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1話「助けていただいた蜘蛛です」
ピンポーンと鳴った音に「なんか荷物届く予定あったか?」と記憶を辿りつつドアスコープを覗き込めば、そこには手ぶらの男が映っていた。
歳の頃は俺とそう変わらないくらいの、つまり大学生くらいの男。
俯いていて顔はよく見えないが、黒縁眼鏡をかけてるようだ。
パーマなのか天然なのか、鮮やかなオレンジに染められた前髪は毛先がくるんと巻いてふわふわと風に揺れている。
服装は、宅配便の制服でもなければスーツでもない。
十月とはいえ今日は陽射しもなく外は寒そうだな。
もこっとしたニットを着た青年は、派手な髪色に反して大人しそうな仕草で肩をすくめている。
彼は白い息を小さく吐いてマフラーを引き上げると、寒そうに身を縮めた。
なんだ? 訪問販売か?
だとしたら居留守にした方がいいな。
なんせ俺は押しに弱い。断るのがめちゃくちゃ苦手な日本人だ。
必要もない健康食品や使いもしない掃除グッズ、一応使ってはいるが寝心地に満足できない布団セット等、部屋を見回すだけで悲しい訪問販売品がどっさりある。
我が家はドアモニターのない程度には古いアパートだが、扉はそれなりに分厚く頑丈なので気配さえ殺していれば気付かれる事もないだろう。
とにかくあれだ。俺は出てしまうとダメなんだ。
顔を合わせたが最後、巧みなセールストークの勢いに流されて気付いた時には契約完了してる。
だからここは慎重に……。
音を立てないよう息を殺してセールスマン(?)が去るのを待つ俺に、ドアの向こうから悲しげな声が聞こえた。
「どうしよう……開けてもらえない……」
ん?
いきなり居留守がバレてる……?
あ、部屋の明かりでバレたのか?
いやでもうっかり電気つけたまま出ることもあるよな?
俺は内心焦りつつも、だんまりを続ける。
「すみません、あの……ここを開けてください……」
そんな事を言われても、押しに弱い俺が見知らぬ人をホイホイ家に入れるわけにはいかないんだ。
「……こんなに寒いと、ぼく……死んじゃいます……」
!?
いや確かに外は寒いだろうが、その服装ですぐに死ぬほどの気温じゃないだろ!?
「こーたさん……」
へ……??
今『皓太』って言ったか?
なんで俺の名前……?
アパートの表札には苗字すら書いてないのに、最近のセールスマンはそこまで調べて来るのか?
ちょっと怖いな……。
「ぼく……、嫌われちゃったのかな……」
……は……???
俺の知り合いにこんな奴いるか……!?
いや、そもそも俺のことを下の名前にさん付けで呼ぶ奴なんてどこにもいないよな!?
くすん、と小さく鼻をすする音にドキッと心臓が跳ねた。
まさか……俺がドアを開けないくらいで泣いてるとか、ないよな?
そんな、流石に…………ないだろ??
ほらあの、今日は冷え込んでるし、寒くて鼻水が出ることってあるよな?
「こーたさん……」
今にも消え入りそうな涙声が良心にグッサリ突き刺さる。
……なんだこの罪悪感。
別に俺は悪くないよな?
いや居留守って悪い事か……?
人として、結構悪事だったりするか??
まずいな、だんだん混乱してきた。
なんだか自分が物凄く悪い事をしているような気がする。
これが新手の訪問販売の手口なのか……?
「ぼくはもう……このまま死ぬしかないんだ……」
悲しみの宿る声に、不穏な言葉。
それが耳に入った時、俺はドアを開けていた。
「あー……、す、すみません。ちょっとえーーと、トイレに篭ってまして……」
反射的に謝ってから、内心突っ込む。
何で俺が謝る必要がある?
ないだろ? ないよな? 居留守でごめんなさいって事か?
愛想笑いを引きつらせている俺に、彼は涙の浮かんだ瞳のままで微笑んだ。
「ああ……こーたさん……。開けてくれて、ありがとうございます」
オレンジ色の頭をギクシャクと下げる彼は震えていた。よく見れば唇も真っ青だ。
本当に寒かったんだな……。
俺は「とりあえず、お話は玄関で……」と、そいつを扉の内へ招く。
ガチャンと重い音で扉が閉まって、俺はようやく気付いた。
自分のしてしまったことに。
「お家はあったかいですね。……入れてくれてありがとうございます」
いや……入れたらダメだろ。
もうアウトだろ。
預金残額を思い浮かべながら早々に観念しつつある俺を見上げて、青年はあどけなく笑って言った。
「ぼくは以前こーたさんに助けていただいた蜘蛛です。どうか御恩返しをさせてください」
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