Side story

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秋原《あきはら》叶恵《かなえ》。 35歳。 このタコ焼き屋の店主である。 上下スポーツジャージを着て、不釣り合いな白いエプロンを前に掛け、ショートの髪型はサッパリとした印象を醸《かも》し出していた。 その容姿は、まだ30代という若さとは裏腹にオシャレとは正反対な雰囲気で、顔の皮膚は鉄板焼きのせいで、ほんのり薄茶色に焼け、首から掛けているタオルで繰り返し流れていく汗を拭うのである。 店先にいた男性客が、出来上がったタコ焼きを叶恵から受け取り料金を支払うと、頭を下げて立ち去っていった。 「ありがとうございま〜す! また、お願いしますね〜!」 元気な叶恵の声が、去っていく客の背中に投げかけられる。 再び、タオルで汗を拭った叶恵は、ふぅと一息つくと、調理器具を洗い場に移した。 その時、外から店の中へ駆け込んできた人の気配がする。 「ただいま〜。」 抑揚のない馴染みの声だけが、調理場に聞こえた。 叶恵が手を止め声の主を見てみると、それは黒いランドセルを片方の肩に掛けた、息子・貴志なのである。 秋原《あきはら》 貴志《たかし》。 10歳。 身長160cm弱で幼い顔立ちをし、半袖服と短パンからは、細い手足が伸びていた。 貴志は店内を抜け、自宅に通じる奥の居間へと足早に進んでいく。 「こら、貴志! 学校から帰ってきたんだろ⁈」 追いかけるようにして、叶恵が問いかけた。 急いでいる様子の貴志が、奥の居間に続く引戸を開けながら振り返る。 「そうだけど、何?」 腰に手を当て、言い放つ叶恵。 「もうすぐ、保育園のバスが着く頃だから。貴志、迎えにいって。」 「えっ〜⁈ 昌也たちが公園で待ってるから、急いで行かないといけないのに・・。」 迷惑そうな顔になって、貴志は返した。 そんな言い訳は通じない、とでも言うように、叶恵が付け加える。 「保育園バスを迎えにいった後でも間に合うでしょ。」 そんな言い付けに、まだ納得出来ないでいる貴志は、その場で躊躇していたが、 「千恵を迎えにいってあげなよ。」 という叶恵からの心情に響く言葉に、ついには観念した様子。 貴志はそそくさとランドセルを居間の隅に置くと、不服そうな顔のまま複雑な気持ちで、店の出口へと向かった。 バスが停留する大通りの方向へと、足早に歩いていく貴志の後ろ姿を確認して、叶恵はポツリと嫌味を漏らす。 「まったく・・。最近、友達と遊ぶ事が多いんだから。」 その直後、ふと店の窓口に現れた人物があった。 「おお。秋原さん。ちょうど良かった。」 「あ、区長さん。こんにちは〜。」 次のタコ焼きの具材を調理しながら、叶恵が挨拶する。 「あの、タコ焼き、ですか?」 「いやいや、この前ね。ほら、商店街でやった夏のイベントがあったでしょ。あの時、ほら、お宅のお嬢ちゃんがクジ引きして、その時に当てた景品を持ってきたんだよ。」 そう言われて叶恵は、ほんの2週間程前の記憶を甦らせながら、ウンウンと頷いた。 区長が話しを続ける。 「本当は、当たったその場で渡したかったんだけど、発注のミスで商品がなくて、それから注文した物がやっと届いたから持ってきたんだよ。」 「あ、ありがとうございます。そうでしたね。」 その後をすっかり忘れていた叶恵は、今の話で思い出し、お礼を言った。 そして区長から、50cm程の正方形の箱を手渡される。 「あ、はい。ありがとうございます。」 「じゃあ、またね。」 そう言って用事の済んだ区長は、さっさと立ち去っていった。 タコ焼き粉を調理している途中に、突然景品を渡された為、手先や指に付いていた生地粉が景品の箱にも付いてしまう。 「あ〜あ、もう・・。」 その時、外の向こう側で、ガシャーンッと何かがぶつかり合ったような激しい物音が響きわたる。 叶恵はその音に驚いたとともに、すぐに嫌な予感で表情を曇らせたかと思うと、両手で持っていた景品の箱を無造作に床の方へと置くと、すぐに店の外へと飛び出して、音のした方を見つめた。 「い、今のは、何の音⁈・・・」 叶恵が呟く。
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