父に会って僕が全てを知ってしまったことを話した。海外で暮らしたいと言うと、すぐに渡航を許可してくれた。ビザなど現地での居住に関することは全て父が手配してくれた。 父は薫が僕のためなら何でもすることを知っていた。そしてお互いがお互いの存在無しでは生きていけないことも。 実母にそっくりな僕を父は昔から可愛がってくれていた。だけど、それと同時に薫や僕のような人間が早くこの世から去ることを願ってもいるだろう。その意味でも、薫が僕と共に生きることに異論はないのだ。 ケーキやフォークの性質が遺伝するのかはまだはっきりとはわかっていないそうだ。いずれにせよ同性同士であり子どもができる心配のない僕たちの関係は、父にとっても好都合だろう。 僕は今ドイツの南西部、フランスのアルザス地方との境目附近に住んでいる。 天気の良い日は黒い森を散策し、パドルボートを借りて美しい湖からの眺めを楽しむ。おとぎ話の挿絵みたいな、小さな町のワイナリーでワインをテイスティングするのも良い。僕はこちらに来てすっかりお酒好きになってしまった。お酒を飲むと僕の味が変わると言って薫が喜ぶのだ。 僕の身体も心も全て薫のもの。そして、薫は僕のためならなんでもする優しい恋人だ。 今日も僕は砂糖漬けのさくらんぼのように彼に甘やかされている。 〈完〉 ーーーーーー 最後までご覧いただきありがとうございました。 ケーキバースという世界設定があると知って興味を持ち、自分なりの解釈で書いてみました。(薬が原因、などは個人的な妄想で基本設定には原因に関する言及はありません) 元々ミステリ小説を読むのが好きなのです。かといってトリックなんて考えつかないのでなんちゃってミステリ風にしましたがいかがでしたでしょうか。 激甘でポップなテイストのケーキバースがトレンドだと思います。ですが、たまにはフォレノワールのようなお酒の効いたビターなお味も楽しんでいただければと……♡ 甘い生クリームの下に隠れた苦味、私はこれくらいの配分が好きです。 長編書いた後の息抜きとして好きなように書きました。イラストも自作しています。ケーキを描くのが楽しかったです。 ちょっとした補足の意味で薫視点のショートショートもご用意しています。スター特典にさせていただきますのでよければ御覧ください!
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