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第一章 発端 1
人生には一度や二度くらいは、信じられないような出来事が起こるものである。
弓岡鈴(ゆみおかりん)にも十七歳の夏、そんな事が起こった。
ひと夏の思い出と言ってしまうには、あまりにも衝撃的な出来事だった。
平凡な人間にとっては、あり得ない事件の数々。
そして、忘れられない人との出逢い。
そう、多分二度とは逢うことのない大切な人との想い出。
梅雨が終わり、本格的な夏が始まろうとしていた。
高台に建っている校舎から街の中心地へと下る坂道を、二人の少女がだらだらと歩いていた。
同じように徒歩で下校する生徒や、自転車を使っている者もみな坂を下っている。
ここは北関東のN市にある『花﨑台』という小さな田舎町である。
二人の少女が出て来たのは〝T県立花﨑台高等学校〟という男女共学の普通科高校であった。
一学期の中間テストも終わり、明日から試験休みという解放感もあり、歩いている若い男女は誰もがみな緊張感が消失しているように見える。
「あっついね、荒井のおばちゃんとこでかき氷食べてこうよ」
奈良橋夕香(ならはしゆか)が高校二年という乙女にもかかわらず、首から掛けたタオルで汗を拭いながら提案して来た。
陽に灼けた小麦色の顔には一切化粧っ気がなく、なんのためらいもなく汗をごしごしと拭ける。
とりわけ美人という訳ではないが愛嬌のある小さな顔が、ぴちぴちとした若さを思いっきり主張している。
白いタオルには〝間宮精肉店〟という紺色の文字が住所と電話番号と共に入っていた。
荒井のおばちゃんとことは、小さい頃からよく行った駄菓子屋のことである。
いくら子ども相手だとはいえ、いまどきかき氷を一杯六十円で食べさせてくれるとこなどそうあるもんじゃない。
もちろんシロップをかけただけで、トッピングは一切なしではあるが。
「あんたさ、タオルを首掛けするのまでは許すけど、肉屋の手拭いはないんじゃないの。仮にもあたしたち花の十七歳だよ」
鈴が呆れ顔で、夕香へ冷たい視線を送る。
「へへへ、そんなの気にしてらんない、綺麗な花だってこの暑さじゃしぼんじゃうよ。一昨おっちゃんからお中元に貰ったばっかのおニューだよ、使わなきゃ勿体ないじゃん」
なんの屈託もなくショートカットの少女は、白い歯を見せて〝にっ〟と笑う。
この町には駅前に小規模な三階建てのスーパーがあるだけで、郊外型の巨大駐車場を併設した大規模商業施設はまだ進出していなかった。
そのお陰で昔ながらの商店街が、いまでも住民から愛されている。
夕方ともなればそう広くもない道が、買い物客であふれる。
昭和五十年代まではどこにでも見られた光景が、花﨑台ではまだ残っていた。
よって、肉と言えば〝間宮精肉店〟と言うのが定番である。
一方の鈴は白い肌にセミロングの髪をひとつに束ね、整ったおとなしく清楚な顔つきをしている。
同じ部活をしているのに、夕香とは肌の色がまったく違う。
元々色白な上に、色素が薄いのか日焼けアレルギーのためになかなか灼けない性質らしい。
無理に焼こうとすると、熱中症になり肌が火傷状態になってしまう。
中学三年の時に海へ行き二、三時間浜辺で寝てしまった時は、露出していた部分がすべて赤く腫れ上がり、水泡状態となってしまった。
おまけに高熱が出て、医者へ行くと下手をしたら熱中症で死んでいたかもしれないと怒られた。
完全に全身火傷状態で、寝起きどころか足をベッドから上げ下ろしするだけで激痛が走った。
顔の皮膚は三日も経った頃にはぼろぼろ状態になり、とても人前に出られるものではなかった。
それなりに回復するのに、一週間以上かかったという過去を持っている。
髪をまとめているのは、校則で肩以上に伸ばす場合はそうしなければならないと決められているからだ。
二人が所属しているのは正式な部ではなく、テニス同好会というサークル的な団体だった。
正式な硬式テニス部とは違い、こちらは軟式である。
硬式の方は県大会で上位に食い込む成績を誇るだけあり、かなり指導は厳しい。
片や同好会の方は、特に成績に拘ることもなくのんびりと活動をしていた。
顧問自体が、美術部と兼任と言うありさまだ。
学校が部活動を奨励していることもあって、正式な部でなくとも同好会程度の団体も認められていた。
だから生徒の八割以上が、何らかの部や同好会、サークルに所属している。
運動が苦手な鈴がテニス同好会に入部したのには、この顧問の存在が大きかった。
柴神晃彦(しばがみあきひこ)、花﨑台高校の美術教師で年齢は三十二歳。
この柴神は、鈴の母親の弟であった。
小さかった頃は母親がそう言うのを真似て、鈴も十五歳も上の叔父のことを〝晃ちゃん、晃ちゃん〟と呼んでいた。
東京の美大を出た晃彦は、教師として地元に戻って来たのだ。
学生の頃色々とあったらしく、美大を出たのは二十八歳の時だったという。
晃彦の子どもの頃の話題は良く聞かされたが、高校生以降教師となるまでの情報はまったく知らされていない。
親類の間でも、その事はタブーのような雰囲気があった。
とにかく晃彦は、二十八歳で故郷である花﨑台高校の美術教師となった。
なんでも学生の頃にテニスの経験があるということで、同好会の顧問を兼任させられているのだという。
鈴は当初美術部に入るつもりだったのだが、このままではテニス同好会が廃部になってしまうと叔父の晃彦に説得され、渋々入部させられてしまった。
部としての条件が部員六名以上という決まりがあり、鈴が入学した時には同好会には四名しか在籍している人間がいなかった。
新年度において、五月中にあと二名の入部者がいなければ廃部となるのが決定している。
活動するのは自由だが、学校からの活動費が一切支給されなくなってしまうのだ。
もちろん正式な部室もなくなり、やっと一面だけ使わせてもらっているコートの使用も出来なくなってしまう。
五月のゴールデンウィークが過ぎても、入部者はいなかった。
叔父から散々説得された鈴は、小学校の時からの親友である夕香を伴って入部し、同好会を存続させるのに貢献したのだった。
そういう経緯もあり、入部当初から二人は一年生であるにもかかわらず丁寧に扱われた。
同好会の救世主なのだから、当然と言えば当然だった。
その後、入部者が三名増えた。
そのすべてが男子であったため、憶測ではあるが鈴か夕香を目当てのミーハー追っかけ入部であると思われる。
新年度になり部員の数も総勢十六名にまで増え、廃部の危機は去った。
鈴はこのタイミングで、当初から入部したかった美術部への転部を考えていた。
しかし夏休み以降の三年生が抜けた後の部長就任を、新学期早々に現部長の高岡から打診されてしまったために、いまに至るまで言い出せずにいた。
会の中にもこの事は知れ渡り、いまや次期部長として新入生からも見られている。
鈴が辞めてしまえば、親友の夕香も一緒に辞めてしまうだろうし、二人どちらかの追っかけ部員であろう男子共も辞めかねない。
そうなれば、所属部員は一年生だけになってしまう。
増々辞め辛い状況になり、鈴は焦っていた。
言うのならば夏休み中に告げねばならないが、状況が状況なだけに決心がつかないでいた。
今年は部員が増えたこともあり、久々に夏合宿をする事が決まっている。
美術部と合同ではあるが、テニス同好会としては七年ぶりとなるらしい。
その夏休みが、梅雨明けと共に目の前に迫っていた。
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