ゆきうさぎが来た日

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『ゆきうさぎ 出没注意』 アパート前の掲示板に、今年も極太達筆の一枚。 どんなに真剣な訓告だろうと、 あたしには夏を彩る小道具のひとつにすぎない。 すぎなかった。三秒前までは。 「……マジか……」 社会人をこなす昼間には封印しておく物言いが、 こんな時にはころりと出る。 聞くのはあたしと、 それを吐き出させた(くだん)の生物だけだ。 滑らかな楕円の白い身体に、 熟れた苺色をしたつぶらな瞳がふたつ。 椿の葉を思わせる艶やかな緑の耳。 ころんとしたフォルムは、 まるで食べ応えのある大福もち。 総じて実に愛らしい。 しかしほだされてはいけなかった。 これこそ、アパート前の極太達筆が指し示すもの。 「うちにゆきうさぎが出るとは……」 無意識の呟きに、緑の耳がぴょこんと動く。 その場所もいけないと、 あたしは眉間にしわを寄せる。 これでは避けようがないじゃないか。 冷蔵庫の扉の取っ手に、もっちり収まる楕円形。 ──ゆきうさぎは、本来冬の風物詩である。 雪の少ないこの地方でも、冬に山野へ行けばひょこひょこと跳ねる白い “おもち” を見つけられる。 うさぎと呼ばれているけれど、兎の仲間ではない。 秋に生まれ、冬の冷気を食べて成長する、 手のひらサイズのうさぎ型生物。 春が来れば親うさぎは命を終え、 成長した仔うさぎ達は冷気を追って北上し、 秋になればまた戻ってきて命を繋ぐ── わけなのだが。 ひとつ問題がある。 毎年いる、北上しそこねたゆきうさぎ達だ。
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