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11.驚愕のイコール
菜花は終業後、すぐさまS.P.Y.の事務所に向かった。
扉を開けると、金桝と事務の美沙央がいた。美沙央がまだ残っていることに驚きながら、菜花は挨拶をして中へ入る。
「美沙央さん、お家は大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。今日は旦那が遅くなるっていうから、私も偶には報告会に参加しようかと思って。帰りは旦那が拾ってくれるっていうし」
「そうなんですね」
美沙央は、いつも大体十八時にはあがっている。家庭を持っているので、よほどでない限り残業はなしだ。といえど、一人息子もすでに成人しているので残業は可能だという。だが、旦那は定時で帰ってこいとうるさいのだそうだ。彼女の夫である早乙女貴久は、美沙央を他の男に見せたくないと真顔で主張するほど、彼女を溺愛している。
「えっと……。美沙央さんって、絵を描くんですか?」
「えぇ。好きなの」
「上手ですねぇ」
「ありがとう」
美沙央は仕事をしているわけではなかった。スマートフォンを見ながら人物の顔を描いていたのだ。
ノートに鉛筆で線を描く手に迷いはない。少しずつ人の顔が形作られる様は、菜花には魔法のように見えた。
「こんな風に絵が描けると楽しいだろうなぁ」
「楽しいわよ」
美沙央は菜花の言葉に応えながらも、視線はスマートフォンの画面とノートを行ったり来たりしている。
夫が迎えに来るまでの時間潰しだろうか。
菜花はぼんやりとそんなことを考えながらも、金桝のデスクへ近づいていった。
「お疲れ様です、惇さん」
「お疲れ様、菜花君。名前呼びもすっかり慣れたようだね」
「え、ええと……はい」
慣れたわけではない。だが、ペナルティーを科されると困るので、必死に気を付けているだけだ。
菜花は金桝の背後の壁にかかっている時計を見て、もう一度辺りを見渡す。報告会の時は早めに事務所に来ているはずの結翔の姿がなかった。
「あれ? 結翔君はまだですか?」
菜花が尋ねると、金桝は頷く。
「少し遅れそうだと連絡があったんだ。だから、先に始めようか」
「はい。それじゃ、コーヒーを淹れてきますね」
「よろしく」
菜花は美沙央にもリクエストを聞いてから、給湯室へ向かう。
「今日、結翔君は外回りに出てたよね。スケジュールには直帰ってあったから、もう来てると思ったのに」
此花電機では、オンラインのスケジュール表に予定を入力することになっていた。閲覧が承認されていれば、誰でもスケジュールを確認できる。
菜花が確認できるのは、基本的に経理部の人間だけだ。しかし、結翔の承認はもらっていたので、菜花は彼のスケジュールを把握していた。
取引先で何かあったのだろうか。
「まぁ、金桝さんには連絡してるみたいだし、すぐ来るだろうけど」
給湯室でポツリと呟き、ハッとして辺りをキョロキョロと見回す。
よかった、金桝には聞かれていなかったようだ。金桝は神出鬼没なので、どこで聞かれているかわからない。
気を抜くと、未だにうっかり「金桝さん」と呼んでしまう。いけないいけないと頭を振りながら、菜花はカップをトレイに乗せて事務所に戻る。
ミーティングスペースのテーブルにコーヒーを置くが、美沙央がこちらに来る気配がない。声をかけようとすると、金桝に止められた。
「あぁ、美沙央さんはそのままでいいんだ。描き終わってからこっちに参加してもらうから」
「? わかりました」
菜花は首を傾げながらも美沙央の分のコーヒーを彼女の元へ持っていき、再びミーティングスペースに戻ってくる。
「それじゃ、菜花君の報告を聞こうか……おっと、その前に」
「はい?」
菜花が例の件について報告する気満々で構えていたというのに、いきなり気勢をそがれてきょとんとする。
金桝はそんなことは一切気にせず尋ねてきた。
「菜花君、今日の面接はどうだった?」
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