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   数日後の社員食堂で、有希と松下に報告を済ませた。  やっとか、とでも言うように、二人は顔を見合わせて、おめでとうと小さく拍手をする。  「八田さんが好きな人と両思いになれたんなら良かったです。私も嬉しい」  へへ、と八田は照れ笑いする。  「眞崎君も随分引っ張ったよね。八田がいつ気付いてその気になるのかなって、だいぶ楽しかったわ」  「うそ。松下わかってた?なんか二人ともびっくりしてないもんね。有希ちゃんも?」  「私はズルです。気付かなかったけど、宇堂さんに聞きました」  「そ…そっか。宇堂さんにまで…」  とりわけ勘の良さそうなあの男にも生温(なまぬる)く見守られていたのかと思うと、こそばゆい気持ちになる。  「……ほんと言うと、私も全く全然気付いてなかった訳でもなくて…。ん?って思う事はね、あったんだ時々。でもほら眞崎でしょ?手練手管の色事師でしょ?なんか揶揄(かわか)われてるだけかなぁって思っちゃってて…」  「あ、その話。私いつか八田さんに言おうと思ってたんですけど…」  有希は以前ホテルで宇堂から聞いた話を八田に伝えた。話を聞きながら、八田はゆるゆると情けなく頬を緩める。  「何だよぅ、ちゃんとそう言ってくれればいいのに…。あいつ私がそういう噂話を鵜呑みにしたようなこと言っても、何にも否定しないんだもん。信じちゃってたじゃん…」  薬盛られそうになった事もある。以前眞崎がそう話した事を思い出した。それも、そんな中の一つの出来事だったのだろうか。  「他の人にもそうだったから、余計噂が拡がっちゃってたんだろうねぇ」  松下が得心顔で言う。単に否定して回るのが面倒だったのか、それとも全く潔白ではない部分もあるから、否定し辛かったのだろうか。後者だとしてもいい歳の男女である。そこまで相手の過去を細かく掘り下げていたらやっていられない。  「周りが言うよりずっと真面目だって、宇堂さん言ってましたよ。約束したんなら、きっと八田さんだけを大事にしてくれますよ。もし約束破ったら、私が一服盛って使いものにならなくしますから。安心して下さい」  「ちょ、有希ちゃん。何を使いものにならなくするって?」  有希が爽やかな笑顔でにっこりと笑う。化粧品会社の研究開発職である有希は様々な薬品にも精通している。せいぜい口で罵るくらいしか出来ない八田とは、復讐のレベルが違う。  「でも眞崎君も結構気が長いよね。あの人、前から八田の事好きだったでしょ?」  松下が何気なく言った言葉に、八田はうぇっとおかしな声を出す。  「何、前っていつ?」  「いつかははっきりわからんけど、仲良くなるよりずっと前。他の人と全然扱い違ったじゃん」  「いや、それは悪い意味ででしょ?」  「まぁ八田からしたらそう感じるかもだけど、眞崎君は明らかに活き活きとしてた」  「松下さん、さすが…。宇堂さんもそう言ってましたよ。私は普通に、相性悪い二人なんだなって思ってました」  「いや、私もそう思ってたよ。あれで好きとか嘘でしょ?小学生じゃん」  「小学生だったんじゃん、その頃はまだ」  「割と最近ですけど…」  ほんとかなぁ、と八田は複雑な表情で溜息を吐く。  「八田さんは?いつ好きになったんですか?」  「ん?いつだろ。仲良くなったのが助けて貰った後だから、その辺からちょっとずつって感じかなぁ…」  「どこを好きになったんですか?」  有希がきらきらした顔で、興味津々に尋ねる。今まで三人の中で恋人がいるのが有希だけだったから、惚気(のろけ)合う仲間が出来て嬉しいのかもしれない。  「うーん、そうだなぁ。色々あるけど、まず顔が…」  「結局それだよな、お前は」  頭の上から降ってきた声に、八田の心臓がどきんと跳ねる。  「眞崎…いつからいたの」  「今」  「あっ八田さんだ。こんにちは」  「篠田さん、雨宮さん。お久しぶりでーす」  眞崎が八田の隣に座ると、一緒にいた二人の同僚もその周りに座る。篠田は以前の飲み会で幹事だった男だ。八田はこちらの会社の纏め役で話す機会が多かったし、雨宮も会の途中で趣味の話などもしたから、顔見知りだった。愛想良く挨拶を返す。  「そうそう八田さん、あの時話してたボルダリング場、来週また仲間内で行くんですよ。一緒にどうすか?女の子もいるし、八田さん気が合うと思うんですよ。その後飲みにも行くんで良かったら是非」  雨宮という三人の中で一番若くて人懐こい雰囲気の男が、屈託なく誘いかける。  「あ、あー。そうなんだ…」  八田はちらりと眞崎を見て、小声で聞く。  「あんたも行くの?」  「いや、俺は行かない」  眞崎も参加するなら迷わずOKしていたところだが、不参加となると話は別だ。別に合コンに行く訳ではない。男女混合の健全な遊びなのだから、眞崎に遠慮する必要はないと言えばない。だが、自分のいない所で同僚の男達と親しくするのは不愉快かもしれない。八田は根っから社交的な(たち)なので初対面の人と会うのは楽しみだし、場所も行ってみたいと思ってたところだから、行けるものなら正直行きたい。飲み会は断ってボルダリングだけならいいだろうか。眞崎はどう思うだろう。聞いてみたいが、今聞いたら同僚たちに付き合い始めた事がわかってしまうだろう。もしかしたら眞崎は自分と付き合うことを会社では隠しておきたいかもしれない。その辺も打ち合わせておけば良かった── 。  などと、ぐるぐる頭の中で考えを(めぐ)らせていると、涼しい顔をして黙って箸を動かしていた眞崎が「くっ」と小さく喉の奥で笑った。横目で八田を見て、口の端で笑ってみせる。  「行きたきゃ行けよ、遊びにでも飲みにでも。男がいようが、それがこいつらだろうが、別に気にしねぇから」  「う……うん」  考えていたことを見透かされて気恥ずかしくなった八田は、俯いて小さく頷く。二人の遣り取りを不思議そうに見ている雨宮と篠田に向けて、眞崎が代わりに言った。  「行くってさ」  箸を握ったまま、親指で八田を指し示す。  「けどこいつもう俺の彼女だから、変なちょっかい出すなよ。他のやつにも言っといて。あと帰り、駅までは送ってやって」  「えぇえっ」  「嘘だろ…」  「眞崎…」  「眞崎さん……!」  「おー」  同僚の二人は驚き、八田はほんのり頬を染め、有希は感動したように両手を祈りのポーズに組んで目を潤ませた。松下は感心したように、小さく拍手している。  「正直半信半疑だったんですけど、ほんとに八田さんを大事にしようと思ってるんですね…安心しました…!」  「綺麗どころがどんどん持っていかれる…」  「眞崎おまえ…顔に物言わせやがって…俺だって八田さんいいなって思ってたのに…」  「いい度胸してんな篠田。お前はとりあえず席移れ。後で道場に来い」  「えっ、道場って何?社内にあるの?」  「いや、社外。歩いて五分くらいのとこにあるんだよ。社員は自由に使っていいの」  「やだ…眞崎の道着姿めちゃくちゃ見たい…」  「八田さん…。いや、八田さんは潔く諦める。それで八田さん。実は俺、同じくらいいいなと思ってる子がいるんですけど、そちらの会社に…」  「えっ嘘、誰誰?どの子?彼氏いない子だったら応援するよ⁈」  「おぉ、いいじゃん。適当に何人か見繕って押し付けとけ」  「ちょっとあんた人の同僚を何だと」  「いやでも眞崎先輩に決まった彼女が一人出来た方が、持ってかれる総人口はだいぶ減るのか…ならその方がいいか…松下さんはまだフリーのままでいてくれてますよね⁈松下さんに彼氏出来たら泣く奴がいて…俺も泣くし」  「私、八田さんに何かお祝いしたいな。松下さん、どんなのがいいと思います?食べ物がいいかな」  「いやー、あんたらホント好き勝手喋るね。あれだよね、公園とかで散歩中の犬が何匹も集まるとこうなるよね。全員でわんわん吠えてさ、飼主同士の話全然聞き取れないんだよね。あれ面白くて」  そんな騒がしさの中、眞崎は耳元に顔を寄せて、八田にだけ聞こえる声で聞いた。  「今日、夜会える?」
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