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ぬるま湯を壊す言葉
あー君宅で夕食をご馳走になり、食後のお茶まで図々しくも頂いている私は、この平和な日常に満足している。
いや、満足した気になっていた。
「あーちゃんさ、いつまで引き篭ってんの」
あー君の鋭い指摘を受けるまでは。
大学を辞めて八年。
ニートになって八年。
バイトもせず部屋に篭ってゲーム三昧に明け暮れて、気付けばもう二十六歳になっていた。
私の歳なら結婚している人もいる。
子供を産んでいる人だっている。
着実に仕事のキャリアを積んで社会に貢献している人だっているだろう。
成長したあー君を見れば嫌でも現実を突き付けられる。丸こい顔がいつの間にかシャープになり、喉仏も出て声変わりまでして、身体つきも逞しくなりつつあるようだ。
大人への階段を登るあー君と階段の途中でへたり込んでしまった私。十も年下のあー君に追い抜かれそうだと、今初めて気付かされた。
「こら。暁斗は黙ってなさい」
「母さんが黙ってよ。甘やかすのは良くないだろ。そんなの、あーちゃんの為にならないし、」
「それでも! 暁斗が口を挟む問題じゃないでしょ。ごめんね、歩美ちゃん。暁斗ってば高校生になったからって生意気言うようになっちゃって……悪気はないのよ」
「大丈夫です。分かってますから……」
美味しいお茶がただの飲み物に変わる。
和やかな空気がピリッと引き締まる。
居心地の良いリビングが急に居た堪れない空間へと変貌し、私は逃げ帰ることしか出来なかった。
あー君の言うことは間違ってない。
あー君のお母さんはあー君のお父さんを事故で失い、女手一つで立派に育て上げた人。私とは次元もレベルも違う。比べることすら烏滸がましい。
タフでパワフルで尊敬出来る人を母に持つあー君は、私のような打たれ弱い人間を見てたら苛々するだろう。
私の両親も私が小さい頃からバリバリ働いていた。寂しかったけど、それを口にすれば迷惑をかけると思って黙って耐えていた。
黙ることに慣れ、察することに慣れた結果、私は人を煩わせることを極度に恐れるようになる。
一人でいれば、誰とも関わらなければ、何の問題も起きない。問題がなければ平和に過ごしていける。
この後ろ向きな考えが私をボッチにさせ、大学で好意と悪意の区別を曖昧にさせ、今がある。
自分が選んだ道なのに、あー君に言われただけで狼狽えた。焦りで不安が膨らんだ。
そしてまた逃げている。
私はどうしようないな、本当に。
「あーちゃん待てよ!」
自宅の扉を開けたら一緒にあー君まで雪崩れ込んで来た。ああ、今はそっとしてて欲しいのに。
「ごめん。あーちゃんを責めた言い方をした。違うからね。そんなつもりじゃなかったんだ」
「いいよ、別に。本当のことだもん」
「っ、泣くなよっ! 俺が悪かった!」
「泣いてない。これは体内の水分が勝手に外に出てるだけだよ」
あー君は悪くない。全然一つも悪くない。
弱過ぎる私がダメダメなだけ。干からびて死んじゃえばいいのに。この考えもヤダ。だけど止まらない。自己否定しか浮かばない。
「お前がいるだけでいい」
「え、」
「ただここに、お前がいるだけで俺の世界は幸せなんだよ」
顔を背けてあー君が言った。
暫し呆然となる。
だってその言葉は……
「アリオン様」
「っ! 」
「それ、アリオン様がヒロインを励ます時に言う台詞だよ。なんであー君が知っ」
「う,うるせぇ! たまたまだろ!」
「そうなの?」
「そうだよ!」
「でもあー君、私のことお前なんて呼ばないじゃん」
「それもっ! たまたまだ! 分かったなら早くその水分とやらを引っ込めて、余計な事を考えずクソして寝ろ!バーカ!」
捨て台詞を吐いて去って行くあー君。
彼はアリオン様に憧れているのかもしれない。
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