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「日韓戦辞退したってどういうことっすか!?」  いきなり肩をつかまれ、よろめきそうになりながらも振り返った地央(ちひろ)は、墨でひいたような形のよい眉を強く引き結んだ黒川真直(くろかわまなお)と目を合わせ、小さく舌打ちをした。 「どうもこうも」  地央は肩を圧迫する真直の手をじゃけんに振り払う。 「勝てないと思ったから辞退した。それだけの話だろ」  そう言って再び真直に背を向けた。 「そんなんっ……納得いかない! ここ数日部活にも顔出さないし、選手権だって……! 引退するとか、嘘っすよね!?」 「俺は日韓戦も選手権も出ない。受験に専念すんだ。邪魔すんな」 「……受験って……推薦とるんじゃ!!」 「日韓戦辞退した時点で推薦なんて無理だろーがよ。つか、推薦とれるとこは俺の行きたい学科がないの。ほら、さっさと自分の校舎へ戻れ。昼休み終わるぞ」  地央は振り返りもせず後ろに向けて軽く手を振ると、少し先で待っていた友人、啓太郎に歩みよる。 「悪い。行こう」  啓太郎はその場で立ち尽くし、なおも地央を見ている真直と地央を見比べた。 「あのイケメン君、確か2年の」 「ほっとけ。あの馬鹿力が。肩痛いっての」  啓太郎は、ちらちらと後ろを振り返りつつ地央の後に続いた。 「でも、心配してくれてるんだろ?……地央、本当にライフル引退すんの? 視力、一時的なもんって言われてるんだろ? つか、そもそも後輩に何の説明もしてないわけ?」  教室に入り、地央は窓際の自分の席へどっかりと腰を下ろすと、人の良さそうな顔を心配そうに歪めて見る幼馴染に向けて、小さく溜息をついた。 「一週間練習しないのでも致命的なのに、本番まで3週間ないんだぞ。いつ元に戻るかわからねえのに迷惑かけられねえよ。選手権だって、エアはただでさえ練習の時間とれないんだから、俺がさっさと引退して枠譲る方が現実的」    エアライフルは認定資格を保持していなければ銃器を持つことはできず、射撃部はエアライフルとビームライフルで競技者がわかれていた。  ライフルの数や練習場の関係もあるため、このまま万全な状態ではない、それも遠からず卒業を控えた地央がズルズルと居座るより、別の素質のある者を引き上げることが最善であることは明白だった。 「だからっ、なんでそういうの説明しないわけ?」 「同情なんてもん、されたらたまんないからな」  地央は啓太郎の視線を避けるように顔をそむけると、右目を閉じて校庭を見た。  左目に映る景色は、まるで水中にいるかのようにぼやけている。  一週間前のことだった。  以前から違和感を感じていなかったわけではなかったが、その朝目覚めた地央の世界は一変していた。  何度目をこすったことだろう。特に左目の中央部分がかすみ、まるで目薬をさした後のようにぼやけていた。   しばらくすると何とか焦点も合うようになったが、それでもそれまでの2.0の視界とは程遠く、左利きの地央はライフル競技の際に左目を使用するため、とても的を見据えられる状態ではなかった。  眼科を受診すると、心因性視力障害だろうとの診断を受けた。  高校に入って始めたビームライフル。  入部してすぐに頭角を現し、1年には国体に出場、エアライフルの資格を得、2年ではナショナルチームの選抜候補にもあがった。その時は選考にもれてしまったが、3年の国体で2位となり、日韓戦の日本代表に選出された。     そして──その精神的重圧が原因で、一時的に視力が低下してしまったのだ、と。 「まあ正直、試合出ても勝てる気しなかったしな。俺プレッシャーに弱いから。所詮ビギナーズラックでやってこれただけだったし。海外怖いしな。結果オーライ」  強がりを口にしているようにしか見えない地央の姿に啓太郎は一瞬眉根をよせたが、すぐに満面の笑みを浮かべると、地央の柔らかい髪をぐしゃぐしゃにかき回した。 「よっしゃ! これからは勉強集中していこう! 地央、遠征とか合宿とかで成績が大ダメージ受けてたもんな。僕の青春をお前にやるから、一緒に頑張ろうぜ!」  地央は啓太郎に向き直ると、眉を寄せた。 「……え、なんか重い。俺、お前の青春はいらねー」 「はあぁ? 高校最後の夏に、僕がカノジョも作らずサポートしてやろうというのに!?」 「へー、作らない、んだ。へー」 「あ!? お前、今、作らないじゃなくて作れないって思ったろ? ふざけんなよ! 本気になりゃもうハーレムだから、マジで」  大げさに顔をしかめる啓太郎を見て、地央から自然と笑いがこぼれる。  地央の笑い顔を目にして、啓太郎はまた顔いっぱいの笑顔になった。  社交的ではない地央に、とりわけ仲の良い友人というものは啓太郎以外いない。それは啓太郎がずっと一緒にいるから、ほかの友人を必要としなかったせいともいえた。  目の前の幼馴染は、愛に恵まれた家庭を持っているとはいえない地央にとって、何より心地のいい存在だった。くるくると変わる啓太郎の表情に、ひまわりのような明るい笑顔に、地央は何度助けられたかしれない。  そんな啓太郎の笑顔をしっかりと見たくなって、地央は左目を閉じた。    
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