果たされないまま

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あの日の約束を、君は憶えているだろうか。 “コロナがあけたら飲もう” 果たされないまま何年経っただろう。 君と初めて会ったのは、画面越しの入学式。 アレは会ったうちには入らないか。 身綺麗なスーツを着込んで。 笑顔を精一杯に浮かべながら。 その実、アパートに一人。 空虚な画面に向かって挨拶していた。 首席だった君が新入生代表の挨拶をするのを見ながら。 手持ち無沙汰だった。 君の言葉の断片を、式次第の隅に書き留めた。 その紙はどこへやったか思い出せない。 捨ててはいないはずだけど。 同性からも異性からも、好印象を持たれるタイプだと思った。 遠隔授業が始まると、君は先生からも学生からも、真っ先に認知されていた。 「代表挨拶していたね」と。 「何を話していたかは忘れたけど」と。 僕も一度そう言ったことがあった。 君はその度に笑っていたけど。 その笑顔が作り物なのか。 画面越しでは分からなかった。 でも、他に話すことが思いつかなかった。 大学までは新幹線で2時間。 通学は月に2回程度。 一人暮らしをするはずが頓挫して、実家住まいのまま。 田舎の一軒家の2階で受講する日々。 君と話す機会は授業でのディズカッションだけ。 “ゼミはどこにする?” “サークル入る?” “バイトしてる?” 聞くタイミングが分からなかった。 結局君が入ったゼミは夏まで、サークルは秋まで、バイトは冬まで知らなかった。 全部、他の学生が話題に出していて知った。 ゼミは違ったし、僕はサークルには入らなかった。 バイトも君とは業種が違った。 共通の話題なんて、本当に授業だけだった。 一度、月に2回の通学のタイミングで君を見かけたことがあった。 マスクをした君は、画面越しよりも不機嫌そうで、違う人みたいだった。 長い前髪に隠れた目元が、険しかった。 いつも見えない耳に、小さなピアスが刺さっていたのが意外だった。 君は図書館で本を読んでいた。 僕は先の半月に備えて借りようとしていた20冊もの本を抱えていたので、話しかける余裕なんてなかった。 いや、本が1冊しかなくても。 何も持っていなくても。 君に話しかけることなんてできなかった。 代わりに、君が読んでいる本を凝視した。 文庫本なのに随分と分厚かった。 1ページに2段あるタイプの、レンガみたいな大きさの本だった。 僕には読めないと思った。
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