3話 春はふかふか

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3話 春はふかふか

何もない休日の午後。 俺はベランダの窓ガラスの向こうで揺れるミスジのエプロンを眺めながら思う。 ……随分と寒さが和らいできたな。 今まで土日は午後からラストまでバイトを入れていた俺だったが、あの停電以降夜はなるべく家にいる事にして、バイトのシフトを14時までにしていた。 ポカポカの洗濯物を取り入れたミスジが窓を開けて、春風と共に俺を振り返る。 「こーたさん、あったかくなってきましたね」 「そうだな。もうそろそろ日中の天気の良い日は外に出られそうだな」 俺の言葉に「じゃあ、お外デートできますね」と嬉しそうに返すミスジに、俺は朝晩はまだ冷えるからとか日中も曇ると急に冷えるからとかついつい口煩く言ってしまう。 そんな俺をじとりと見て、不満げに唇を尖らせてミスジが返す。 「わかってますよぅ。だから、ぽかぽかのお天気の良い日に行きましょうねっ」 「ああ、暖かい日にな」 あの停電の日の夜、俺はミスジに初めてを奪われた。 ……色んな意味で。 ミスジはなんというか……その……、とても上手くて。いや、他を知らない俺が言うのもおかしいが、とにかく気付いた時には朝だった。 怖いとか痛いとか恥ずかしいとか、そんな風に思う間すらほとんどなかった。 俺が朝日に目覚めた時には電気も戻っていて、部屋には暖房がついていた。 「こーたさん、お目覚めですか? おはようございます」 すぐ隣からふわりと声をかけられて、俺はようやく正気に戻って、恥ずかしさのあまり逃げ出したくなる。 昨夜のあれこれが一気に蘇って、俺は必死で記憶を振り払いつつ布団を頭まで引き上げる。 って俺、服も着ないで寝てたのかよ! 全裸で寝るとかどこのドラマだよ!! 日本人の日常じゃねーだろっ。 こんなの生まれて初めてなんだが!? あー……。顔が熱くなってきた。ミスジの顔が見れそうにない。 あと腰が痛い。足の付け根も痛い。 いや、肩とか腕とかふくらはぎも痛いんだが? そうか、昨夜は慣れない雪道を長々と歩いたから全身筋肉痛なのか……。 「こーたさん? 寝たフリですか?」 くすくすと笑うミスジの声はとてもリラックスしていて、俺だけがこんなにテンパってるのかと思うと悔しい。 ミスジは、俺が最中も火を消していない事をずっと気にしていておかしかったと笑った。 「いや……、だって火をかけっぱなしにして火事にでもなったらマズイだろ?」 「ちゃんとぼくが消しておきましたから、安心してください」 楽しそうに答えるミスジの声を布団越しに聞きながら、ふと気付く。 ん……? 待てよ? これで恩返しが済んだら、ミスジは帰っちまうんじゃないのか? いや、そもそもこれって恩返しになるのか……? 結局俺がミスジに食われただけじゃねーか? 「なあ、ミスジ…………」 「なんですか? こーたさん」 「お前……帰るのか?」 「どこにですか?」 「……山、とか……?」 「なんでですか?」 不思議そうな声に顔が見たくなって、少しだけ布団をおろしてみると、黒々としたつぶらな瞳と目があった。 本当に俺好みの顔なんだよなぁ。 色が白くて小顔で、ほんの少し儚げで。 繊細な顔立ちに、黒目がちな瞳。 明るいオレンジの前髪はミスジ本来の物なんだろうが、手触りはふわふわしてして柔らかい。 「……ぼくに、帰ってほしいんですか?」 じっと見つめられたまま問われて、俺は慌てて首を振った。 振ってしまってから、ここは頷けばよかったところだと気付く。 いや、そうなんだろうか。 俺はミスジと別れて、今までの生活に戻って、それで平気なのか……? 戸惑う俺を見つめるミスジが、純粋そうな瞳をすうっと細めて首を傾げる。 それだけの仕草で、ミスジの纏う空気がどことなく妖艶になった。 「ふうん……?」 ミスジの小さくて白い指が、布団を鼻の上まで上げている俺の額に伸びる。 な、なんだ……? 俺の前髪を弄んだミスジの指が、眉の上をゆっくりなぞるようにして俺を優しく撫でた。 「……それってつまり。こーたさんは、またぼくに襲われてもいいって事ですか?」 「は……?」 いやいやいや、そうじゃない。 そうじゃないだろ!? 「それは拡大解釈だ!」 訴える俺に、ミスジは綺麗に微笑んだ。
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