1995年・冬 ①

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1995年・冬 ①

日刊アルバイトニュース、デイリーanが六法全書よりも厚かった頃は既に過ぎ、10年近く続いたバブル景気は終了した。 1990年代、橋本龍太郎首相は土地売買の総量規制を打ち出し、国民が安心して都内に家が買えるように!という言葉を掛け声に国政を担ったが、その前の当時の竹下総理の消費税3パーセントの導入、バブル景気が弾け、デフレ突入で日本国の景気は急速に悪くなっていっていった。 街に失業者が溢れた。特に若者の雇用率が悪く、大学は出たけれど・・・非正規雇用、フリーターという日本の失われた30年の入口という社会情勢であった。 5年前に米国のロックフェラービルを競り落とした日本の不動産業は地に落ちた。証券会社も同じだった。旧山一證券は破綻、大手地銀も統廃合を余儀なくされた。数年前に地銀がゴッホの「ひまわり」を史上最高額で競り落としたが、その「ひまわり」は銀行の倉庫に塩漬けされた。また、日本長期信用金庫は破綻した。 如月昭次(きさらぎしょうじ)は地方のボーダーフリーの大学を卒業した。言えばFランク大学を卒業したのだ。彼が卒業した青森では、ロクな仕事がなかった。ここは一発、東京で当てたいと考えていた。 彼は文学部哲学科出身だったが、哲学で食べていけるほど人生は甘くなかった。 彼は新卒の時に内定を貰えなかった。 葬儀屋、解体屋、労働時間の長い飲食店、金融屋、ブラック企業ばかりがハローワークの求人として乗っていた。 昭次はある、求人票に目をとめた。 『西東安田信販㈱」 仕事内容は、債権回収、月賦販売等の貸付け、新規、再貸付、増額貸付等の貸付等、簡易裁判所での債務者との折衝 とある。 『信販会社か・・・』彼は申し込みに行った。昭次はすっかり、クレジットカード会社だと思い、クレジットカード会社なら消費者金融会社とは違うだろう。大丈夫だろう。と思い申し込んだのだった。 それが、彼の地獄の入口だったのだった。
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