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二人は缶ビールで乾杯して、そのあとは食べながら、夜空を彩る祭典にしばし酔いしれた。
加奈子は焼き鳥を口に運びながら夏の夜を見上げた。万華鏡のようのきらめきが光の糸となって降り注いでくる。
「大したもてなしじゃなくて、ごめんよ」
加奈子は花火空を仰ぎながらぼそりと言う。
「そんなことないですよ。こんな見晴らしのいい所から、花火が見れて最高です」
加瀬さんは職場では棘があって厳しいけど、花火を眺めている時は、普通の人なんだなと思う。遊びに来るはずっだった息子夫婦と孫が来ないというのだから、さすがの加瀬さんもこたえたのかもしれない。そう思うと、美優はなんだかおかしくなってくすりと笑ってしまった。
「来年はお孫さんたち来るといいですね。それともお正月かな」
「もう来ないんだよ。息子夫婦と孫はねえ、この秋にアメリカへ行ってしまうのさ、息子の仕事の関係でね。だから、今年の夏は最後の花火だったのに」
「そうだったんですか」
いつもシャキシャキしてる加瀬さんが、さびしそうな表情をしている。旦那さんも他界してるし、一人で花火を見るのはきっと辛かったのだろう。
花火が終盤に差しかかった頃、加奈子は不意に立ち上がって、キッチンへ行き、丸い皿を抱えて戻ってきた。
「ウチではね、盆と花火の時はね、これを食べるのが習わしなんだよ。ビールのあとになんだけどね、召し上がれ」
それは、和皿に盛られたおはぎだった。粒あんが夜を呑んでいるみたいで、妙になまめかしく、そしてとても旨そうに見えた。
「わあ、おはぎですね。おいしそう!」
「ちょ、ちょ、ちょ。違うんだなあ」
「え、何が違うんですか」
「夏はね、おはぎとは言わないのよ」
「え? じゃあ、ぼたもちですか」
「牡丹餅は春。御萩は秋。夏は夜の舟と書いて夜舟というのよ。ちなみに冬は北窓。ご存じ?」
「いいえ、初めて聞きました」
夜舟かあ・・・美優は夏の夜空を下から掬い上げるように覗いてみた。
星が瞬いていた。天に召した魂たちがお盆になると夜の舟に乗って戻って来て、その魂たちをもてなすために餡のお菓子をお供えする・・・それで夜舟かあ。美優は勝手にイメージしてみた。で、花火は、その道標なんだ。何て荘厳なんだろう。
「いただきます」
口の中でふんわりした甘さが、風船のようにひろがっていく。心地良い餅米の舌触りが、異次元の宇宙の扉を開いたように、星の世界と同化していった。「ふわああ、美味しい!」 微かな塩味がゆりかごのようなアクセントになって、胃に落下していった。
加瀬加奈子の深い思いを感じた気がした。
☆ ☆ ☆ ☆
「藤木さん、きょうはありがとうね。とても楽しかったよ」
「わたしも、楽しかったです。ごちそうさまでした」
美優は帰り際の挨拶を交わしながら、もしかしたら、加瀬さんの干渉が明日からより一層強くなるのではないか、不安になった。
(それも、いいかな)
帰り道の空に満月がこうこうと輝いていた。
美優は幻影を見た。
月の陰から夜舟が舞い降りてくる光景を。
美優は感じた。心に満たされていく微かなファイトのような揺らめき。彼女は火傷の手のひらをそっと眺めた。
(そうだ、労災申請しよう。泣き寝入りなんかしないぞ)
美優は力強く大地を踏み込んだ。
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