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私は今リノという名前でモーニング·グローリーというメタバース空間内に来ている。 周囲は現実と変わらない東京の街が見え、そこら中にCGではないリアルな姿をした人たちが闊歩していた。 これがモーニング·グローリーが全世界で50億人以上が集う超巨大インターネット空間の仮想世界になっている理由だ。 リアルメタバース空間技術とデジタルクローン技術を融合し、CGアバターでは再現が困難であった人間のぬくもりをメタバース内に再現したメタバース空間に世界は熱狂した。 すでに現実ではなく仮想空間で仕事をしている人も多く、最近このメタバースを始めた私にはまさに未来の光景だった。 容姿、性別、人種、いや人間ですらない姿をリアルに再現し、自分の望む姿で皆の前に現れることができるのだ。 モーニング·グローリーの影響で、むしろアバターこそが本当の自分だと言う人も現れている。 私のアバターは、現実の自分とほとんど同じだ。 気になっていたニキビなどは消しているが、まあ全身整形のごとくまるっきり元の自分と違う人や、モンスターや半獣、サイボーグや完全なロボットの姿に変えている人たちよりに比べれば可愛いものだろう。 アバター名のリノも本名である梨乃(りの)を、そのまま使っている(別人になりたいせいか、本名でやっている人は少ない)。 正直いうと、私はこういうバーチャル世界をよく思っていない。 実際に体験してみて、純粋に凄いことだと感じながらもそれは同じだ。 息をして汗を掻いて、食事をするのは自分の身体なのだと、今でも考えている。 では、なぜそんなメタバース反対派の私が仮想世界モーニング·グローリーに入っているかというと、それは亡くなった妹の最後の言葉を聞いたからだった。 「お姉ちゃん、梨乃お姉ちゃん……。あたしは、死なないよぉ……」 それは今から十年前――。 事故で大怪我を負った妹の詩乃(しの)は、そのときに受けた緊急輸血により、ヒト免疫不全ウイルス――Human Immunodeficiency Virus、略称HIVになった。 日に日に衰弱していく詩乃のことを、私も母もただ見守っていることしかできなかった。 闘病生活とは言われていたが、実際にはただ命を引き延ばすための入院生活だった。 母はそんな詩乃に、なんでも欲しいものを与えようとしていた。 だが、うちの家計がひっ迫していることを知っていた詩乃は、何も欲しがらなかった。 ただ私と母が会いに来て、ただ話をしてくれるだけで満足だと笑みを見せていた。 毎晩泣き崩れる母と無理して笑っているように見えた妹に耐えられなかった私は、その頃にはすでに流行っていたモーニング·グローリーに入るため機器を購入。 病室から出られない妹のことを考えて、せめて仮想空間の中では自由にと思いプレゼントした おかげで高校時代三年間に貯めた金はすべて無くなったが、妹が喜んでくれたので私はそれだけでよかった。 当時からすれば大金だったけど、今の安月給ながら正社員として働く私には、買えないわけではないほどの金額だ。 大人になった私は、パッとしない結婚式場のスタッフ――ブライダル衣装係として一人暮らしをしていたが、その頃に比べれば貯金もでき、それなりに生活できていた。 話がそれた、戻そう。 私がよく思っていないメタバース空間に来たのは、詩乃の最後の言葉を聞いたからと言ったが。 もっと細かく説明すると、ある日に実家にいた母から、妹が生前に書いた私宛の手紙を渡されたからだった。 ちなみに今の母は、闘病中に仲良くなった詩乃の主治医と再婚した。 二人で新しい子供――私の弟を産み、新しい住まい――実家で元気に暮らしている。 もし詩乃がこのことを知ったら喜ぶと思う。 なぜなら妹は、その主治医のことを気に入っていたから。 元気になったら、ぜひ家に来てほしいとよく言っていた。 また話がそれた、戻そう。 もうわかっていると思うが、私はその手紙を読んでモーニング·グローリーに入るための機器を買い、海外の仮想通貨口座を開設し、VRゴーグルやコントローラーやVR対応PC、メタバースサービスアカウントを取得した。 それなりにPCに強い私でも面倒だっただけに、当時妹のために準備をしたデジタル音痴な母にはかなり酷なことだっただろう。 そう思うと、泣ける反面笑えもする。 手紙の内容は、メタバース空間であるモーニング·グローリー内にある、おそらく飲食店と思われる名前が書かれていただけだった。 その歪んだ字でそれだけが記載されているのを見るに、詩乃が文字を書くのも厳しかったかったことが伝わる。 生前のまだ元気だった頃の詩乃は、将来自分の店を持って、そこでクラブ歌手として毎晩歌うのだと語っていた。 当時もその後も、全然子供らしくない夢だと思ったものだ。 まさかなと思いながらも確かめたくなった私は、今こうやってモーニング·グローリー内を探しているのだ。 だが店の名前以外に手掛かりなどないので、ただこうやってメタバース空間に入っては彷徨う日々が続いている。 誰かに声をかけたほうが早いかもしれないが、どうも現実で道を尋ねるよりも私にはハードルが高く、今日も誰にも声をかけられなかった。 「はぁ……。こんなんで見つかるのかなぁ……」 実際に歩いているわけでもないのに、なんだか疲れてきた。 もう今日はもう諦めよう。 そう独り言を呟きながら、私がログアウトしようとしたそのとき――。 「あれ? あなた、ソング·バードの人じゃん」 突然声をかけてきた太ったウサギ姿のアバターは、妹の手紙にあった店の名を口にした。
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