廻る世界の行き止まりにて

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「〝二番目のセカイ〟では、俺も油断したな。三倉(みくら)を始末するくらい、カッターナイフ一本で事足りると思ってたんだけどなあ? 祐希、意外とやるじゃねえか。お前が急に三倉(みくら)の前に飛び出してきたから、うっかりお前を切っちゃったじゃねえか」  憎悪に燃える(ゆが)んだ笑みから、千比呂は嫌悪を露わに目を逸らした。祐希は千比呂の前に立ち、負の激情を放つ旭から、小柄な幼馴染を隠した。  千比呂の大切な『あの人』が亡くなったという〝ゼロ番目のセカイ〟なら、祐希と旭は友達のままでいられただろうか。食堂であんかけ炒飯(チャーハン)を食べたり、たまには一緒に遅刻したりして、楽しい学園生活を送っただろうか。そんな〝セカイ〟の可能性だけを胸に留めて、祐希は眼前の人間を『敵』と見做(みな)すことにした。 「旭。〝二番目のセカイ〟では千比呂を狙った君が、〝三番目のセカイ〟では迷わず僕を刺しにきたのは、なぜだ」 「お前が死ねば、三倉は必ず世界を創りかえるからだ。〝二番目のセカイ〟で三倉を(かば)ったお前を見て、即座に〝セカイ〟を捨てやがったこいつを見てりゃ分かったよ! 祐希! お前は三倉にとって、ずいぶん大切な存在らしいな!」  大切な存在――予感の電撃が走ったが、その(しび)れをあえて無視して「とにかく!」と祐希は言い返した。 「僕は、千比呂を守る。その間に、千比呂は世界を創りかえる。君の負けだ、旭」 「それはどうかな」  陰鬱な笑みと余裕の態度を変えないまま、旭は立ち位置をゆらりとずらした。長身痩躯の陰から歩み出てきた人物を見て、今度こそ祐希は呼吸の仕方を忘れて、千比呂も小さな悲鳴を上げた。  ――その人物は、女子高生だった。  祐希が教室で今朝(けさ)見かけた、本来はクラスメイトではない少女。 〝一番目のセカイ〟の教室で、堂島旭と仲睦まじげに話していた少女。  そして、本来は――少女ですらない存在。  千比呂だって、言っていたではないか。大切な『あの人』の母親を、能力で『他人』に変えた、と――。掠れた声で、祐希は彼女の名を呼んだ。 「アイラ先生」  千比呂と同じ制服姿で、旭の隣に並んだアイラの顔には、聖母のような慈愛が(たた)えられていた。誰に向けた愛なのか、祐希は全てを了解した。そして、了解してしまったからには、この悲しい〝セカイ〟の連鎖を生み出してしまった責任を、千比呂に代わって負うために、どんなに残酷でも言うべきだ。 「……千比呂の能力で創りかえられた〝一番目のセカイ〟で、僕たちの『同級生』になったあなたは、旭の恋人だった。だけど〝二番目のセカイ〟のあなたは『教師』で、〝一番目のセカイ〟は『なかったことにされた』から、旭と恋人だったことを忘れていた。〝一番目のセカイ〟の記憶を引き継いでいた旭は、あなたに忘れられたことが、悲しくて、辛くて、許せなくて……教室で能力を使って〝一番目のセカイ〟を消した千比呂を恨んで、命を狙うようになったんだ。さらに創りかえられた〝三番目のセカイ〟でも、あなたの立ち位置は『教師』だったけど、この〝四番目のセカイ〟で再び僕たちの『同級生』になった。……あなたはずっと、僕のそばにいたんだ。千比呂が震えるくらいに怖いと思うほどに、僕のそばにいたんだ。本当のあなたは、僕たちの『同級生』でも『教師』でもなく、〝ゼロ番目のセカイ〟で、千比呂の大切な『あの人』を――幼馴染の、僕を。林祐希を殺した、『犯人』だ。――母さん」 「馬鹿を言うな!」  旭が、目を()いて激昂(げっこう)した。殺意と紙一重(かみひとえ)の絶望が、青ざめた顔を埋め尽くす。固められた(こぶし)だけでなく、声までもが激しい動揺と怒りで震えていた。 「アイラが、お前の母親だと? 認められるか、そんなこと!」 「事実だ。〝一番目のセカイ〟では旭の彼女だったアイラは、千比呂が世界を創りかえた所為で、僕たちの『同級生』になってしまった存在だ。〝一番目のセカイ〟の一つ前の世界……〝ゼロ番目のセカイ〟のアイラは、僕の……」 「だったら、お前が〝ゼロ番目のセカイ〟を覚え間違えてるんだ。それを、今すぐにアイラが証明する」  旭の瞳に宿る狂気の光が、爛々(らんらん)と膨れ上がっていく。祐希は焦り、千比呂を振り向き――幼馴染の目に溜まった涙に気づくと、すとんと落ち着いて覚悟が決まった。 「千比呂、世界を創りかえよう」 「だめ、もうできない。私の能力は、世界を歪めてきたんだもん。現にこの〝四番目のセカイ〟では、〝記憶を保持する能力〟に目覚めた人が二人もいる。祐希が〝セカイ〟の記憶を取り戻したように、アイラだってきっと、何かの能力に目覚めてる」 「その通りだ!」  旭がアイラの肩に腕を回して、勝ち誇ったように絶叫した。 「このアイラは〝一番目のセカイ〟の俺を覚えてねえけどな、俺たちよりも遙かに強い能力があるんだ! 〝セカイの(ゆが)みを修復する能力〟らしいぜ! 三倉、お前が世界を創りかえても無駄なんだよ! ここは行き止まりで、どこにも行けないお前らごと、全てはアイラの能力で、〝ゼロ番目のセカイ〟に(かえ)るんだ!」 「旭……!」  叫んだ祐希は、歯噛みした。全てがゼロに還るなら、アイラに愛されなかった祐希は、暴力で命を落とすだろう。千比呂が蒼白な顔で「私の所為だ」と囁いた。 「この世界が、ラストチャンスだったんだ。今までの方法で次に能力を使ったら、世界を構築する大事な螺子(ねじ)が弾け飛ぶ。どんな歪みが、世界を襲うか分からない。そうなったら、もう新しい世界は生まれなくて、誰も生き残れないかもしれない。でも、アイラに能力を使わせたら、祐希は……。ごめん。私、祐希を助けられなかった」  理科室に、白い(もや)が立ち込めてきた。アイラの能力が発動したのだ。アイラは祐希を見つめていたが、次第に顔が般若(はんにゃ)のように歪んでいった。  かつての家族だからだろうか、祐希にはアイラの心理が読めてしまった。――死んだはずの我が子が生きているという、あり得ない〝歪み〟が許せないのだ。異様な(いきどお)りに()かれた母を見ていると、切なさが胸を締めつけた。 「……几帳面で真面目なタイプで、規範から外れた人間も許せない。〝歪みを修復する能力〟は、母さんらしい能力だ」 「え?」  驚く千比呂へ、祐希は無理やり笑みを見せた。 「そんな母さんだから、僕を上手(うま)く愛せなかっただけなんだ。……千比呂。僕は、母さんをこんなふうにはしておけない。千比呂は僕に、『母親』という『間違い』を正せなかった、って言ったよね。でも、母さんの立場から見たら、世界を勝手に創りかえてしまった僕らのほうが『間違い』だ。たとえ母さんがどんな人でも、世界から存在を消し去るなんてこと、できちゃいけなかったんだ」  それを()そうとした所為で、〝ゼロ番目から一番目〟に変わった世界で、旭はアイラに恋をしてしまった。正しさとは何だろう? 間違いとは何だろう? 一度失っておきながら、この期に及んで命の重みは、十六歳の祐希にとってあやふやだった。  だが、ここで決断を違えるわけにはいかないのだ。  これは、祐希たちが『間違い』を『正す』ラストチャンスなのだから。 「千比呂。『今までの方法ではできない』ってことは、今までとは違う方法なら、能力を使えるってこと?」 「……方法は、一つだけ。今まで私は、祐希とアイラに気を配りながら能力を使ってきた。それをやめて、世界そのものに気を配りながら能力を使えば、世界は壊れずに済むかもしれない。でもその場合、祐希も、みんなも……私も、記憶や立ち位置が、どう変わるか分からない。三倉千比呂として、林祐希として生まれるかどうかも分からない」 「いいよ」  即答で、祐希は受け入れた。 「誰のもとに生まれて、どんなふうに生きるかなんて、僕たちが分からなくて当然だから」  また死ぬかもしれない。あるいは、生き延びるかもしれない。不透明な未来を生きることは、誰しも等しく平等で、理想の世界を選べないことを、リスクとは決して呼ばないはずだ。祐希は少し躊躇(ためら)ってから、千比呂の手を握った。願わくば、次の〝セカイ〟でも、大切な幼馴染の手を握っていられるように。 「この決断だって、傲慢(ごうまん)で、間違ってるのかもしれない。それでも僕は、母さんの存在を肯定したい。旭の存在も、千比呂の存在も、それに――〝ゼロ番目のセカイ〟では生きられなかった、僕の存在も」  この決断は、祐希の我儘(わがまま)でもあるのだ。ただ幸せに生きたくて流れ着いた、(めぐ)る世界の行き止まりから、未来に希望を託したい祐希の我儘だ。千比呂は、〝ゼロ番目のセカイ〟の祐希を救ってくれた。その奇跡を、ゼロに還したくなかった。 「――分かった」  千比呂が、決然と顔を上げた。清らかな突風が白い(もや)を吹き払い、まるで台風の目のように千比呂の立ち位置を起点として、純白の光が膨れ上がる。理科室を呑み込む輝きが、世界じゅうに溢れんばかりに拡がった。眠気を伴う既視感が、祐希を温かく包み込む。千比呂は、ずっとこうやって、一人で世界を創りかえてきたのだ。  形あるものをまっさらに蹂躙(じゅうりん)し、再構築していく圧倒的な光の洪水に、旭の怨嗟(えんさ)が呑み込まれる。ごめん、と祐希は唇を動かして見届けた。千比呂が繋いでくれたこの命が、誰かを手酷く傷つけた。それだけは、この記憶を手放す最後の瞬間まで忘れない。  悪友に寄り添うアイラの姿も、(またた)く間に見えなくなった。消えゆく世界をどんな顔で見つめていたのか、分からないまま先に行ってしまった。ひたすらに白く分解されていく理科室の宇宙で、祐希は美しい声を聞いた。――あいしてる、ゆうき。  空耳だろうか。真っ白な虚空に向けて微笑みを返した祐希は、腰を抜かしそうなほど安堵(あんど)して、「千比呂」と小声で呼んでみた。 「ありがとう。僕に、生きるチャンスをくれて」  (あざ)だらけの身体で世界から消えた幼い子どもは、世界を創りかえた少女のおかげで、高校生になれたのだ。思い出を手放すのはもったいないが、満ち足りた気分だった。もう目を開けていられないほど眩しい光の中で、ふわりと微笑(わら)った千比呂の顔を、祐希は最後に見た気がした。 「私がどこにいても、必ず見つけてね」  きっと、必ず、絶対に――頷いた祐希は、この世界が消える寸前まで、強く願い続けようと心に決めた。  そうすれば千比呂のように、いつか二人が再び巡り会える能力に目覚めるような、そんな奇跡が起こるかもしれない。
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