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我儘
●登場人物
美波:クラスの二軍女子。周囲に気を使うタイプで、板挟みになりやすい。
紗希:クラスの一軍女子。他人を利用するような卑怯な人間が嫌い。
〇前半
美波M:
彼女と出会ったのは、夜中の陸橋の上だった。
いや、正確に言えば既に学校で、教室で、何度も会っていたのだけれど。
私の人生に彼女は居なかった。
同じ教室に居ながら、住む世界はまるで違う。交わることは決してない。
きっとこのまま卒業して、そのまま消えてなくなる。
私の人生に彼女は居なかった。
……
火照った頬を夜風で冷ましながら、真下に走る車の流れに目を落としていた時だ。
何もかもが煩わしくて、どうでもいい有象無象に惹かれていた。
流れていく光の不思議な魅力に、私は吸い込まれそうになっていた。
そんな時に出会ったのが、彼女だった。
私の人生に、紗希が現れた夜だった。
美波M:
呼び鈴が二回鳴った。紗希がうちに来たらしい。
一度鳴らせばわかるものを……この鳴らし方をするのは彼女しかいない。
私は手首に着けていたヘアゴムで後ろ髪を纏めると、扉を開けた。
紗希:やほ。遅くなってごめんね。待った?
美波:別に。というか家だし、全然大丈夫。
紗希:それもそっか。それじゃ、お邪魔します。はいこれ今日のおやつ。プリン。
美波:ありがとう。プリン?これ前も持って来たものじゃない?
紗希:そだよ。美波の反応が今までで一番良かった気がしてさ。違った?
美波:それは……うん、お気に入りだったけど。
紗希:もっといいものご所望系?
美波:い、いや違くて……よくわかったね。
紗希:いやー美波わかりやすいからさ。あ、トイレ借りていい?
美波:あ、うん、いいよ。私の部屋、勝手に入ってきていいから。
紗希:わかったー
美波M:
紗希は、私がわかりやすいという。
それを聞くたびにドキッとする。
私はそんなに筒抜けだろうか。
私はそんなに、取り繕えてないのだろうか。
……
もしわかるなら。
皆は私のことを蔑ろにしているのだろうか。
紗希:美波ー。
美波:んーおかえりー。お茶、紅茶でよかった?
紗希:アールグレイ?
美波:知らんがな。家にあったやつ。
紗希:まあ別になんでもいいけどさ。それより美波、トイレットペーパーの替えってどこにある?
美波:……え!?ない!?
紗希:え、うん。
美波:うん。じゃないよ!?大丈夫だったの??
紗希:あー違くて。私が最後使っちゃったから。
美波:あーなんだびっくりした。
紗希:次使うとき困るかなって。洗面台の上の戸棚開けたんだけどさ、無くて。
美波:あーじゃあないわ。お母さんに連絡しておく。ありがと。
紗希:はいよー
美波:……
紗希:……
美波M:
私達の仲は、とても奇妙だと思う。
会話が、続かない。
話題がある時は、何事もなく過ごせるというのに。
尽きた後の次が、ない。
私は何故彼女といるのだろう。わからない。
私と彼女は同じ場所に居なかった。
今だってそうだ。学校では碌に話さない。
ただ、帰り際に突然向こうから押しかけてきて。
今、家にいる。そんな日々。
紗希:いつも思うんだけどさー、お母さんお茶好きでしょ。
美波:え?うん、そうなんじゃないかな……
紗希:出されるたんびに何か違うからさー。しかも美味しいし。
美波:へぇー……よくわかるね。
紗希:いや、そんなにわかってないよ。ただ、なんとなく。いつも違うなって思っただけ。
美波:それはよくわかってると思うよ。私なんて、紅茶か緑茶かの違いしか分からないもん。興味ないし……
紗希:そっか……じゃあ今度お茶屋さんにでも行こうよ。
美波:え?いいけど、なんで?
紗希:目を向けてみたら、案外好きになることもあるんじゃないかって、私は思うからさ。
美波:それは確かに……そう、だね。
紗希:うん。よし、じゃあ今日も手貸してよ。
美波:また持って来たの?
紗希:うん。今日は良い感じの見つけるのに時間かかってさー……だから遅くなっちゃった。
美波:……別にもう私、死ぬつもりないよ?
紗希:え?いや違うよ。私が好きなだけ。
美波:そっか……
美波M:
別にあの時だって、死のうとしてた訳じゃなかった。
ただ何となく、吸い込まれてしまいそうな、魅力があった。
陸橋から車道を見下ろす私の腕が、不意に強く引かれる。
制服姿じゃなかったからか、いや、そもそも普段関わりが無かったからだろうか。
夜風に髪を靡かせた彼女が、遠山紗希だと、すぐにはわからなかった。
美波:えと……遠山さん?こんな時間にどうしたの?
紗希:いや、うちすぐそこだから。アイス買ってて。
美波:あ、ああ。そうなんだ。
紗希:美波、どうしたの。
美波:え、い、いや。別に……
紗希:だめ、擦っちゃ。腫れちゃうよ。
美波:あ、ごめんなさい……大丈夫だから。
紗希:今夜はうちにおいで。ね。
美波:え。いっ、いやいい
紗希:アイス溶けちゃうから。早く。
美波M:
その日の夜、私は紗希の家に半ば強制的に連れていかれた。紗希は特に何を聞くでもなく、今みたいに私の手を取った。
紗希:校則?死にたいって時になに変なことに拘ってんの。爪が綺麗になれば絶対気分アガるから。いい子して死にたいくらいなら、悪いことして指先隠した方がよっぽどマシだって。
紗希:あの日の美波は……恍惚とした表情をしていたよ。歩道橋の上で、あんなにうっとりしてるんだもん。やばいと思ったよ。
美波:あの日は色々重なってたんだよ。別に、死にたかった訳じゃない。ただ、鬱陶しかっただけ。
紗希:……私は鬱陶しくなかったの?
美波:紗希は……まず驚いたかな。ほんとに、ただただ……
紗希:まああの時はそんなにつるんでなかったからね。
美波:よく私に声かける気になったね。そもそも私服だったし、よくわかったなーって。
紗希:まあ美波のことは前からよく見てたからね。
美波:……は?
紗希:いや、真衣ちゃんとこのグループだったでしょ。真衣ちゃん、ちょいちょい私達のとこ来てたからさ。真衣ちゃんの友達なんだな―って。
美波:そっか……真衣ちゃんね……
紗希:それに文化祭のときもめっちゃ頑張ってたじゃん。
美波:……え。
紗希:追加のタピオカ買いにいったり、店番とかも何回か代わりにしてたでしょ。それに私達、店番同じときあったじゃん。
美波:あった。あったけど、よく覚えてるね。
紗希:美波だって覚えてんじゃん。……だから、いいなって思ってたよ。
美波:そう……なんだ。
美波M:
紗希は、うちのクラスの一軍といっても過言じゃない。
紗希のいるグループは、クラスの中心なんかじゃない。頂点なんだ。
私のグループの関係は、とても卑しい。仲良しこよしを演じながら、いかに一軍に取り入ったか、そんな話ばかりをしている。己の心に住まう劣等感のケダモノに、皆の間を取り持ちながら、いつしか目を背けていた。うちらがこんなにも惨めなのも、全部、あいつらのせいなんだと。
疲れた。相手を褒めるのも、慰めるのも。こんなの友達でもなんでもないと、内心見下しながら。
それでも、離れたら私は生きていけない。もっと惨めなのは、嫌だ。
そうやって、私も劣等感の獣に飼い慣らされている。それがとても惨めで堪らない。
遠山紗希にとって、私なんてどうでもいい人間だと思われている。そんな風にいちいち考えたことは無い。考えるまでもなく、当たり前だと思っていた。
でも、彼女は私のことを見付けていたんだ。陸橋で私を拾うより前から。ほんの少しだったとしても。
心が柔らかな熱で満ちていく。そうか、紗希は知っていたんだ、私を。
そんなことに、喜んでいる。上の人間に認められることの喜び。
そんな自分が、惨めで、堪らない。
〇後半
紗希M:
美波は、私が塗り進める自分の爪を、見るともなく見ていた。
また、何か考えているのだろうか。
美波は、私のことを避けている……ような気がしていた。
多分、苦手なんだろう。こういう、軽薄な輩は。
真衣がうちらのグループに絡みに来るとき、たまに他の子も一緒に来てた。
その子たちは何というか、獣のような目をしていて、喋りながら蹴落としあっているような、そんなくだらない連中だった。
こいつらは、私達に喋りに来たんじゃないな。そう思った。人のことを値踏みするような目で見やがって。
そんな私達の会話を、さも興味無さそうに、それでいて隠しきれない嫌悪を醸しながら、美波は、ずっと背を向けていた。
美波:この水色、綺麗だね。
紗希:そうでしょー。ずーっとしっくりこなかったんだけどさ、これ見付けた時、これだ!って思ったんだよね。
美波:こういうのって、やっぱ薬局で探すのがいいのかな。
紗希:……え。
美波:え、違うの。
紗希:いや、うん、違わないね。えっと、ほら駅前のとこさ、二階にコスメコーナーあるじゃん。私はそこで買うこと多いかも。
美波:あー私もあそこ行ったわー。ふんふん、そうか、そこで買えばいいのか。
紗希:……ネイル、興味持ってくれたんだ?
美波:こんだけ塗られてればね。目を向けてみたら、案外好きになることもあるからね。
紗希:ははは……そっか。よかったよかった。
美波:紗希はさ、なんで私の爪を塗りに来るの?
紗希:似合うと思うから。美波の指先とても綺麗だし。
美波:そんだけ?
紗希:うん。今はそんだけ。
紗希M:
家に連れ帰った彼女と、何を話したらいいかわからなかった。
それでも、張り裂けそうな彼女をそのままあそこへ置いていける訳がなかった。
何から話すべきか、そもそも何を聞いてもいいものか、と視線を巡らせていると、艶やかな薄桃の爪が目に入った。
綺麗な指先をしているのに。私は目についたエナメル瓶を数本取り出すと、美波の爪と見比べた。
美波:ネイル!?し、しないよ!校則でダメだし!
そんなことを言いながらも、美波は私が並べたエナメル瓶をちらちらと見ている。
ここまで興味を隠せない人もいないだろう。ムスっとしている子だと思っていたのに、なんだ、こんなにかわいい子だったのか。
ほっとけないから、と拾ったのに。未だに。
未だにほっとけなくて、気になって気になって。
私は彼女の虜になっている。
美波:……私さ、お姉ちゃんがいるんだけど。
紗希:うん。
美波:お姉ちゃんは私立高校通ってさ。そんで、大学も私立行ったのよ。エスカレーターで。
紗希:うん。
美波:それでね、学費がやばいからさ、ギスギスしてて。毎晩大喧嘩してんの。でね、私には国立大いけってさ。
紗希:それはおかしくない?あまりにも勝手だよ。
美波:別にさ、大学の金出してくれるし、親の為に頑張って国立行くのはいいの。てか、そのつもり。でもさ……お姉ちゃんは馬鹿だからってね、私立行かせたの。私は出来るんだから、国立だってさ。
紗希:……
美波:あの日はね、それで泣いてた。
紗希:えっ
美波:ずっと気になってたからさ。言わなかったの。助けてくれたのに、言わなかったから。
紗希:別に……そんなに気にしなくていいのに。
美波:私はね、鬱陶しかったんだ。何もかもが。親も先生も友達もみんなみんな。もう笑えなくなるんだ。どんなに笑っても、それを俯瞰している自分がいて、どんな顔をしてるのか、どんな顔に出来てるか、ずっと考える自分がいる。それもいろんな形で。怒らせないかなとか。喜んでくれるかなとか。……惨めじゃないかな、とか。
紗希:……うん。それで?
美波:認められたいんだな私って。皆から。でもさ、皆私のこと探してくれないの。だから、頑張るの。見つけてもらう為に。……でも、急に何もかも嫌になっちゃたのかな!死にたかった訳じゃないの。ただ……ただ何となく、落ちたいなって思った。
紗希:美波はさ。自分の我儘をさ、表に出すのが苦手なんだと思うよ。
美波:プライドが高いのかも。しかも、底辺のプライドが。こうはなりたくないっての。
紗希:私、遠くからだったけど、美波のそういうとこずっと見てたよ。
美波:……惨めだよね、私。
紗希:胸が痛かった。
美波:痛々しいもんね。
紗希:美波はさ、私のこと苦手だったでしょ?
美波:それはそう……だけど、違うの。一方的に願望を押し付けていたというか……一方的に恨んでたのかもしれない。楽だから。
紗希:だからさ、絡みに行くのも、お節介だなって。
美波:そんなこと考えてたんだ。
紗希:私はさ、はっきり言って、美波がつるんでる連中嫌いだよ。
美波:ははは……はっきり言うね。
紗希:くだんないとこが嫌い。人を値踏みするような目が嫌い。人を足場にする性根が気に食わない。上辺しか見れない目を潰してやりたい。
美波:……それは、私もそうだ。
紗希:違うよ。
美波:いや、でも実際
紗希:違う。
美波:え……でも
紗希:美波。私は美波をちゃんと見てるよ。私が、美波を見付けたの。美波が自分のことを言えなくてもいいよ。私がわかってみせる。言えない我儘を、この私が。
美波:あ……あ……うん。ありがと。あー……うん。あり、がと。
紗希:どう……いたしまして?
美波:……プリン!食べたいなぁ?そろそろ冷えたかなぁ?持ってくるね?
紗希:あ、うん。私の分もお願い。行ってらっしゃい。
紗希M:
この私が。
こんなに我儘になったのは、初めてかもしれない。
いつも冷めてたんだ。
私には人が寄ってくる。傲慢なんかじゃなくて、事実だ。
その有象無象全てがくだらない。うるせぇよお前ら、誰だよクソが。
だから、つるむ仲間はいつも自分で選んだ。寒い奴は、一緒に居てイライラするから。
美波は、目に付いた。何故だろう。
ほっておけなくて、構いたくて、仕方が無かった。
でも、あの日、あの夜。あの帰り道。
恍惚とした表情で見下ろす彼女の姿に、心を奪われてしまったのかもしれない。
我儘。
美波には確かな我儘があった。
そして慎ましかった。
我儘、我儘。隠すのが下手なのに、引っ込めてしまういじらしさ。
あいつらは何でこれを踏みにじるんだ。
私があげたい。私が。これは、私の我儘。
こんな気持ちは初めてだ。これはおかしいのだろうか。
美波M:
頬が熱い。
私がわかりやすいのなら。なら。バレてしまったのだろうか。
でもやはりおかしい。きっと勘違い。
私のことを、見てくれた。見付けてくれた。
それだけの気持ちの昂りだ。
初めて人を見たいと思ったのかもしれない。
私は認めてもらう為に、私しか見てなかったんだ。
私は彼女に我儘を押し付けたくない。私は我儘でありたくない。
これも、私の我儘。
美波M:ずっと滞っていた気持ちが。
紗希M:漸く熱を帯びていく。
美波M:おかしいな。
紗希M:おかしいだろうか。
美波M:だって私達は
紗希M:ただの友達なのか。
美波M:けど、それよりもきっと
紗希M:それよりもずっと
美波M:向うへ行けると
紗希M:信じている。
美波:お待たせ―
紗希:超待ったよー
美波M:恋と呼ぶには、あまりにも熱すぎる。
紗希M:この熱はまだ、ただの我儘のまま。
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