思い出パンチ

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 育ての親に命じられ、台所の戸棚の整理をしていると、ころんとガラスの破片が落ちてきた。二・三センチほどの薄い緑の四角い破片。たぶんラムネのビンの欠けら。色合いが同じだ。なんとなく蛍光灯に透かして見るが、光をぼかすだけで、輝きにならない。  それがなんだかつまらなくて、ぎゅっと握りしめた見たが、手には少しの傷もつかなかった。ガラスの破片の角は、ごつごつとした柔らかみを帯びている。そのさまは海の波に揉まれて丸くなったシーグラスと似ている。だけど決定的に違うのは、このガラスの破片は人の足に蹴られて、コンクリートに擦れて丸みを帯びた。だからシーグラス特有の、海の微睡を凝縮したような曇り色にはなっていない。ただそこらじゅうが傷ついて、薄汚れた色になっている。 なんだか、この街みたいだよなぁと、ふと思った。  元は一個のガラスビンだったのに、割れてしまって鋭利な凶器になった。波にさらわれるように人の足に蹴られ、角を柔らかくしてゴミになる。もう二度と一個のビンに戻れない。凶器にも、ガラスにもなれない破片。  なんでこんなものがあるんだろう。僕はガラスの破片をぽいっと投げ捨てた。ガツンと音をたてて、ゴミ箱に入る。  ゴミはゴミ箱へ。いらないものは消去して。なんでもかんでも抱えてたら、重みで歩けなくなっちゃうもんね。何故か僕は唐突に、そう考えてしまった。  この物語は、遠い昔……いや、近い昔。僕が小さな子供だった頃のものだ。幼なじみの少年・ヒーちゃんと、僕・ユキノジョウの、くそみたいにくだらない日常。ここに登場する、「ある場所」は、今はもう僕らのものではない。ヒーちゃんと僕のようなやつが、そこを「自分の場所」にしているのだろう。  しかしあの瞬間においては確かに僕らのものだった。それはいつまでも変わらない。あの瞬間はどの時間枠からも外れ、現在も未来も存在し続ける。僕が、ヒーちゃんが、忘れてしまったとしてもだ。  ……たぶん、ね。  思い返せば、シークレット・ガーデンの子供は、いろんなタイプがいた。  ストリートで育って、ラッパーかドラッグの売人にならない限り、ここから抜け出せないと思い込んでいるやつ。貧民街で育って、誰からも抱きしめられたことがありませんって面で、物乞いしてるやつ。ただ貧乏人に生まれちゃっただけってやつ。街の中で上下というか、決定的な貧富の差というか、音楽性の違いのようなものがあった。  僕はその中でも貧乏人に生まれたやつで、比較的平和に生きていた……はずだったのだけども、どうも人生の予定が狂ってしまった。物乞いにも、ストリートで名を上げることにも無縁だったのに、いつのまにかやや物騒な音楽性の道に踏み込んでしまっていた。それは僕の幼なじみと呼べる相手が、 「なあなあ、ユキノジョウ。ちょっとそこらに喧嘩しに行こうぜ」  ストリートタイプの、ヒーちゃんであったからだ。  晴れすぎた陽気の午後。風もなく、雲はほどほどにあり、暑くも寒くもない、素敵な天気。路地に座りこみぼけっとしている僕を見つけて、ヒーちゃんは『遊び』に誘ってくる。 「こんなに天気がいいじゃん。こんな日は喧嘩するもんだよ」  親指を突き立てたポーズと、歯でも光りそうなくらいの爽やかな笑み。台詞さえなければ、夢いっぱいの素直な子供時代を満喫している平和なガキだ。 「二人でさ、シークレット・ガーデンに最強伝説を残すの。よくない?」  この街の子供はいわば猫や犬のようなものだった。自分の陣地や評判を守るために、毎日毎日喧嘩に明け暮れなくてはいけない。大人の世界もノールールに近い街では、子供の世界の方が危うく、無秩序さのレベルが高い。なので、頼りになるのは力だけ。喧嘩の強さは立派なステータスだった。  でも、それはヒーちゃんのようなタイプだけに当てはまる世界だ。僕のような貧乏人の子供には関係がない。 「ねえ、やだよ。どうせボコボコにされるもん」  そもそも僕は、栄養不足なのかやたらと小さい体つきをしていた。なんていうか女の子みたいに華奢だったのだ。喧嘩なんかしたらすぐ負けてしまう。わざわざ貧弱という評判をつけたくない。 「ユキノジョウは始めから負ける気でいる。だから余計に目をつけられるんだよ」  実際、僕は弱そうに見えるのでストレス解消にボコボコにされたり、女の子に間違われたりして追っかけまわされることが多かった。なので逃げ足だけは速い。情けないような気がするので、自慢していいのか微妙な部分なんだけど。 「でも今日はおれがいるから大丈夫。気分転換になるよ、行こうよ」 「そんな散歩行くノリで喧嘩に誘わないでよ」  僕は大きなため息を、わざとらしく吐いてみせる。 「じゃあ、どんなノリがいいんだよ。親の仇でもとりにいくノリ?」
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