5-3

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 ランの高笑いが響き渡る。  見れば、カシヅキに押し潰されたランは仰向けに転がっていた。  胴体は、半ば島に埋もれている。    地面から突き出た両手、両脚は、あり得ない方向へ曲がっているが、痛覚はないのか、鼻歌でも歌い出しそうだった。 「おしいっ。おしいねーえ。あたしだけじゃあ価値(カチ)がたりなかったみたいだよ。カハハギさまにはわかるんだよねえ、タイセツか、タイセツじゃないか。だってハハだもん。ハハはなんでもしってるの!」  凛は思わず、かっとなって立ち上がった。 「耳障りなのよ、あんたの声。私への仕返しのつもり? 私があんたの居場所を奪ったから。生きる権利をかすめ取ったから」 「んははは、シカエシなんかじゃないよぉ。()ったでしょう? ランはね。りんがだぁいすきなんだよ。りんといっしょがいいの。りんといっしょになりたいんだよぅ」 「私と一緒……?」  ふと気付く。  カシヅキの下ぶくれた、おかめ顔がこちらを見ている。  脂肪に埋もれた小さな黒い(まなこ)と、視線がかち合う。  怖気が走った。  指先が硬直し、持っていた包丁の()がするりと抜ける。  本能が逃げろと叫んだ。  しかし次の瞬間、凛はカシヅキの大きな腕に引き倒されていた。  いっとき、目の前が暗くなる。  それはほんのわずかな時間だった。  ずり、ずり、ずり……。  身体が引きずられている。  壊れたぬいぐるみでも運ぶように、無頓着な暴力に弄ばれている。  そう認識したときには、ランの首がすぐ目の前にあった。 「い゙ぃィっ」   左腕が、ないーー?  いや、違う。腕はある。  腕はあるのだが、脈打つ地面に、半分呑み込まれている。 「あぁっ、あ゙っ、あ゙っ、あゔあぁあーー!」  い、いたぃ、皮膚が引っ張られてちぎれそう。  左腕が、地面にうずもれた部分が、すごく熱い。  目と鼻から、びたびたと液体が流れ落ちる。 「りぃん、やっときてくれたね。これでツリアッタよー! ルイも(タス)かるね? カハハギさまにオネガイして、めでたしめでたし。やっぱり、ランが()ったとおりになったぁ。うふふ、りんとランは、だって。おなじものになろうね。また、胎内へもどろう」  ーーもどろう。  その言葉を、凛は頭の片隅で聞いた。  左腕の感覚が鈍っていく。  全身がブルブル震え出した。  痙攣(けいれん)、いつかの流生みたいに。  本物の、化け物になる。  なってしまうかもしれない。  このナカに入ったら、確実に、外見はそのままに、中身は別の何かになる。凛は直感でそう感じた。  じぶんがじぶんでなくなってしまう。  あくいのないあかんぼうみたいに。  ランみたいに。  わらいながら、ツギのウツワをさがすようになってしまう。    わたしじしんをタイカにねがえばーー。 「凛、何も願うなッ」  血の玉が飛び散った。  何が起こっているのか分からない。  ただ、凛のかすんだ目の端に、朔夜が背を向けて立っているのが見える。  彼の手には、凛が先ほど落とした包丁がある。  どうやら、朔夜が、カシヅキの腕を切りつけたらしい。 「しっかりしろ、俺の声が聞こえるか!? くっそ、せめて前もって事情を説明しといてくれよ。……オイ凛、お前が俺をここに連れて来たのは、あの橋がふたりじゃないと渡れないから。そう言ったよな。本当にそれだけか。それだけなのか? だったら、凛のお母さんや、お父さんだって良かったはずだろ! なんで俺だったんだよ」  徐々に、焦点が定まる。  朔夜の声と、自らの思考と感覚が集まり、像を結ぶ。凛自身に収束していく。   「わ……。私は、私にとっては、流生も、お母さんもお父さんも、朔夜も。同じくらい大事だった。でも、それでもーー朔夜と来ることを選んだのは」  なぜだったっけ。  どうして朔夜だったんだっけ。 「朔夜に、知って欲しかったから……たぶん。私のこと。どんな私でも、嫌いにならないで」  色恋抜きに、凛という存在が確立するために、朔夜には離れて欲しくなかった。  いっとう、特別だったからだ。 「まったくーー。俺たちふたりとも、救えないな」  お互いさま。  凛に頼られることで、自尊心を保っていたんだから。  そんな朔夜の心の声が、聞こえてきそうだった。
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