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3つのレンタル
「ひとつ、怖い夢の話をしてもいいかな」
目の前に座る友人がグラスを傾けながら言った。彼女は私の自慢の友人だ。小学生の頃からの知り合いで、美人で仕事も自分で立ち上げたアパレルブランドが成功している。私生活でも素敵で思いやりのある旦那さんと一緒に暮らしている。まるで絵に描いたような完璧な人間だった。
そんな人が昔馴染みとはいえ、普通の顔で普通の会社員で恋人もいないような普通の私と仲良くしてくれているというのは我ながら信じられない気持ちだった。でも彼女はどんなに忙しくても月に一度は一緒にご飯を食べたり、今日みたいに飲みに誘ってくだらない話をしようとする。そこには裏も表もなく純粋に楽しんでくれているのが私にも分かっていた。私と彼女はどれだけ立場が違っても対等な友人なのだと思える。
「怖い夢?」
「そう。ずっと昔、小学生の時に見た夢」
「そんなのよく覚えてるね」
「本当に怖い夢だったしね。今まで誰にも話したことなかったけど。今日は話したい気分なんだ」
「どんな夢」
「私が小学生の頃、酷い交通事故に巻き込まれたこと覚えてる?」
「もちろん」
私はすぐに答える。忘れられるはずがなかった。横断歩道で赤信号待ちをしていた彼女に向かって居眠り運転のトラックが突っ込んできたのだ。彼女はそのトラックに跳ね飛ばされる事故にあった。全身のあちこちを打ち付け骨折もしたけれど、奇跡的に命は助かったし酷い傷跡が残ることもなかった。
それにその事故のお見舞いにクラスの代表として押し付けられて行ったのが私だったのだ。事故のことが怖く、お見舞いに行っても何を話していいか分からなかったクラスメイトは私にお見舞いを押し付けたのだ。正直に言えば私もどうしていいか分からなかった。でも、クラスメイトの押し付けを断れるような性格ではなかった私は重い足取りで病院に向かったのだ。
その病室で初めて私たちは出会った。包帯だらけの彼女の姿を見ておどおどしてしまった私に彼女は「近くきてお話しない? 病院って退屈なんだ」と話しかけてきてくれた。そこからだ。私たちが友人になったのは。
「あの交通事故にあって意識を失っている時に見た夢なんだ。私がね目を覚ますと真っ白な四角い部屋にいたの。何一つ物もない部屋。病室みたいだったけど、雰囲気が違った。とっても綺麗なんだけど、どこか不安になるような部屋だった。周囲の壁には扉も窓もなくてどこにもいけなくて途方にくれていたの。そんな時どこからか声が聞こえてきた。あなたに三つだけどんなものでも貸してあげましょう。って」
「貸す?」
私が思わず聞き返すと彼女は小さく頷いた。
「そう。所謂レンタルってこと。私も最初は何を言われているのかよく分からなかった。でも、その声が言っている事は本当だっていうことはなぜか分かったのよ。本当にどんなものも貸してくれるんだって言う確信があったの」
確かにおかしな夢だなと思う。しかもそこはかとなく不気味だ。いくら夢の話だとは思っていてもあまりに淡々と彼女が語るものだから妙な説得力があった。
「でね。私は三つの物を借りることにしたの。何か分かる?」
突然の質問に私は首を振った。
「そんなの分からないよ」
「簡単よ。今私が持っている物だから」
あまりにあっけらかんという物んだから私は不安になって聞いた。
「夢の話だよね」
「そうよ」
けらけらと笑いながら彼女は頷いた。
「借りたものはね。まずは寿命」
「寿命?」
「そう。だってその時私事故にあって死にそうだったんだもの。まずは命が助からなくちゃと思ったの。それから次は容姿ね。私、小学校のころから自分は人に認められる容姿をしているっていうことは自覚してた。それは確かに得をすることでもあったけれど、逆に言えば人から恨まれる要素でもあった。今だからはっきり言えるけど小学生の時は漠然と感覚で感じてただけだったかな。でも、だからこそ怖かったんだ。事故で私の顔が醜くなったらきっと私は周囲の人から見捨てられるし、私を羨んでいた子たちが私に仕返ししてくると思ったの。だから、自分の容姿が変わるのが怖かった。だから、容姿を保つことを願った」
だから、彼女は今も美しい容姿を保っているのか。そう思ってしまって思わず首を横に振る。これは夢の話なんだ。きっとこれは彼女なりの冗談の話なのだろう。今日は随分と彼女はお酒を飲んでいるようだし、少し悪趣味だけどお遊びだと思えばいいんだろう。
「最後のひとつは何を願ったと思う?」
再び彼女は私に尋ねてきた。やはりこれはそういうクイズなのだろう。ならば私も深く考えずに答えてあげればいいのだ。
「そうだなぁ。今あなたが持っているものなんでしょ? だったらお金か仕事の成功とか?」
私の答えを聞いて彼女はふふと小さく笑って見せた。
「残念。外れ。仕事が上手くいったのは私の努力の結果かな」
「じゃあ、恋人とか? 今の素敵な旦那さん」
「あー。ね。私にはもったいないような人だよね。ところでさ。この夢の本当に怖い事ってなんだと思う?」
「え?」
「レンタルなんだって。確かにすべての私の願いは与えられたんだ。でもそれはあくまで借り物。借りたってことは返さなくちゃいけなんだって。まぁ。当たり前だよね。その返却期限っていうのがさ。私が死んだ時なんだって。私が死んだら。借りてたものは全部消えてなくなるんだって。不思議だよね。私が借りてるのに返すのは私が死んだ時でいいんだって。それってもう私にとっては貰ったのと同じだと思わない?」
「うーん? そうなのかな?」
私は彼女が何が言いたいのか分からず首を傾げる。
「でね。もうすぐ返却期限なんだ」
「え?」
「私実は病気になっちゃって。余命三か月なんだって」
「嘘。だって元気そうなのに」
「これでも結構無理してるんだよ。本当は外出も禁止されているんだ。でも、あなたに会いたくて」
「すぐ、病院に戻らなきゃ」
私は席を立ち上がろうとして、その手を彼女に捕まれる。
「まだ、さっきの質問の答えを聞いてないよ」
「質問? 何を言って」
「私が借りたものの三つ目。なんだと思う?」
「そんなの。どうだっていいよ! それより貴方の体の方が」
そこまで言って、彼女の真剣な眼差しを見て私は息を飲んだ。それはとても大事なことを伝えようとしている。そう感じた。
「借りたもの三つ目って言われても分からないよ。お金でも仕事の成功でもなくて恋人でもないんでしょ。そのほかにあなたが望んでまで手に入れたものなんて無いでしょ」
「あるよ」
彼女はまっすぐな目で言った。
「とても大切な物」
まっすぐに私を見つめて言った。
私は自分の血の気が引いていくことを感じていた。
「借りたのはね」
「友達だよ」
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