〈1章〉おれの兄ちゃん

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〈1章〉おれの兄ちゃん

 おれの兄ちゃんは、「なんでそんな後ろ向きなの、惜しい!」ってこっちが思うくらい気が弱い。  だって、一八四センチの長身だろ。きれーに鍛えた細見筋肉質だろ。三白眼の強面で、怖そうに見えるのに、もの凄いつくりが繊細な美男だろ。  その美男っぷりに、中高と修学旅行先でスカウトに合ってるんだからな。  文句ないよ! 自信持ってよ兄ちゃん! って、おれはよく言う。  でも兄ちゃんは生まれたてのヒヨコよりも自信がないんだ。 「じゃあ、これ今日のお弁当ね。おにぎり三個と煮卵。仕事が忙しくて食べられなくても、気にしないでね」  朝六時半に起きてお弁当を作ってくれるうちの兄、久慈原光(くじはらひかり)(26)。弟のおれ、久慈原丈流(たける)(24)は恭しく押し頂く。  六時半に起きる必要はないんだよ兄ちゃん、っておれはいつも言うけど(だって職場の開店は十時だし、店まで徒歩十分だ)、兄ちゃんは律儀に起きてくれる。朝の空気が気持ちいいんだって。  よく、コーヒーを淹れて、ベランダでぼーっと日光浴している。  おれも兄ちゃんの隣でコーヒー片手に座っていたいよ。  そう言うと、 「でも、ごめんね。たー君は働かなくちゃ。おれと同じになっちゃだめだよ」  悲しそうに顔を歪める。おれは慌てて、 「そういうつもりじゃないから! うん、兄ちゃんは兄ちゃんの道を歩むのがいいし。おれもおれの道を歩む。仕事は楽しいし、働くことは嫌じゃない。いや、そりゃあ休みのほうが好きだけど」  店長から結婚式のヘアセットとメンズの着付けを任されて、今年は活躍の幅が増えそうだ。兄ちゃんはほっとした顔になる。 「ん、よかった。ごめんね、たー君。心配かけて」  そう言って、気弱な顔でぎゅっとおれの手を握る。するとおれはどきどきして、もう、股間に血が行ってしまうのだ。  おれを熱くする手が、また突然するすると離れていく。  兄ちゃんはおれの頭を撫でて、気弱で美しい微笑を振りまいて、 「朝ごはん、できてるから」と言う。 「今日はオムレツとほうれん草のお味噌汁と、あと明太子! もう食べる?」  時計を見ると七時半過ぎ。 「うん。食う。兄ちゃんも食べよう。晩飯はまたおれがオカズ買ってくるから」  こくり、とうなずく兄ちゃん。美容師の仕事は遅くまで続くことが多く、兄ちゃんを腹ペコで待たせてしまうのが心苦しい。 「急がなくていいよ。インスタントのラーメンもあるし。あ、でも仕事を一生懸命頑張って帰ってきて、インスタントだったら嫌かな?」  心配そうに気遣ってくれる兄ちゃんに、いいんだよそんな気にしなくて、と言いつつさりげなく手を握る。兄ちゃんは握られたまま、にこって笑って、 「乾麺のお蕎麦もあるしね。あと、豆腐買ってきてくれたら麻婆豆腐ならできるから。たー君は心配しないでいいからね」  はぁいと返事をして、おれたちは食卓テーブルへ。
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