魔物

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魔物

 その頃、ダンジョンの魔物はどうなっているのだろうかというと、かつて人間を恐怖に震えさせた魔物は死に絶え、今やその子孫がダンジョンに潜んでいた。  数百年前の魔物で生きているのは、とあるミノタウロスだけとなっていたが、新たに生まれた魔物も親から人間への憎しみを叩き込まれていた。人間への憎しみは親から子へと受け継がれ、変わることはなかったのだった。  魔物は、勇者を恨んでいた。光を奪った勇者を憎み人間をはやくに全滅させれば良かったと、その目は怒りの炎で燃え続けていた。  クリスタルの封印を解く方法をずっと探し続け、いつの日か「その日」が来ることを願いながら、鋭い牙と恐ろしい爪を研ぎ続けていた。憎しみの感情は何よりも強く、残虐でより凶暴な魔物へと進化させていった。  すると激しい憎しみの感情が渦を巻き、何か得体の知れない力となった。神の目が届かないような暗い夜に、ついに封印の魔法は打ち破られたのだった。  目覚めた魔王は、激しい怒りで震えていた。  クリスタルに封印されていても魔王は世界の果てまで見渡せる力を持っていたのだ。何百年もの間、人間の姿を見続けた魔王は、その身を深い漆黒とし、再び絶望をもたらそうとする凄まじい力を放った。  その力を見た魔物は喜びの涙を流した。人間によって奪われた全てを取り返す為に、死を恐れることなく走り出した。もう誰も止めることが出来なくなった。    魔物は勇者をダンジョンに向かわせる為に、2つの大陸を結ぶ陸橋を目指した。風は唸りを上げ、海は荒れ狂い、地面は震え、空には恐ろしい赤い光が浮かんでいた。  その力は、全て魔王の力によるものであった。  クリスタルに封印されても魔王の力は衰えることなく、さらに強大になっていたのだった。  ダンジョン深層部で勇者を待ち構え、彼等の望みを粉々に打ち砕くであろう「その日」に向けて、魔王と魔物は着々と準備を始めたのだった。  その全て、愚かな人間が望んだことなのだから…    …だが、現実はより複雑だった。      ダンジョンに施された封印の魔法はあまりに強力で、よく分からない得体の知れない力で、打ち破れるようなものではなかった。  かつての魔王はクリスタルに封印されたまま、新たな魔王がダンジョンを治めていた。  新たな魔王のもとで魔物は生き、ダンジョンの中で子を生み育て、その数は数百年前よりも増していた。  変わったことといえば、外の世界から切り離された生活をすることで、新たに生まれた魔物は見たこともない人間に対して憎しみの感情を抱くことはなかった。  それにダンジョンは閉ざされていても、まるで魔法にかかったように何不自由なく生活していける空間であり、優しい時間が流れていて、欲望にまみれることも不満を抱くこともなく、満ち足りた日々を過ごしていた。  外の世界が「唯一の素晴らしい世界」だと思っているのは「人間」だけだったのだ。  新たな魔王と魔物は、ダンジョンを深く愛していたので封印の魔法を破ろうなどとは考えもしなかった。  彼等は争いを望んでいなかった。人間を食い殺したいと思ったこともなく、そもそも武器を持つ人間を前にしたら震え上がってしまうだろう。  彼等は破壊ではなく、20階層もあるダンジョンを楽園へとつくりかえていたのだった。日々の生活をさらに快適なものにしようと試行錯誤を繰り返すうちに知能が発達し、種族ごとにその特性を活かしながら、お互いに協力するようになった。  道具を作り出し、光を生み出し、食物を作り育て調理し、衣服も作り着るようになった。  すると身体もどんどん変化していった。その種族のある特定の部分だけを残して、見た目は人間と変わらないようになっていた。  魔王であるアンセルも例外ではなかった。アンセルはドラゴンである『かのお方』がのこした「特別な存在」であるはずだったが、彼もまたドラゴンの姿ではなくなっていた。  2メートルを超える高身長に漆黒の髪、蛇のような金色の瞳をし、細い体をした優しい男だった。  以前は黒い翼と長い尻尾があったのだが、何もしなかったので、いつのまにか失くなっていた。後ろ姿だけならば、人間と間違えられてしまうだろう。  そして全く使うことがなかったので、ドラゴンの力でもある炎すら失ってしまったのだった。  ドラゴンの面影が残るのは…その瞳だけだった。  ダンジョンには家族と仲間への愛、希望と協調、そして種族を超えてお互いを思い合う心で溢れていたのだ。  魔物は、変わっていたのだ。  変わっていなかったのは、人間の方だった。  だからこそ外の世界を見ることが出来る水晶玉で勇者がダンジョンに向かう光景を、偶然見てしまった魔物の女の子が、20階層の新たな魔王であるアンセルの寝室に慌ててやって来たのだった。 「大変です!アンセルさま!  勇者と魔法使いが、このダンジョンに向かっています! 水晶玉を見てください!」  女の子はドアを開けるなり、大きな声でそう叫んだ。     彼女の名前は、リリィである。  黒髪のロングヘアーに透き通るような肌、大きな琥珀色の瞳を長い睫毛が可憐に縁取っていた。真っ黒な美しい翼と、先端が矢印の形をした尻尾が生えている小柄な女の子だった。  リリィは魔王アンセルの身の回りの世話をする係をしていたが、アンセルはリリィを妹のように可愛がっていた。  しかし、アンセルは驚くそぶりも見せなかった。  大きなベッドの上でゴロゴロと横になったまま、フカフカのクッションを抱き寄せて顔を埋め始めた。 「リリィか…。  また箱から水晶玉を持ち出したのか?  悪い冗談はやめてくれよ。そんな事が起こるわけないだろう。まだ眠いんだよ。  あと2時間でいいからさ…寝かしてくれ…それから…遊んでやるからさ」  と、アンセルはボソボソと言った。  時折リリィはアンセルにイタズラをしたり驚かしたりしていたので、今回もそうだろうと思い本気にしていなかったのだった。  するとリリィはアンセルに駆け寄り、耳元で大きな声を出した。 「ホントです!  水晶玉を見てください!」  リリィはそう言うと、アンセルの頭に水晶玉をグリグリと押し付けた。 「いたい!やめろ!リリィ!  そんなに乱暴に扱って『かのお方』がのこした水晶玉が割れでもしたら、どうするつもりだ?!一個しかないんだぞ!  俺の力では特別な水晶玉は作れないからな!」  アンセルはようやくクッションから顔をはなし、横目でリリィの顔をチラリと見た。  リリィの顔は青ざめ、小さな体はガタガタと震えていた。  どうやら冗談でもないらしいと思うと、アンセルはむくっと起き上がり、彼女から水晶玉を受け取った。 (ダンジョンに向かっている勇者の姿を…)  アンセルは水晶玉を手に取り、そう願いながら覗き込んだ。 「ほら、見てください!  勇者です!強そうな勇者が攻めてくるんです!  このダンジョンが危ないんです。  全滅させるつもりです!」  リリィは悲しみの声を出し、ボロボロと泣き始めた。  輝く武器を持った勇者の姿が映し出されていた。  彼等は素晴らしい馬に乗り、風のように草原を駆け抜けていた。勇者の名に相応しい立派な顔つきをしていて、恐れを知らぬ勇ましい瞳をしていた。その身に帯びている剣と槍と弓は、陽の光を浴びて美しく輝いていた。  アンセルは恐怖の叫び声を上げ、手に持っていた水晶玉を滑り落としそうになった。  魔王と勇者は対照的だった。  戦う前から、魔王は勇者から逃げ出すだろう。見る者にそう思わせるほどに、アンセルの両腕はガタガタと震えていた。 「なんだこれ!?  どういうことだ!」  アンセルの目は大きく見開かれた。 「かつて魔物が暴れ回った時のような現象が…外の世界に起こっているみたいなんです。  だから、その原因が…今回も魔物にあるとされているみたいで……」  リリィは涙を拭いながら、途切れ途切れにそう言った。 「なんで外の世界の異変の原因が、この閉じ込められたダンジョンにいる俺達にあるんだよ!?  俺達は何もしていないぞ!  しかも勇者って…武器持ってるし…殺されるじゃないか…」  アンセルの顔はみるみる青ざめていった。初めての緊急事態に直面し、狼狽することしか出来なかった。  心は恐怖で一杯になり、あまりのショックで視界が薄れていくのを感じた。  勇者と戦うことなど考えられなかった。  今の彼に出来るのはダンジョンの中で息を殺して身を潜め、勇者が帰っていくのを願うことだけだろう。  しかし願いは虚しく勇者に見つかり、自らの胸を刺し貫かれるというのが結末だろう。  アンセルはしばらく黙り込んでいたが、水晶玉が輝かしい光を放つと、のっそりとベッドから起き上がった。  額から汗を流しながら水晶玉を小脇に抱え、落ちかない人のようにグルグルと歩き回った。  こうして人間への憎しみも戦い方も忘れて平和に暮らしていたにもかかわらず、世界に異変を引き起こした原因を一方的に押し付けられ、激しい戦いの渦へと巻き込まれていくのだった。
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