序章 入寮と邂逅

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「詩緒さんと会うの久し振りだなあ」 「レオは榊とは一年振りくらいだったか。家じゃないんだから騒ぐなよ」  昨年末、千景は道で行き倒れていた詩緒を玲於と住む家に連れ帰った事がある。詩緒が元上司からの度重なるパワハラで倒れた時もその場に居合わせており、当時は転職した直後だったがそれから幾度となく詩緒の事を気にかけていた。  二人の左手薬指に光るお揃いのシルバーリングはこの八月玲於が十歳上の従兄である千景にプロポーズと共に渡したものだった。それから程なくして千景は二人の籍を一つにする為玲於と養子縁組をした。戸籍上では玲於が千景の息子という形になっており、玲於は名字を従来の『本木』から『佐野』へと改めた。養子縁組には二人の従兄である竜之介の尽力が大きく、実の兄より兄と慕っている竜之介に対して千景は今回の件も含め頭が上がらなかった。  分室に所属していない千景は寮の前まで来ると、とても寮とは言い難いその景観に目を丸くした。本棟から徒歩五分弱、高級住宅街の中に聳え立つその寮は一見して立ち並ぶ他のマンションと遜色無く、内部の造りを知らなければマンションと間違えてしまうだろう。千景と玲於も四月に本棟へ近い場所へと引っ越した為寮までの距離はそう遠くない。それでも二人が暮らすマンションとは豪華さが違う理由はこの為に建築された築年数の新しさもあるのだろう。  普通のマンションと違うところはオートロックの呼び出しボタンに番号が表示されていない事だった。どこに繋がるか定かではない呼び出しボタンを千景が押すと数十秒後にライトが点灯し、マイクからくぐもった詩緒の声が届いた。 『千景先輩、今開けます』  言葉の後すぐに木目調の自動ドアが左右に開かれ、初めて見るオートロックに感動する玲於の手を引き千景はエントランスへと足を踏み入れる。  外観に反して内部はそれほどの華美さは無く、モノトーンでシックなエントランスで靴を脱いでいると右奥の階段から詩緒が下りてくる。 「外寒くなかったですか? コーヒーでも入れますよ」  肌を刺すような外気とは異なり寮の中は空調管理されており比較的暖かかった。エントランスが一階という事もあり快適とまではいかない温度ではあったが、居住空間は二階という事は聞いていたので節電の意味合いもあるのだろうと考えた千景は上着を脱いでエントランスのハンガーポールにコートを掛ける。 「詩緒さん久し振り~」  玲於は靴を脱ぎ散らかしたまま一年振りに会った詩緒へと駆け寄る。千景は二人分の靴を揃え並べると振り返り詩緒へ歓喜のハグをしている玲於へと視線を送る。  詩緒と玲於が並ぶと二人の身長はほぼ等しく、どちらも千景よりは高身長で百八十を超える高身長の持ち主だった。別棟で勤務をしていた時も私服が許可されていた詩緒は白や黒などモノトーンの服を好んで着ていたが、この日も黒いハイネックのセーターと濃い青色のスキニーを穿いていた。顔の造形は美形であるものの本人はその容姿には無頓着で伸びっぱなしの黒髪は前髪がほぼ鼻を隠すまでに伸びていた。反して美容師の従兄がいてカフェで接客業のアルバイトをしている玲於は定期的に脱色している髪は明るい金色で、肩に当たる程度のミディアムヘアをハーフアップで纏めていた。玲於の服のセンスに関しては美容師の虎太郎という強い味方がおり、オーバーサイズのパーカーにブラックパンツの組み合わせは千景が隣を歩いているだけでも十分人目を惹く事が分かった。 「レオ、榊が窒息するからやめてやれ」  二人の身長はほぼ同じでもその体格には大きな差があった。食事をしているかと不安になる程白くて細い詩緒とは対照的に、週に数回ジムで身体を鍛え始めた玲於の筋肉の成長には目を見張るものがあった。元から筋肉が付き難い事を気にしていた千景から見れば、玲於が全力で抱き締めれば詩緒の骨は簡単に折れてしまうのではないかと思う程だった。 「あっ、そうだね、ごめんね詩緒さんっ」  千景に指摘された玲於はハッとして両腕の中から詩緒を解放する。決して危害を加えようとしていた訳では無いので痛みこそ感じなかったが、圧迫感から解放された詩緒は胸を撫で下ろして呼吸を整える。 「レオ、榊に会いたがってたんだ」 「……妬かないんですか?」  籍まで入れた恋人が他の男に抱き着いている姿を目の当たりにして何の感情も無いのかと、詩緒は玲於のコートを脱がせてハンガーポールに掛ける千景へと視線を送る。 「榊に? 妬かないだろ」  他の誰かならばいざ知らず、弟同様に気に掛けてきた詩緒と玲於が抱き締め合っていたところでそれはただの戯れにしか見えず、嫉妬の炎を燃やすどころか微笑ましいだけのものだった。千景の言葉を聞いた詩緒は自分ではまだその領域に達せられていない事を僅かながらに後悔した。弟を二人持ち長男である詩緒は今まで自分の身の回りに年上の男性が居なかった事から千景の事を人生の先輩と捉えるとともに、兄の様にも慕っている節があった。自分が頑張らなければいけないという長男にありがちなプレッシャーから詩緒を解放したのは千景の存在だった。
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