雨音は悪魔のシンフォニー

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 ──雨が降り出す前に、早くここから移動しなければ……。  彼は道に落ちていた穴だらけの帽子をひょいと拾い上げて、少しサイズの小さいことも気にせずにぎゅっと被った。  それから、彼の右隣の壁に寄りかかっていた戦友に肩を貸して、周りに注意を向けながらゆっくりと歩き出した。 「はあ、はあ、はあ。もう俺のことは良いから……」  戦友は苦しそうに息をしながら、彼に向かって声を絞り出した。 「喋るんじゃない! 俺がお前を見捨てたら、何のためにアイツらと戦っているのか、俺の中の意義が無くなるんだ!」  彼は、今にも途切れそうになる戦友の意識を奮い立たせるように、苦しそうな戦友に向かって声を荒げる。そして、呟くように続ける。 「俺は頭が悪いから、政治家どもや上の連中の考えてることなんか分からん。選民思想とか資源枯渇のためとか、色々な事を言ってても、結局は人の命の取り合いだろう? そんなものに正義なんかあるわけ無いんだ……」  少しずつ呼吸音が小さくなっていく戦友を抱えながら、彼は瓦礫が散乱している通りにでて移動手段を探すために視線をまわす。  * * *  キーキー! 「どうしました? 負傷者ですね! 早く後ろの荷台に乗ってください」  突然建物の影から現れた軽トラックは、彼の前でキューブレーキをかけて止まると、殆ど残っていない窓ガラス越しにナースキャップを被った女性が大きく叫んだ。 「急いでください! もうここら辺で生き残っている方は貴方達だけです。雨が降り出す前に、早く屋根のある場所へ避難しましょう」  キュッ、キュッ、キュー!  彼が戦友と一緒に軽トラックの荷台に急いで飛び移ると、すさまじいタイヤのスリップ音と共に車は急発進する。細い腕でしっかりとハンドルを握りしめた彼女は、進路を確認するために前を向きながら荷台に乗り込んだ彼らに向かって声をかけた。  時間的にはまだ日は高い位置にあるはずだった。しかし空には黒い雲がどんどん現れて来て、辺りは次第に暗くなっていく。  トラックが走り抜けている道の端には、多くの兵士が血みどろになって息絶えていた。そこには生命の欠片も存在しなかった。 「だめです! このままでは軍の医療施設までは間に会いそうもありません。 この道の向こう側にある大きな倉庫に逃げ込みましょう」  彼女はそう言ってスピードを落とすと、巨大な倉庫らしき建物のトラックがそのまま出入りできるぐらい大きな搬入口に向かって車を乗り入れた。  車を止めると同時に、搬入口のシャッターを下ろし始めた彼女を横目で見ながら、彼は血の気の失せている戦友を荷台からそっと下ろす。 「大丈夫ですか? とにかく建物の奥に移動しますよ」 「ああ、了解した。しかし、俺のダチは連れて行くからな」  彼は戦友を背中にかついで倉庫の中を奥に移動する。彼女は車から医療器具を大急ぎで取り出すと、彼の後を追いかけた。  * * *  ト、ト、ト。  ザー、ザー、ザー。  数階建ての巨大な物流倉庫らしき建物全体が雨の音で反響していた。  ついに、雨が降って来た。  爆心地は、ここからわずか数キロメートルしか離れていなかった。しかし、その核兵器は局地戦向けだったのだろう。彼らが逃げ込んだこの建物自体には爆発の影響がなかったようだった。  数時間前に爆発した核兵器は、大きなきのこ雲を大気上空に発生させた後、巨大な雨雲となって爆心地を含めた広い範囲に放射能の雨をまき散らす。  ──俗にいう黒い雨だ。  核兵器の直撃を逃れても、その後に発生する黒い雨を浴びてしまえば、急性の放射能障害を引き起こして、あとはただ死を待つしかなくなる。  従軍看護師の彼女と、命が消えかかっている戦友を抱えた彼にとって、建物全体に鳴り響く雨音は、まるで悪魔のシンフォニーのように聞こえていた。 (了)
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