No More Lonely Nights.

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No More Lonely Nights.

「舜、気を使わなくて結構だから。私は、子供を一度産んでみたいだけなの、そうなの、」  浅葱菜々はまるでモデリストの肢体を何も纏わず、かいた汗もそのままに、真夜中のマンションの窓際に立っていた。  分かってる。菜々は同期のよしみで、俺のアフェアに付き合ってくれる。順番としては男性9人中の最後の交友関係だ。  菜々は何を怒ったままか、ずっと背中をこちらに向けている。俺のデリカシーの無さは言葉に出ずとも、何かに癇に障るだろうから、これが最後かと思う。  彼女菜々は、人口子宮のAround 3βで育まれた類戸籍者に当たる。類戸籍者は、2047年の人口子宮運営開始から、今や世界人口の24%に当たる便宜的に進化した人類だ。  遺伝的なもつれは、徹底的なデザイナードを受けて解消され、容姿・思考能力・身体能力は極限を掴もうとしている。  ただ、寿命がどうしても短い。そして、今も判読難儀な抗体遺伝子を外されている為、ゼロレス症候群と言う、ほぼの感染症に弱く、まま生命を終える。  何よりは、同じ人間の筈なのに。男女共に着床しての出産率は0.03%に止まり、得も言われぬ絶望感の深く囚われている。  先方的な科学学者の一次解はこうだ、同じ遺伝子を持つもの同士が交配すると、深刻な病理を発生するかもしれない為の、種の保身が始まっていると。ここに宗教学者も合流するが、生命の尊さが最大に論議され、最終解答が定まっていない。  残りの世界人口の構成の76%を占める主戸籍者には、どうしても共有出来ない事はある。  俺は、菜々にいつからそんな視線を送ったか分からないが、これ以上耐えれない事はどうしてもあろうと、自省しかない。  菜々は涙声を隠してPaul McCartneyの「No More Lonely Nights」を歌う。俺は何かを言おうとしたが、菜々が頬を拭い、俺に被さり、不器用な接吻を送る。  そして菜々は、いつもはしない前戯を進み出て、こんな事も出来たのかと、ディープスロートを長く奉仕してくれた。その前戯の甲斐有ってか、いつより迸りが強く、菜々は俺のスキンをパチンと外す。菜々は、いつもの様に愛おしく精液を見つめては、俺の男性自身を丹念に拭ってくれた。  この先ピロトークは、上がりも下がりも無いミュージックライブアーカイブの話題に至って、互いの静かな寝息を聞いて朝を迎える。  菜々は、今朝は珍しく朝食迄付き合った。言葉少なげも、俺の部屋を後にして、同じマンションの上階の部屋に、何処か寂しげに戻って行った。  菜々は、背中で深く何か語っていた。渇いた関係では出ない、愛、の言葉が浮かんだが、俺は9番目と戒めては、自ら打ち消した。これが俺の深い印象に残った。  菜々はこの後一週間きっかりに、紛争地に徴兵される事になった。その事を知ったのは、その週の金曜終業後の夕礼での自らの挨拶だった。  菜々、そこ迄他人行儀かと思ったが、俺はなけなしの一言を送った。無事で帰ってきてくれ。菜々は勿論よと。淋しげな表情を隠しもせず、短くも長い別れとなった。  §  俺としては菜々と付き合っていたとは思っている。それが9番目としても。それがこんな徴兵での別れとは心の置き所がまるで無く、退社後のいつもの大須商店街のボクシングジム:蜂須賀プロフェッショナルスポーツで、気持ち漫ろに、つい思い出に耽る。  そもそも、俺は女性との交際経験が少な過ぎるから、動揺しているのだ。  俺が初めて付き合ったのは、故郷多治見市の高校2年時に白子裕巳とになる。彼女も類戸籍者で収容先のマザーハウスから学校に通っていた。  その容姿は、類戸籍者ならではの高校一の美人さんでは無く、ショートヘアーのスタイリッシュな麗人で、好みは真っ二つに分かれる。  そんな裕巳とは、運動会の1万メートルで競争相手として仲が深まった。高校を外周している内に第二集団で一緒になり、彼女がふわりと声を掛けてきた。舜君が優勝したら付き合っても良いよと。俺は照れ隠しで猛然とスピードを上げた。  それは心が揺れたからだ。裕巳は容姿端麗に頭脳明晰でAクラスにいた。伝え聞いた裕巳の酷い話として、教師の最低3人と付き合ってモーテルに入る所も見ているから、Aクラスよねの女子の影口。そして屈強先輩との何れともの噂。  俺は衝動のままに駆け上がり、第一集団トップになっていた。そして校内のトラックに入った時、裕巳のご褒美、いや優勝、の確信を誇った時に気付いた。浮かれている俺の傍にはずっと裕巳がいた。  そう、俺は裕巳びペースメーカーだったのかと、やっと気付いた瞬間に、ゴールテープは裕巳が胸で鮮やかに切った。  まあ俺も中々頑張ったし、良いかになったが。歓喜そのままの裕巳が、俺に無邪気に抱きつき、衆人環視の中で、あいつらはそう言う事かの自然な流れになった。初めて話して、仲が良くなったのは、ついさっきなのだが、男子としては純粋に嬉しかった。  その日より、徐々に距離を詰めてのキスハグ。そして俺の誕生日に、実家の日比野ぶどう農園で長いキスの後に、舜今日しかないよで、誰もいないぶどう農園の休屋で、初めての情交に望んだ。  まだ陽は出ており、俺達はごく自然に裸になった。俺はやや筋肉質に、裕巳もほぼ似た様な体型で男性自身が付いていない女性かだった。  俺はこの目で初めて見る裸の女性に衝撃を受けた。男子の回し読みで回って来た、昭和の復刻エロス本とまるで違う。  俺は、口では綺麗だを言おうとしたが、もう裕巳のペースにはまって丸め込まれた。裕巳は、俺の何気なく萎んだ男性自身も優しいジョブで勃たせては、その後も裕巳の指南で、人生で印象の強い初めてを迎え済ませた。童貞卒業おめでとう。そして誕生日おめでとう。と微笑みのまま祝われた。  その後は、俺が裕巳の清らかな肢体を見て動揺したのを悟られてか、情交は何かにつけての記念日でしか、ぶどう農園の休屋でアフェアを過ごせなかった。これは卒業が迫る1月迄、無邪気な裕巳がよく付き合ってくれたなとは思った。  そして裕巳との別れが来た。白子裕巳の高校卒業後の進路に因むものだった。裕巳はベネズエラ独立共和国石油省の高級官僚に嫁入りする事になった。  小耳に入る類戸籍者の進路はその素養を持って、どう考えても従属的な奉公に上がってしまう。そして俺は、そうじゃ無い、強い口調で捲し立てるも、裕巳は強張った笑みで答える。 「舜君の言葉は嬉しい。でもね、耳に挟んでいると思うけど、噂の9割は本当。ここは聞き返さない舜君もどうなのかなよ。そう分かるように言わないと。私達、人口子宮の子等はどうしても好奇の対象なの。卒業後、進路でマザーハウスを出なくてはいけないから、行き場所があるだけ幸せだと思わないと。そして、ふふ、ぶっきらぼうな、、記念日での愛してるも有り難う。いつか振り返る時、しっかり、あの瞬間を何時迄も憶えているから」  長く愛情溢れるハグで、俺達はそれぞれの道を進んだ。卒業式後はこれからが漸くスタートと、互いの健闘を称えた。  俺は何て奴だった。駆け落ちを何故一回も考えなかった。もっと大人だったら。白子裕巳、裕巳、が過った時に、早縄跳びが全身に幾重にも絡んで、豪快に床を転げ回って、ジムの皆から大爆笑された。  ただ、その際の俺の涙は、昔の心の痛さから出たものだった。  二番目の恋人は、かなり間が空く。  俺は勉学しかない帝都の私立大学の履修をこなして何事も無く卒業。その後、実家多治見市の近くの都市圏、東海府名古屋市の保科広告宣伝社に就職した頃、淡い思い出が湧く。  この間が空いた期間は、恋愛にトラウマが生まれた訳では無く、初めての恋人白子裕巳の印影が大きかったからだ。でも人生とは、恋愛とはは、何度か巡って来て、如何に素直になれるかだった。  入社同期織田真砂子はただコケティッシュで、座の中心にいつもいた。俺の細マッチョに、本能で性交の最適化を感じたか、俺の右隣には気が付くと真砂子がいた。  入社早々から、保科広告宣伝社での結婚ブームが続き、二次会ともなると、俺の合いの手の相棒は真砂子に収まっていた。俺が天然のボケに、真砂子の精一杯のツッコミは、微笑ましいとの高い評判を得る。  その真砂子の積極さから、何度となく名古屋の豪邸に呼ばれ、普通に若き男性と女性の関係になった。情交の後の真砂子の親の反応としては、まあ若さなら止む無しと、俺にはやや冷めた印象だった。  真砂子と、いつも一緒にいるにはどうすれば良いかを思いあぐねたが、真砂子は既成事実しかないからと、天真爛漫に笑い飛ばしていた。  ただ、それも正式に付き合って、半年を超えた所で終止符を打った。  織田真砂子は、日本国内閣府の進めるマッチングリレーションである、生活研修期間に両親による縁者登録されて、98%の良縁確度で俺の知らぬ誰かと結婚する事になった。  この生活研修期間は戦時招集者の厚生待遇で、日本国の多子化政策を標榜したものだ。システムとは言え、自らの意思ではない縁者登録は横暴だろうは、恋人なら当然だ。  しかし。DNA情報に、家柄に、最大配慮されたマッチングリレーションの精度は高い。それに反して、いざ恋愛結婚しても、身体の相性が悪く少子化で家系が傾くならば、マッチングリレーションが良いと世相が傾倒して標準化している。  俺達は愛している筈と真砂子と確認するも。名古屋名士の両親に歯向かっては、将来はどうしても閉ざされてしまうだった。強引に結ばれても、私は耐えられるけど、舜さんは生き甲斐を残らず喪失する筈と、丁重に別れを切り出された。  その後真砂子は、生活研修期間のカリキュラムの前に、自己都合退社して、噂では東海地方大手銀行創業家の専務の子息と結婚して、懐妊したと聞いた。  日々真砂子の笑顔に包まれていたら、俺のスットンキョンも愛嬌ある顔に変わったかなと思ったところに。自らの右ストレートを見誤り、サンドバックの大激突を全身に受けて、仰け反り倒れた。  倒れてる中、皆にすっかり気を使われて注視されているのに、またも大爆笑を受けた。  ここでの笑顔は、真砂子の得意な口元の下がった苦笑いだった。  俺の余りにも心在らずで、2084年ギリシャオリンピック銀メダリストの九鬼プロフェッショナルスポーツオーナー:九鬼重房が、詰め寄っては、俺は心根そのものを話した。  保科広告宣伝社同期にして九鬼プロフェッショナルスポーツに共に通っていた浅葱菜々が紛争地域に招集されて、どうしても心の隙間が埋めようがないの、一つだ。  九鬼さんは言う。舜は菜々に、無理矢理連れて来られたから、今日まで温かく察するしかなったけど、ここで言える範囲で一から話して見ろよと。菜々はあれでも、誰かさんの事が気がかりになってるだけの時もあるぞと。  それはただ単に、俺がしゃらくさいと、菜々がムキになってるだけとも、果たして思うのだが。  同期浅葱菜々は、入社式その時からストレンジャーだった。  俺達の入社した保科広告宣伝社は、名古屋中央駅群を占めるJFRキャッスル7タワーズ内の中堅躍進の広告代理店で、クライアントの規模は手広くある。  その業績好調から厚生はかなり手厚く、独身寮は商業地域でも、直ぐに通える東山線伏見駅の一角のマンションを底値で買い取った。  そう、普通に地下鉄東山線で直ぐ隣の駅なのに、浅葱菜々はジョガーパンツで早朝いの一番に独身寮から駆け出す。浅葱菜々は一体何のアピールかが社内は騒然となったので、こういうのって付き合わないと行けないよなと。俺の類戸籍者への普段の優しさがつい出てしまった。  菜々が、独身寮を出る時間は決まって7時15分。国営放送の最新気象情報を見てからの出勤だろとは察した。  そして俺もジョガースタイルで伴走するも、菜々はやたらペースが早かった。菜々に早いと声を掛けるも、付き合うならとことんにしましょうと、都合75度切り捨てられた。  やっと追い抜いたある日、菜々から成り行きで握手を求められた。そして微笑まれた。それは今日迄の照れ隠しの優しさの序章だったと。今、菜々の退社後に、漸く知る。  俺のそのジョギング勝利の日の内に、夕方賑わう大須商店街の九鬼プロフェッショナルスポーツに無理矢理連れて来られた。この日より、何をどうしてか、俺がボクシングのバトルデビューさせられるのかとばかりに、相当なトレーニングを課せられて行った。  そして日々の頃合いを見計らった頃に、俺と菜々の初スパーリングになった。  俺は、菜々の最初の手数から恐れ、そして臆した。肘が女性特有の柔らかさと菜々の素養から、ジャブの連打が常人より2.5倍はある。俺は動体視力で追える限り全てガードし、受け続けた。それも第3ラウンド途中で、これ以上は危ないとテクニカルノックアウトを宣告され、同時に、俺は図らずも失神した。  次に目を覚ましたのは、夜の名古屋市内の歩道だった。俺は菜々の超筋肉質の背中の中にいた。くたくたの俺はいつの間に着せ替えられ、不甲斐なく背負われていた。  菜々は、俺が起きたのに気付いた。弱いけど良い動体視力を持ってると、背負っても微笑んでいるのが分かった。そして俺は不意に投げかけ、菜々の答えで、真っ赤になった。 「ええ、着替えさせたのは私よ。身ぐるみ剥いで、背負っては一緒にシャワー浴びて、汗を流したから。まあ同じソフトソープの香りはするわね。そうよ、何処にも痣は無いから、普通に、勤務でポロシャツ着れるわよ。まあ、あっちの事よね。見たかどうか、勿論良い機会だから見たわ。若いからとは言え硬さは最高の部類とはね。何で知ってるだろうけど。それは元気あるかなって、ジョブしたらむくむくだからよ。俺には織田真砂子さんという恋人がいるからでしょうけど、はいはい、分かってるわよ。全く、こういうクドさがなければは、また今度にしましょう。そうなのよね、遠慮して咥えるの止めたけど。さて言わなきゃ分からなかったのが、ここリップサービスやや有りね。まあ、お眠りなさいよ」  菜々のそのサバサバさに目眩をして、そしてその温もりから、そのまま背中で眠った。  そして次の日の土曜の朝には、何故か菜々が俺のベッドに入り、抱き枕を抱える格好でスヤスヤ息をしていた。明朝そのままだったので、起こしたらとんでも無いだろうと二度寝して、やり過ごした。  そして目を覚ましたら、いつの間にかカーテンが全開で心地良い日差しが入っていた。菜々の書き置きはあるものの、独身寮の目を気にしてか、察して男の部屋から引き上げていた。  そして、ダイニングにドンとある何かは、高価な自然鶏が存分に使われたシザーサラダが山盛りだった。俺は、そこまで大食漢では無い為、結局朝昼夕は、菜々の拗れるも、愛情のあるシザーサラダを、やっと完食した。  そしてある日突然、俺と後真砂子は縁者の事情で別れた。寂しいと悔しいはあったが、これも世情と、日々自分には言い聞かせていた。  菜々は、そこはかとなく俺を察しては、馴染みの業者さんを誘った合コンを持って来るも、今一どれも乗り気にはなれなかった。結局は、真砂子も退社したから、菜々曰く、そもそも解禁でしょうと、独身寮の俺の部屋に、どっしりと上がる事になった。  菜々はすっかり自分の部屋の如く、ファッションスリップ姿で、モニターで膨大なミュージックビデオをザッピングしては、菜々なりのリラックスに入る。欲情しないのは、ボクシングジムで身体の線が浮き出るボクシングレディースウェアで、もはや見慣れていた身体あ。  そうとは言え。この時間の流れで、男女のそういう雰囲気に満ちる筈も、菜々のザッピングは長く、俺は何より先に眠る。そして菜々は、自分の部屋に帰るのが面倒になって俺のベッドに潜り込み、俺を抱き枕にされる。  そんな、いつも後付けの抱擁だったら、どこでどうお手付きしようかの妙がさっぱり分からず、それがいつの間にか自然になっていた。そして朝には菜々は消えており、ソフトソープの香りと、山盛りのデイリーサラダを残して、俺は一人になる。そして食事の度に、菜々美味しいけど、本当多いよのうんざり顔にどうしてもなる。  巡るある日の晩の事。抱き枕である筈の俺の背中が軽くなった。不意に振り返った時、月明かりを背負った一糸纏わぬ菜々が立っていた。長身痩躯のモデリスト、いざその全てを見ると、その肉付き全てが高貴だった。菜々は淑やかに語る。 「舜の側にもっといたいから、シェアフレンド5人と別れてきたわ。全く、こうでもしないと手に収まらない、舜って何なの。まあいいわ。ここ迄来たら、私と漸く向き合ってくれるわよね」  菜々はゆっくりと俺のベッドに雪崩れ込み、視線逃さずキスに持ち込み、俺の衣服を脱がし、堰を切ったように、俺の身体に舌を愛撫し、何故か筋肉量を確認される。  愛撫か計測かだが、菜々の情念によって寄せる官能の入り口寸前に立った。だがしかし、俺はシェアフレンド何人いるんだよと菜々に問うた。菜々は、今は舜を合わせて9人と、喘ぎ声混じりに吐く。俺はつい、負けていられるかの闘争本能に火が着き、菜々も負けじと応酬した。筋肉の掴み合いは、性感帯も存分にまさぐり、この魂の火照りこそが、俺達ならではの繋がりになった。  菜々との目眩く官能のフラッシュバックになった所で、九鬼さんから左肩を突かれた。そしてとくとくと。 「舜も分かりやすいな。菜々は類戸籍者だから、着床率は本当低いから、付き合いも広くなるさ。それって何の因果だよな。女性として生まれた以上、可愛い我が子とはどうしても考えてしまうさ。そりゃあ、ウーマンリブ全盛の時代に沿った、仕事邁進の生き方も貫けるだろうけど。血縁が現実的に一人もいないなんて、どうしても寂しいよな。でもさ、俺はきっと、菜々なら、舜の元に帰って来て、奇跡の家族が築けると思うんだよ。ああ舜は、シェアフレンドの中で勿論一番強いし、連れて来る知り合いの中でも、こう菜々に、しっくり来るんだよな。そう、菜々の3年の任期が終えたら、舜に他の彼女がいても、本命になってやれよ。菜々、結局こういう人情が不器用だからな。もっとも舜なら、分かりきってるか、なあ、」  菜々の事だから、3年の任期を経ても、気まぐれに放蕩しては名古屋に帰って来る事は無いかもしれない。ただ待っては見ようとは強く思う。俺、菜々、出会うべくしての赤子、家族の肖像が朧げに見えた。  その前に、菜々に何と言えばいいのか。愛してる、誰よりも愛してる、世界中の誰よりも愛してる、なんて言えそうに無い。  俺は、いつも何処かで俺ならではの愛嬌の良さに頼って、放っても仲良くしてくれるかで、今日に至る。このまま安易に待って、菜々に究極の告白をしようものなら、大爆笑するだろう。面白いわ。余計なお世話だ、俺は本気だ。なんて。  いや仮に、何それ、で了承されても、類戸籍者の出産率は0.03%と、決して明るい未来では無い。同じく類戸籍者の白子裕巳の時はスキンは礼儀だから装着していた流れで、菜々の時もスキン装着で情交している。菜々は屈強でも季節毎に咽頭を痛めるので、予防は心掛けた。  そう、菜々の押し掛けで気付かざる得なかったが、類戸籍者は生理が不定期で、長ければ生理が1年は無い事もあるそうだ。そして、その不定期の分、いざ生理が来ると反動で身体がただしんどいと、ずっと横になる事がままあった。  菜々、元気にしているか。  厚生人財省への電信原稿は、いつもここから始まるが、紛争地域で元気も何も無いだろと、結局は筆を折ってしまう。  広告代理店に勤めているのに、俺は文章センスが皆無過ぎた。デザイン以外にも才能があればも。さて、これでは生涯独立して起業する事も難しい。こういう歩みも含めて、菜々との共生の筈なのに、今日もまたもどかしい。  §  俺の勤める東海府名古屋市の保科広告宣伝社は、不定期も月一の社葬に入った。今や第一会議室を改装した部屋が、献花台と慰霊台が置かれ、第三次冷戦に出征した故人を深く忍んだ。  何度来ても浅葱菜々の背一杯の笑顔の遺影がどうしても痛々しい。  紛争地域からの生還率は大まかに54%。3年も派遣されればそのパーセンテージになろうし、その数字から少しは努力すれば生還出来るかがバイアスになっていた。  まして浅葱菜々のフィジカルならば、戦死のそれは縁遠い事だろうとは思っていたが、菜々は派遣4ヶ月で、遺影で保科広告宣伝社に戻ってきた。  早い、頑張った、感情は幾つもに揺さぶられたが、俺は、この菜々無しでどうすればいいか。どうしても、そこに置いていかれてしまう。  そして社内は慰霊の意を込めて、社内BGMは故人の好きなプレイリストからピックアップされる。「Paul McCartney - No More Lonely Nights」がかかる度に、俺は切ない思いになる。  俺は聞く度に、2回に1度の涙を拭う為に、休憩室のビターコーヒーを貰う振りして、ただ席を外した。  そんな俺を見かねたか、毒島社長がクローズルームに招いては面談に入った。  舜、類戸籍者の奔放さは、どうしてもある事だろうから、何を引きずるかになった。俺は、菜々をどうしても好きだったが、順番が最後尾では、何も出来ず、諭せなかったと素直に述べた。  毒島社長は二呼吸置く。菜々から、舜こそが筆頭だと聞いていたが、本当不器用だね、君達はとへの字にされた。俺は溢れる想いが堰を切り、ああーと泣き散らかした。  そして俺がやや落ち着いた頃に、毒島社長から、スマートシートを差し出された。菜々は縁者がいないままでは切ないだろうから、せめて忍ぼうかになった。  これは菜々の着たパワードスーツ、高速機動歩兵ガレリアの最後の映像だと、毒島社長は再生ボタンをタッチした。   2097年、第三次冷戦は実質紛争数多の侵攻戦に至っている。  侵攻国の多くのそれは、段階的冷戦を経ての厳しい経済制裁の窮状も、停戦の意思はまるで無い。その期間に何でもデジタル化への大設備投資で、逐一のシンギュラリティが齎されるが、侵攻国は戦争技術のフィードバックで特異な発展をする。この境界、過去の冷戦同様に、世界は歪になるも、それでも戦争が出来るのが、紛争対峙国は本気の証拠だろう。  侵攻国はそれを挽回すべくの究極の手段が、制裁国への直接侵攻によって、制圧圏の成長して行く各種産業のプラントを丸ごと奪う事だった。  日本国は2059年に、プラント重点大稼働地域の北海道と東北を、ロシアと中国との折半の目論見で侵攻が始まった。それは現地調査と言えど、理不尽過ぎて、日本国の安全保障とはの論議の前に、戦争放棄の憲法下でも、反転攻勢の気運に包まれた。  現在は古河絶対防衛線を拠点に、適正者が侵攻戦阻止に招集される。その適正者とは、単純な予備役ではなく、パワードスーツ生産の礎となった、伊地知博士によるフィジカルギアード構想のメソッドに適正出来るかだった。  第二次冷戦の局地戦で明確になったのは、近代戦闘車両の傾倒よりは、利便性の高い歩兵の練度が戦局を左右する事になった。  歩兵戦、そこにパワードスーツ草案が合致した。自動車メーカーの日和・蒼穹・豊栄の技術力が合間って、従来のサーキットから、CPU入らずの、配合アルミニウム板の複合配線によるミレニアム電子機器で、重量も速度も一気に5世代相当の技術を軽く飛ばした。  何せ、徹底省電力で単三電池で半日も稼働するとあっては、力任せの歩兵鍛錬の最大重量のバックパックとはが、すっかり過去の物になった。    ただそのパワードスーツの弱点はあった。歩兵の敵はどうしても歩兵だった。  スマートシートで再生される、浅葱菜々の再生視界映像は、砲撃で荒廃した仙台市を威力偵察中だった。  菜々の乗る日和の高速機動歩兵ガレリアは、マラソン選手並みの時速21.9kmの表示がされる。音声では、遠くで乾いた銃声が散発的に聞こえて来る。  Date表示は2097年7月20日13時34分08。パワードスーツ内に乾いた着弾音が貫いた。左側面が忽ち視界が欠けて行き、ホワイトアウト寸前に、菜々が「会いたい」との音声で、全てが途絶えた。  毒島社長曰く。実効支配のロシアの精鋭狙撃兵に撃たれたと、機動歩兵部隊の連動アイから分析出来たらしい。  俺は深く考えた。ボクササイズで鍛え上げた菜々が、こうも簡単に死亡するものなのかと。俺とのスパーリングでも圧倒的に勝利するかの菜々が、こうも容易く死亡するのが紛争かと、改めて思い知った。  毒島社長は、しみじみと語る。最後の会いたいのか細い声は、どうしても舜になるかな。でも、これが今も続く紛争争の現実だから、気持ちは素早く切り替えようで、二人で共に丹念に十字を切った。
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