マユ

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マユ

「最近活躍してるじゃない」  駅前の喫茶店は、なかなかに繁盛していた。人の騒めきの声や食器の立てる音が心地よい。平日の午後という中途半端な時間であるにも関わらず、席はほとんど埋まっている。  マユは向かいの席で、わたしを見つめてにっこりと微笑んだ。 「読んだよこの間の。相変わらずえげつないよね」  この間の、とは、おそらく先日発刊された雑誌に寄稿した、短編小説だろう。ストーカーにあい心を病んだ女性が、死してなお男に復讐をしていくといった内容の物だ。 「しんどかった?」  少し不安になる。こういった、センシティブなことを小説に書くとき、わたしはいつもひやひやしてしまう。 「大丈夫。でもリアルで怖かった」  そう言って、マユは大げさに体を震わせて見せた。  それにしても、彼女は相変わらず美人だった。長い黒髪に、大きな瞳。すうと通った鼻筋に、口元の黒子。同じ三十路(みそじ)のはずなのに、若々しく、年齢を重ねるごとに魅力的になっていくようだ。 「マユは?」 「え?」 「芝居の方、どうなの?」  マユは、女優である。テレビや映画ではなく、アマチュアの劇団に所属し、小さな劇場を中心に活動する舞台役者だった。界隈では有名で、その手の雑誌に載ったり、小さなファンクラブもできたりなど、順調に活躍の場を増やしているようである。  少し前まで、しょっちゅう我が家にダイレクトメールが届いていたのだ。どこそこで芝居をやります、見に来てください、と丁寧に書かれた手紙をいつも楽しみにしてきたのだが、ここ数か月、届いていない。  マユは黙っていた。  黙ったまま、目の前のフルーツパフェをパクついている。イチゴに、メロン。リンゴ、オレンジ。たっぷりのバニラアイスの下にはシリアルが敷き詰められ、その下には、ババロアらしき塊がぎゅっと押しつぶされている。  ――珍しい。  甘いものは、あまり好きではないはずなのに、暫く見ない間に嗜好が変わったのだろうか。 「結婚が決まったの」 「え?」 「その報告」  わたしは目を瞬かせた。 「結婚って、カズヤと?」 「そう」 「へえ……」  ついにか。  わたしは珈琲を一口、含んだ。  カズヤは、わたしとマユの同級生で、彼女が所属する劇団の演出家である。  二人の交際は、高校二年から続いていた。かれこれ十五年。長い、長い時間を経て、ようやく重い腰を上げたということになるのだろう。 「おめでとう」 「ありがとう」 「式は?」 「まだ決まってないけど、ちょっと先になるかな。実はね……」  マユははにかんで、そっと腹部を撫でた。 「できちゃった」  わたしはうまく笑えない。 「だから、(しばら)く役者は休業」 「そっか。……よかったね」  口の両端を引き上げて、無理やり目を細める。下手な演技をしても、きっと彼女にはばれてしまうだろうけど。  込み上げる思いを飲み下すように、わたしはカップに口をつける。珈琲の苦みが舌を焼くようだ。ゆっくりと食道を落ちるその液体が、妙にもったりと感じた。
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