螢火

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「もうすぐ、兄さあが帰ってくっぞ!」 「ええ、存じ上げております、坊っちゃん」 もうすっかり耳に御国言葉で、朝に旦那様自ら坊っちゃんが言っている通りの連絡が、使用人全員に向けて行われたから、当然俺も知っている。 けれども坊っちゃんは、いつも通りメイド姿の"私"の背中に貼り付いて、嬉しそうに興奮気味に俺の耳元で何度もまだちょっと舌足らずの様子を伺わせつつ同じことを口にしていた。 俺は耳がくすぐったいのを我慢しつつ拝聴している甲斐もあって、坊っちゃんの機嫌は(すこぶ)る良い。 大好きな"兄さあ"こと、兄君が戻ってくることにどうにも興奮を抑えきれないのは、とても良く伝わってきていた。 きっと、この興奮は兄君である兄さあ様が実際に戻ってくるまでは、どうにも収まらないと俺は面倒くさいながら、諦めてもいる。 最初は屋敷の仕事を理由に、少々厳しくも坊っちゃんに接しようかという考えも頭に過ったが、俺が相手をしないことで、殆どがわざわざ故郷からついてきたというという屋敷の使用人の誰かしらに、拗ねて甘えて文句を言ってしまうのが容易に想像できた。 新人の俺にも、俺の後に俺が世話になっていた教会の神父様の紹介で入った後輩にも、決して他所者(よそもの)といった振る舞いをしなかった人達の迷惑になるのは明白だった。 他の使用人の皆さんは、この可愛らしくもわんぱくが過ぎる坊っちゃんを「可愛いですね(むげですね)~」と、邪魔物扱いをすることは決してないが、やはり仕事の手は止まってしまう。 俺が相手をしていれば、おんぶしていようが抱っこしていようが、屋敷では任せられている内容の仕事をすることは出来る。 そこまで考えて、俺は結局坊っちゃんを背負ったま、兄さぁこと、兄君の事を聞きながら今日も任せられている仕事の1つである中庭の掃除に取りかかっている。 本当ならいつも猟銃を携えている後輩も一緒にする中庭の掃除の筈だが、後輩ととてつもなく相性の悪い坊っちゃんを朝から俺を背負っているのと、本日も坊っちゃんの兄君の進学した学校に入学する為に稽古事に向かっている、客人の御子息を護衛として、外出していた。 渋々と嫌々を見事に混ぜた用な表情を浮かべて、後輩は客人の御子息を送っていってもいるんだが、それには相応の理由もある。 実をいえば客人の御子息は後輩とは腹違いの兄弟で、血が半分ほど繋がっている弟だというのは、屋敷内では暗黙の了解事項になっていた。
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