第1章 第1話

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第1章 第1話

 史上最凶と謳われた大魔道士エルグリムは、勇者スアレスによって倒された。 エルグリムは死の間際、自らに転生呪文をかけ、死したその瞬間から蘇りを予言する。 それから十二年。 巨悪をなし、誰からも忌み嫌われ、いつまでも憎み恨まれ、罵倒され続け、決して愛されることはない大魔王は、再びその強大な魔力を取り戻し、この世界を征服する。  森の中の一本道をゆっくりと下ってゆく。 転生し生まれ出た村を出発したのは二日前だ。 履き慣れていたはずの木靴は、既に重たくて仕方がない。 歩く細い街道の道の左手から、小川のせせらぎが聞こえていた。 土手上からそこへ下りた俺は、蒸れる靴を脱ぎ捨てる。 「ふぅ。生き返るな」  清流に足を浸した。 生まれてから数年は、どうしても動けなかった。 赤ん坊の短い手足に筋力は皆無。 受けた聖剣の致命傷で、俺自身としての意識も完全に失っていた。 自分の呪文に自信はあったが、本当に記憶を取り戻せるのかも怪しいものだった。 完全に復活するまで、三年はかかった。 「おや坊主、どこから来た」  山深い川下から河原を上って来た男に、顔を上げる。 荷馬車の商隊だ。 馬を休ませに来たらしい。 二人連れの男のうち、小さい方が二頭の馬に水を飲ませている。 男は近寄ってきた。 その姿を見上げる。 「父さんのお使いだ。頼まれごとをされてるんだ」 「そうか。それは偉いな」  十二年前、勇者の剣が俺の心臓を貫いた。 転生魔法は、それが動きを止めた瞬間、発動する呪文だ。 俺は全ての魔力をその体から引き上げ、その受け入れ先となる新しい命を求めた。 「どこに行くの?」  そう尋ねた俺の頭上からも、また別の声が聞こえる。 小さな街道の道沿いに、荷物番も含め三人か。 積み荷はなんだろう。 俺は振り返ると、目の前の男を無視し、素足のまま土手を駆け上がった。 馬の繋がれていない荷台に近づく。 「カズ村へ行くんだ。隣町のルーベンから来た行商だよ。服とか靴なんかの衣料品さ」 「へぇ~」  勇者に倒された俺は、女の腹にあったまだ命とも言えないものに取り憑いた。 死にかけていたそれをゆっくりと改造し、魔王の魂の入れ物として形を作り替える。  ホロのついた荷台には男が一人座っていて、中には大きな袋が五つ六つ積まれていた。 男は俺に袋の中身をチラリと見せると、愛想よく笑顔を見せる。 「お前、どこから来た? 何歳だ」 「十一だよ」 「これからカズの村まで行くんだ。なんなら乗せてってやろうか?」 「ホント? ありがとう!」  俺はそう言うと、荷台に乗り込んだ。 中にいるのは男一人だけ。 後の二人は馬と川岸にいる。  俺はこの世界の人間を支配すべく、生まれてきたのだ。 残念だが人は、目に見えるもの、そのものしか信じない。 形がなければ、何かを動かすことも出来ない。 再び魔王となり世界を取り戻すには、どうしても『大人』としての姿が必要だ。 「おい、こんなところに靴が脱ぎっぱなしだぞ」 「あぁ、そこに置いておいて!」  外からかけられた声に、俺は声を張り上げて応えた。 ホロ付きの荷台は、外からは中の様子が見えない。 そのまま荷台に残っていた男に、グイと顔を近づける。 「ん? どうした坊主」 「シッ。ちょっと黙ってて……」  ゆっくりと呪文を唱える。 なぁに、ごく簡単な魔法だ。 命までは奪わない。 「お、おま……魔法が使え……」  男は一瞬のうちにバタリと倒れた。 意識を失った男を見下ろす。 「フン。ガキだと思ってナメるなよ」  積み荷の袋を次々と開け、中を確認してゆく。 生まれたばかりの体だ。 ようやく十一年が経ち、動けるようになった。 だが俺の持つ本来の魔力に比べ体力がなかなか追いついてこない。 魔法を使い過ぎると体が動かなくなってしまうのだ。 どんなに魔力を持っていても、それを使用する実体としての体が必要だった。 この加減がなかなか難しい。 これが目下最大の悩みだ。 「お~い。靴はもういいのか? そっちまで運べってかぁ?」 「待って。すぐ取りに行くから!」  見つけた。 丈夫な革靴だ。 俺はそれを急いで自分の足に装着する。 倒れている男の腰にぶら下がっていた、金の詰まった袋もついでに頂いておく。 「おーい。もう出発するぞ」  こっちに戻ってくる。 俺は荷台から飛び出した。 「あ! おい、どうした?」  藪の中へ飛び込む。 すぐに異変に気づいた男が追いかけてきた。 「コラ! 待て、このクソガキ!」  目くらましで姿を消してもいいが、あまり頻繁に高等魔法を使うと、まだ幼い体がついてこられない。 カズを出てから、ほぼ飲まず食わずだ。 出来ると思ったことが出来ず、自ら窮地を招くこともあれば、逆に無理だと諦めたことが想像を越える成果を残すこともある。 とにかく安定しない。 「待て!」  走るのも遅い。 魔力で体力のなさを補ってはいるものの、そう長くは持たない。 仕方ない。 金は捨てるか。 これで追っ手もあきらめることだろう。 革靴が手に入っただけでも、よしとするか。 俺はその重たい皮袋を、路上に投げ捨てた。 「は? ざけんなよ。金を返せば済むと思ってんのか? 大人をナメんな!」 「くっそ。それで懲りろよ!」  あっさり諦めてくれるかと思ったのに、意外としつこい。 どれだけ懸命に走っても、どうしたって子供の足では勝てない。 藪の中から再び川岸に飛び出たものの、河原の砂利は山の中以上に走りにくかった。 「おいコラ、止まりやがれクソガキが!」  ダメだ。 このままでは捕まる。 あまり攻撃魔法は使いたくはないが、こうなっては仕方がない。 俺はその場で振り返った。 呪文を唱えようと印を結ぶ。 『我に歯向かう……』 「うわぁ!」  不意に、その男は目の前で転んだ。 呪文もまだ唱えきっていないのに、実に不自然な転び方だ。 手をつく暇もなく、額を砂利にぶつけている。 これでは相当に痛かろう。 「だ、大丈夫か?」 「止まりなさい!」  甲高い声が響く。 そこに居たのは、女の二人組だった。 真っ白な外套に身を包んだ上品そうな女と、その雇われ従者のようだ。 魔法を使ったのは、従者の方か? 「一体、何事です!」  倒れていた男は、よろよろと起き上がる。 「ビ、ビビさま……」  波打つ金の長い髪に青い目。 典型的な貴族の娘だ。 「どうしたのですか?」 「こ、このガキ……、いや、子供が、積み荷から靴を盗んだのです」 「本当ですか?」 「……。はい。そうです。ゴメンなさい」  素直に謝っておく。 もう面倒くさい。 このままここにいる全員眠らせて、その隙に逃げよう。 再び呪文を唱えようとした俺を、貴族の女がパッと抱き寄せた。 「……。この子は、私はいま連れている従者の弟です。大変失礼いたしました」 「はぁ?」  男は信じられないといった表情で、貴族の女を見下ろす。 「つ、積み荷を荒らされましてね。今履いているその靴も、さっき盗まれたばかりなのですが……」 「そうですか。それはうちの者が大変失礼いたしました。ほんの少しですが、これで許してはいただけないでしょうか」  腰の袋から金貨を取り出すと、女はそれを男に渡す。 革靴の代金にしては、ずいぶんと高額だ。 「よく言いつけておきますので、どうかこれで許してやってください」 「チッ。全く。ビビさまのお願いでなければ、見逃してはいませんよ」 「はい。申し訳ございません」 「ちゃんと躾けておいてくだせぇよ」 「承知いたしました。しっかりと、そうさせて頂きますわ」  ブツブツと文句を言いながらも、河原の向こうに男の姿は消えていった。 その途端、従者らしい女の手が、俺の頭をぐしゃりと掴んだ。 「おいコラ。あんた、魔法使えるんでしょ。その能力、イタズラなんかに使うんじゃないよ」 「まぁ、乱暴なことはおよしなさいよ、フィノーラ」 「ですが、ビビさま」  ビビと呼ばれた貴族の女は、膝を折りしゃがみ込むと、ご丁寧にも俺に視線を合わせた。 「あなた、魔法使いなのね」  じっと俺の目をのぞき込む。 その白い手を、そっとこめかみに伸ばした。 「まぁ、本当ね。鮮やかな緑の目をしているわ」  うっとうしい。 この手のタイプの女は苦手だ。 その手を振り払う。 俺はもう一人の女を見上げた。腰までの真っ直ぐな黒髪の女も、魔道士特有の濃い緑の目をしていた。 「さっきあの男を転ばしたのは、あんたの仕業?」 「そうよ。私も魔道士。で、ビビさまの用心棒を二週間前からやってるの」  歳は十七、八といったところだろうか。 年齢の割には随分と瞳の緑が深い。 それなりの魔力を体内に貯め込んだ使い手だ。だけどまぁ、俺と比べると、間違いなくたいしたことはない。 「まぁ、なんて素敵なのかしら! 珍しい魔道士体質をお持ちのまだお小さい方と、お友達になれるなんて。とても素晴らしいわ!」  ビビは勝手にはしゃぎ始めている。 くだらない。 ふと川沿いの土手に、七色に輝く石を見つけた。 小さな魔法石の欠片だ。 俺はそれを拾い上げると、口の中に放り込む。 そのままガリガリとかみ砕いた。 「……。あんた。そんなチビなのに、魔法石をそのまま摂取できるんだ」 「珍しいか? まぁそうだろうな」 「さっき、向こうでそこそこ強い魔法の気配を感じた。もしかしてアンタの仕業だった?」  俺は黒髪のフィノーラに、ニコッと微笑んで見せる。 「たいしたことはないよ。だってまだ子供だからね」 「さっき魔法を使ったから、それで補給してんの? あんな魔法と使った後で、その程度の補給で足りるワケ?」 「まだあんまり、上手く制御出来ないんだけど……」  フィノーラはスッと腰の短剣を抜いた。 それを構え、俺との距離を保つ。 蓄えた魔力はたいしたことはないが、バカではないらしい。 「あんた、子供の体に貯められる魔力の割りには、随分と難しい呪文を使うのね」 「まぁ。およしなさいよ、フィノーラ。乱暴はよくないわ」 「ビビさま、魔道士を簡単に信用してはいけません」  そう。魔道士の能力は、見た目や年齢には関係ない。 問題は魔力の蓄積と順化であり、その術式だ。 以前の俺が使っていた、数百年は生きた大魔道士エルグリムの体ならともかく、今は生まれたばかりの、十一歳の少年の体だ。 いくらこれから長く使えるであろう、いい入れ物を作ったとしても、実際に働かせ慣れさせなければ、その能力をものにし、発揮することは出来ない。 「あんまり一度に沢山の魔法石を摂取すると、気持ち悪くなっちゃうんだ」 「そりゃそうでしょうよ。どんな魔道士だって少しずつ体に慣らして貯め込んで、やっと魔法が使えるようになるんだから……」 「お姉ちゃんは、平気なの?」 「私? ……まぁ、それなりにね」  取り込んだ魔力の蓄積と順化は、個人差が大きい。 魔法を使える人間とそうでないのを分けるのは、純粋にこの体質による差だ。 彼女はそう言うと、腰にぶら下げた小瓶を取りだした。 それをひとくち口に含む。 「ちゃんと加工されて、薬剤化されてるのなら、それなりに飲める」  なるほど。やはり並の魔道士か。 「じゃ、俺はもう行くね」 「まぁ! どこへ行くというの? もうすぐ日が暮れるわ。今夜はうちに泊まりなさいよ」 「ビビさま!」  女二人が揉めている。 じつにくだらない。 「悪いけど、あんたらに興味はないね。俺は俺の行きたいところへ行く」 「さっさと行っちまえ」 「まぁ、ちょっと待って。もう少しお話を……」  河原を歩き出したその耳に、川上から早馬の蹄が響いた。 嫌な臭いがする。 俺はじっと気配を殺した。 さっさと通り過ぎてくれればいいものを、すぐそこで立ち止まり、土手上の一本道から俺たちを見下ろす。 「まぁ、どなたかと思えば、イバンさまではないですか」 「ビビさま。その子供は?」 「フィノーラの弟なんですって!」  その銀色の、ピカピカと光る鎧に身を包んだ騎士は、兜の面を持ち上げると、じっと俺の様子をうかがっている。 赤地にシルバーの十六芒星の紋章。 聖騎士団の聖剣士だ。 「カズの村から子供が一人、行方知れずになったと聞きまして。今はその子供を探しているのです」  面倒なことに馬から下り、こちらへ近づいてくる。 「濃い赤茶色の髪に、緑の目だと知らされております。なんでも歳に似合わない魔法の使い手で、散々な悪戯ばかりするやんちゃ者らしい……」  聖剣士はじっくりと俺を観察している。 「さっきもそこで被害者をみかけたんだが……。フィノーラに弟がいたという報告は受けてなかったな。しかもカズから抜け出したという少年と、特徴がそっくりだ」  ブルーグレイの瞳に白金の髪を短く切りそろえた、真面目臭そうな男だ。 魔法の“臭い”はしないことはないが、ごくわずでしかない。 使えたとしても、ごく簡単なものだけだろうな。 「名前は?」 「……。ナバロ」 「ナバロ? そうか。私の聞いた名ではないな」  魔道士である黒髪の女に比べたら、たいしたことはない。 「他に、似たような少年を見かけませんでしたか?」 「いいえ、全然」  ビビはイバンにそう答えると、俺を抱き寄せた。 「ナバロは、フィノーラの弟です!」  ビビの強気な態度に、聖剣士はため息をつく。 「ビビさま。お話は今夜、館に戻ってからにしましょう。フィノーラ、この子供をしっかり見張っておけ」 「はぁ? なんで私がそんなことまで!」 「まぁ、イバンさま。それならお安いご用よ。ぜひお任せあれ。私が責任を持ってお引き受けいたします。今夜の夕食を、楽しみにしておりますわ」  その言葉を確認すると、聖剣士はようやく背を向けた。 繋いでいた馬の元へ、土手を上がってゆく。 「いや、俺はもう行くからさ……」  小声でささやく。 逃げだそうとした俺の肩に、グッとビビの手が重なった。 土手に上がった聖剣士は、なにやら鎧の具合を整えている。 「あら。私がここで叫び声をあげたら、聖騎士団の聖剣士さまたちによる、大規模な捜索が始まってしまいますけど、よろしくて?」  お堅そうな聖剣士は、ようやく馬にまたがった。 それに向かって、ビビは手を振る。 聖剣士も片手を上げ挨拶をすると、やって来たカズ村の方向へ向かって走り出した。 「さ、もうこれで、逃げられませんわよ。私のお家にいらっしゃい」  彼女はにっこりと微笑んだ。 くそっ。 とんでもない寄り道だ。 だけどまぁ、この幼い体は、もう完全に疲れ切っている。 転生した村を抜け出し、丸二日飲まず食わずなうえに、ほとんど寝ていない。 休息は必要だ。 魔力で何とか誤魔化していても、やがて動けなくなる。 「……。分かった」  黒髪の魔道士が突っかかる。 「はぁ? そういうところは案外さっさと引き下がるじゃない。あんたなんかが来ても、いいこと全然ないよ!」 「分かってるよ」 「さぁ、フィノーラ。急いで帰りましょう」  それでも、今夜の寝床と食事を確保できるのはありがたい。 俺は上機嫌のビビに手を引かれ、ゆっくりと土手を上がる。 街道へ戻り、待たせていた馬車に乗った。 昼下がりの森の中を、ゴトゴトと揺られてゆく。 やがてポツリポツリと家が見え始めた。 田畑の広がる小道を抜け、町に入る。連れて来られたのは、ルーベンの中央に位置する立派な館だった。
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